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企業紹介第9回茨城県株式会社鴨安商店

「百年の恋」に目覚めた7代目、イワシの“復権”にかける想い

高いエビと、安いイワシ。迷うことなく前者を選んでいた青年は、ある人からの一言をきっかけに、扱う魚種を、そして自らの生き方すらをも変える選択をします。

「昭和53年か54年頃だったと思います。当時の私は、東京で会社勤めを経験して地元に帰ってきたばかりだったせいか、生意気なところもあったんでしょうね。とにかく儲かることをしなきゃいかんと、当時流行していた持ち帰り寿司の寿司ダネづくりに力を入れていました。中でも稼ぎ頭のエビは売り上げが右肩上がりの人気ぶり。私は業績好調に浮かれていましたが、取引先のある問屋さんから『地元で魚が獲れているんだから、それをもっと使ったほうがいいんじゃない?』と言われて、それではっと目が覚めたんです。」

鴨安商店7代目、鴨川安男さん
鴨安商店7代目、鴨川安男さん

鴨安商店(茨城県神栖市)社長の鴨川安男さん(以下「」内同)は、創業明治15年の同社7代目。

曽祖父の初代鴨川安次郎氏が始めた鴨安商店は、これまで漁船経営や小売など、時代とともに業態を変化させてきましたが、全国農林水産祭の最高賞「天皇杯」を受賞したカタクチイワシの「いわし桜干(さくらぼし)」(当時はその原型となるみりん干し)はおよそ百年前の大正時代から生産を続ける伝統の商品です。

「天皇杯」を受賞した「いわし桜干(さくらぼし)」
「天皇杯」を受賞した「いわし桜干(さくらぼし)」

子どもの頃からイワシに囲まれ、イワシとともに育ってきた鴨川さんは、問屋さんからの一言に触発されて「これからは地元で獲れるイワシを中心にやっていこう」と方針を転換します。

イワシ以外にも、地元の波崎漁港や、利根川を隔てて隣接する銚子漁港に水揚げされるサバ、サンマなどの魚を扱ってきた鴨川さんですが、利益が出やすかったエビ加工の割合を減らしていったことを、後悔することにはならなかったのでしょうか?

「実はそれがタイミングとしてもちょうどよかったんです。その頃、エビ加工の拠点が、国内よりもコストの低い東南アジアに移っていくところでした。遅かれ早かれ我々の出番は減っていく運命だったのです。」

もし、エビの加工をさらに拡大しようとしていたら、鴨安商店は大打撃を受けていたかもしれません。 結果的には地元の魚を主軸に据えたことが吉と出たようです。

「弱い魚」と書くイワシの加工は難しい

イワシに情熱を注ぐようになった鴨川さんは、「イワシを一生懸命やろうとするのは変わり者ですよ」と言いますが、そのくらい、イワシで商売をしていくことは苦労の連続のようです。

「マイワシの漁期は入梅頃の6~7月と冬期の12~2月、大きくこの2シーズンのみです。魚へんに『弱い』と書いてイワシ(鰯)と読むように、イワシという魚は肉質がとても弱いので加工が難しい。魚は年中海にいても、この2シーズン以外は肉質が加工向きではありません。買い付けの時には、脂ののり具合もよく見る必要があります。脂が多いと酸化が進みやすくイワシ独特の臭みが増してしまうので、カタクチイワシのさくらぼしのように、反対に無脂の原料を必要とする場合は、原料がないからといって無理をしてまでは買いません。さくらぼしの原料として気に入ったカタクチイワシを買うことができるのは、年に2~3回といったところです。」

通常の魚であれば、大量に仕入れた後に一旦冷凍保存しておいて、その日加工する分だけを取り出して解凍する、といったことも可能です。しかしイワシの肉質は冷凍保存が難しく、鴨安商店では特殊な方法で保存をしているといいます。

「開きいわし」
「開きいわし」

イワシを商売にすることの難しさは、仕入れや加工、鮮度管理だけでなく、売ることにもあります。

「イワシというのは安い魚なので、処理トン数をこなさないとなかなか利益が出ません。しかしうちはそういう規模の会社ではないので、常にひと工夫が欠かせません。代々伝わる伝統のタレを使った桜干には百年のお客さまがいらっしゃいますが、それだけでなく、食生活の変化に合わせた新商品の開発も並行していく必要があります。」

