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第21回岩手県田老町漁業協同組合

「真崎わかめ」とともに再出発を決めた田老町漁協のその後

震災から1か月も経っていない2011年4月上旬。避難所となったグリーンピア三陸みやこ(岩手県宮古市)の駐車場で、漁業関係者たちは冷たい地面に座りながら田老町漁業協同組合(JFたろう、以下田老町漁協)の小林昭榮組合長の話に耳を傾けていました。田老町漁協加工場の工場長、鳥居高博さんは当時の様子をこう振り返ります。

▲ 田老漁漁協の現況を語る加工場工場長の鳥居高博さん

▲ 田老漁漁協の現況を語る加工場工場長の鳥居高博さん

「意見交換会では、漁協の組合員の皆さんに『仕事をやるかやらないか』の意思確認をしていました。最初は誰も、やる気なんてありませんでした。
船の大半は津波で流されて、漁業施設も壊滅状態。多くの人が体育館でダンボールの仕切りに囲まれながら避難生活をしているような時期でしたから」(鳥居高博さん、以下「」内同)

岩手県宮古市田老(たろう)地区(旧田老町)は「津波太郎(田老)」の異妙をとるほど、古くから津波災害の多い地域でした。1896年(明治29)年の明治三陸大津波では1859人、1933(昭和8)年の昭和三陸大津波では911人が死亡。町がリアス式海岸の湾の奥にあるため津波が高くなりやすく、被害が拡大してしまうのです。

▲ 断崖の続く宮古市田老の海岸線と沖合の海(南方の姉ヶ崎展望台より望む)

▲ 断崖の続く宮古市田老の海岸線と沖合の海
(南方の姉ヶ崎展望台より望む)

2011年の東日本大震災で田老地区に押し寄せた津波の高さは17メートルを超えていたといわれます(遡上高が37.9メートルに達した場所も)。過去の津波の経験から町には総延長約2.4キロメートル、高さ約10メートルの日本最大級の防潮堤が築かれましたが、1960年のチリ地震の津波から町を守った“田老版・万里の長城”も、東日本大震災の津波を防ぐことはできませんでした。津波は防潮堤を500メートルにわたってなぎ倒し、町ごとのみこんだのです。

▲ 4階まで浸水した「たろう観光ホテル」は
震災遺構として保存されている

すべてを失った田老の人々は、仕事のことなど全く考えられない状況でした。田老町漁協では、当時の組合員707人中48人が死亡(田老地区全体の死者・行方不明者は185人)。流出や損壊した漁船は963隻中882隻。組合員と漁協の被害額は合わせて約75億円にものぼりました。

「田老地区ではワカメの収穫が3月12日から始まる予定でした。震災の日はその前日ということで浜で準備をしていた生産者が多く、逃げ遅れた人もいました。工場にいた従業員も避難しましたが、家の様子を見に戻って亡くなる方がいました」

家や船を失い、家族や知人を亡くした人も大勢いる中でしたが、決断の時は迫っていました。漁業を再開するつもりであれば、すぐに取り掛かる必要があったのです。

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