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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

活かされた祖父と父のチリ地震津波体験

東日本大震災の地震当日、水野水産の工場には175人もの従業員がいましたが、あらかじめ備えていた防災機器と迅速な判断により、全員が無事に避難しました。

「工場内に緊急地震速報の機材を配置しているので、揺れが来る前にそれを察知しました。とはいえ、立っていられないほどの大揺れです。当社は工場にフライヤーもあるので、火災防止のため震度5以上の揺れがあると照明以外の電気がすべてストップするようになっています。その時も電気が止まりましたが、情報が欲しいので揺れが収まった後に非常用の自家発電機を動かしてテレビを付けました。すると震源地が福島沖という情報が入ってきました」

水野さんの脳裏によぎったのはチリ地震の記憶です。当時まだ3歳だった水野さんは、祖父や父からその話を聞かされていました。

「祖父はあの時、海のにおいで津波が来るとわかったそうです。南側に海がある塩釜は、震源地が南方沖の津波に弱い。地震から15分後の午後3時には、片付けはしなくていいから避難するようにと全員に指示をしました」

従業員たちはそれぞれ工場を後にしましたが、帰れない従業員18人が水野さんとともに第2工場の3階に残りました。工場は天井が高いため、一般的なビルの5階の高さに相当します。

避難から1時間ほど経った午後4時頃。4メートルの津波が「天然の防波堤」とも呼ばれる松島湾の島々を乗り越え、塩釜の町を襲いました。

▲ 避難した第2工場3階で「津波があの島を乗り越えてきた」と示す水野さん

▲ 避難した第2工場3階で「津波があの島を乗り越えてきた」と示す水野さん

「この地区では地面からの3メートルの高さまで海水に浸かりましたが、当社の工場は周りより1.2メートル高くしているので、実質1.8メートルの浸水で済みました。チリ地震の津波の後に、父が工場の土地を高くしていたのです」

大きな被害には変わりありません。1階部分は水没し、津波が引いた後の敷地内は泥と瓦礫だらけ。しかし父・忠さんが1.2メートル分土地を高くし、天井の高さにも余裕をもたせたことで、2階にあった機材は被災せずに済みました。

  • ▲ 1960年のチリ地震の津波の教訓から工場の土地は周囲より高くなっている

    ▲ 1960年のチリ地震の津波の教訓から工場の土地は周囲より高くなっている

  • ▲ 工場内で津波の高さを示す水野さん

    ▲ 工場内で津波の高さを示す水野さん

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