「いわしレモンじめ」(中段)ほか
「いわしレモンじめ」(中段)ほか

当初は売り上げがなかなか伸びずに苦戦していましたが、鴨川さんが従業員と開発した「いわしレモンじめ」はマイワシを生に近い触感で味わえることで評判となり、レストランなどでカルパッチョとしても使われるようになりました。また、大手回転寿司チェーンでイワシが人気の寿司ダネとして定番メニューになったことも、事業の安定化につながっていきました。

震災後は「人と機械」総動員で

イワシの加工が好調なところに襲いかかったのが、2011年の東日本大震災でした。鴨安商店には茨城県と千葉県に合わせて3つの工場があり、最も海に近い波崎の新港工場にも津波が押し寄せました。

「フェンスの下の土がえぐられたり、工場内の壁にヒビが入るなどしましたが、そういったところは補修で対応しました。ただ、機械の故障というのは後から出てきましたね。」

さらに原発事故の風評被害も重なって、地元の魚をメーンに扱う新港工場の売り上げは半分になってしまったのだそうです。

「その工場も今は8割程度まで回復していますが、まだ回復途上です。ここから先は、たくさん量をこなしてどうにかなる問題ではないと思います。鍵を握るのは人材です。ところが震災後、それまで勤めていた従業員が何人も辞めざるを得なくなったり、実習生が突然全員帰国したりしました。社長として何よりつらかったことですが、今は新しい人が入ってきていて、震災前より人は増えているくらいです。若くて経験の浅い人をどう育てていくか。助成金などによって新しく導入した機械もありますが、それを入れて終わりではなく、そういったものをうまく使えるように技術を伝承していかなくてはなりません。工場もやっぱり、人なんです。」

切り身をつくるために新しく導入した「バンドソー」
切り身をつくるために新しく導入した「バンドソー」

新港工場では、今年からサケの切り身加工も始めました。地元の魚だけでは、どうしても魚が入ってこないことがあるため、安定供給が期待できるサケを年間を通して扱っていくとのことです。

「切り身で利益が出るかというと、今は難しい。でも一歩進んだ商いをするためには、人も機械も総動員して、そのための準備をしておく必要があると思っています。」

サケの切り身加工を自動で行うロボット
サケの切り身加工を自動で行うロボット

一昨年からは、従業員から職場環境や生産工程の改善のための意見を募り、それを進めていく「改善マラソン」を始めました。人材の定着によって、技術レベルの向上につなげます。

「機械の処理能力としては、切り身を1時間に4500個つくることも可能のようです。でも丁寧に切っていくにはそのスピードを捨てないといけない。数値目標は掲げていますが、今は品質の安定を優先して作業しています。」

スピードよりもまずは品質。
品質を高めたうえでのスピード化を図ります。

漁網が破れるくらいのイワシがいる!

ジャパン・インターナショナル・シーフードショー(東京ビッグサイト)に出展した「レモンじめ」
ジャパン・インターナショナル・シーフードショー
(東京ビッグサイト)に出展した「レモンじめ」

鴨川さんがイワシに力を入れるようになってから、ずっと悩まされ続けてきたことがあります。資源の減少です。

マイワシの漁獲量は、1980年代後半頃をピークに、年々減少の一途をたどっていました。それでもこのところは徐々に回復の兆しも見られることから、再びイワシに力を入れています。前出の「レモンじめ」も一時生産をストップしていましたが、今年から数年ぶりに生産を再開しました。

同シーフードショーで社員とともに宣伝する鴨川さん(右)
同シーフードショーで社員とともに宣伝する
鴨川さん(右)

「漁業関係者からも、『魚群が濃くて網が破れるくらいいる』と聞いています。海外ではブリやホタテに注目が集まっていますが、いろんな魚を見てもらいたい。日本のイワシはその一つになると思います。」

魚離れが叫ばれるなか、百年のお客さまがいるという『桜干』から、最近の食卓に合わせた『レモンじめ』まで、安くて栄養価の高いイワシの“復権”に情熱を注ぐ鴨川さん。

最近は展示会への出展やメディア露出も積極的に行い、和食ブームの続く海外にも売り込みを図っています。

伝統ある会社の社長でありながら、その姿はさながら「イワシの営業マン」。
今日もどこかでイワシを宣伝していることでしょう。

株式会社鴨安商店(株)鴨安商店 新港工場

株式会社鴨安商店

〒314-0408 茨城県神栖市波崎2468
自社製品:いわし桜干、いわしレモンじめ、開きいわし、漁師さんの漬けいわし、さんまみりん干、さばみりん干、昆布塩さばなど

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。