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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

創業100年目に襲い掛かってきた「1000年に一度」

大正元年(1912年)に小笠原さんの高祖父(ひいひいおじいさん)、深松さんが創業した小が理商店。当時深松さんは漁業と加工業を兼業していて、海に出て取ってきたシラスやコウナゴを干し加工していたのだそうです。

歴史が長い同社はこれまで多くの自然災害に遭遇してきました。1960年のチリ地震でも床下浸水の被害がありましたが、「1000年に一度」の巨大津波の被害はそれを遥かに上回るものでした。

▲ 小が理商店の小笠原理一さん

▲ 小が理商店の小笠原理一さん

「震災当日は、午前中に配達の仕事を終えて、午後からは工場でイカの塩辛に入れる腸(はらわた)を取る作業をしていました。被災したのはちょうどその時です。経験したことのない激しい揺れが何回も続いたので、『これは津波が来る』と直感しました」(小笠原理一さん、以下同じ)

築100年ほどになるという自宅を兼ねた小が理商店の工場は、宮古市の中央を流れる閉伊川の河口近くにあります。津波が来る前、すぐ近くの歩道橋に上がって目の前の川の様子をうかがうと、これまで見たことのない閉伊川の川底が見えていたといいます。

▲ 歩道橋から見た閉伊川。津波が来る直前には川底が見えた

▲ 歩道橋から見た閉伊川。津波が来る直前には川底が見えた

「宮古湾のほうを見ると、津波が防波堤を乗り越えているのが見えました。びっくりして歩道橋を駆け下りて、高台にある小学校に逃げました」

1階の天井近くの高さまで来た津波の水は翌日には引いていましたが、車も突っ込んできた自宅兼工場は瓦礫だらけの状態。小笠原さんは結局、逃げ込んだ小学校で1カ月過ごすことになります。当時工場にいた10人ほどの従業員も全員高台に逃げて無事でしたが、津波で家族を亡くした方がいました。

▲ 工場内の冷蔵庫のドアに津波の高さを掲示

▲ 工場内の冷蔵庫のドアに津波の高さを掲示

「震災から1カ月くらいは、社長(父・謙逸さん)と『これからどうしようか』と話し合っていました。結局、宮古市の魚市場が4月に再開して、周りの同業者も仕事を続けたので、『うちもみんなで協力してやっていこう』と再起を目指すことに。従業員のみんなと一緒に、ドロやホコリまみれになりながら、工場の後片付けをしました。袋詰めにしていた原料を袋から取り出してゴミを分別する作業がとにかく大変でしたね」

幸いにも建物の柱が使える状態で残っていたことで、復旧は早かったといいます。改築で対応したのち、6月からはイカの加工を再開しています。当時はまだイカ漁が始まっていませんでしたが、たまたま高台にある冷蔵庫を借りていて、そこに原料が残っていたのです。ストックは2カ月ほどで使い切ってしまいましたが、ちょうどそのタイミングで漁が再開し、生産が止まることはありませんでした。

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