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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第57回岩手県株式会社川秀

復興遅れるも新機材で新たな船出

「俺、死ぬんか、あはは……」

工場の屋根に上がった佐々木昌太郎さんは、足元に迫る津波を携帯電話のカメラで撮影しながら心の中でそうつぶやいていました。当初、町内放送で伝えられていた津波の予想高さは3メートルでしたが、実際に押し寄せた津波はそれを遥かに上回る8メートル超。その時にはもう放送はなく、何の情報もないまま自分で何とかするしかありませんでした。

  • ▲	佐々木さんが屋根の上から撮影した津波の様子(佐々木昌太郎さん提供)
  • ▲	佐々木さんが屋根の上から撮影した津波の様子(佐々木昌太郎さん提供)

▲ 佐々木さんが屋根の上から撮影した津波の様子(佐々木昌太郎さん提供)

岩手県山田町(復興拠点は宮古市)の水産加工会社、川秀の工場統括取締役を務める佐々木さんはその日、接客を終えた後に大地震に見舞われました。外に出て海の様子を伺ってみると大きな津波がこちらに向かってきているのが遠くに見え、「今から逃げても間に合わない」と思った佐々木さんは、とっさに自社工場に逃げ込んで上へ上へと向かったのです。

「工場の屋根の上には私と従業員の二人がいて、すぐ近くの本社にも10人ほどがいました。工場にはいろいろなものが流れてきましたが、中でも大きかったのが船です。船が工場にぶつかると、その力で2階の大きな冷蔵庫が浮いて屋根まで持ち上がりました」(佐々木昌太郎さん、以下同)

▲	火災により町は炎と煙に包まれた(佐々木昌太郎さん提供)

▲ 火災により町は炎と煙に包まれた
(佐々木昌太郎さん提供)

死を覚悟するほどの状況に追い込まれた佐々木さんたちですが、工場の柱は何とか津波に持ちこたえ、ギリギリのところで助かりました。しかし津波が引き始めてからも安心はできませんでした。今度は周りで火の手が上がり始めたのです。

やがて自分たちのもとにも火の手が迫ってきたため、この場所にとどまっていては危ないと、佐々木さんたちは避難所へ移動することを決めました。しかし辺りはもう暗くなっていました。

「はっきり覚えていませんが、夜7時くらいだったでしょうか。津波はまだ繰り返し押し寄せていましたが、水深は浅くなっていたので流木で橋を作って、倒壊して流れてきた防波堤 の瓦礫へと渡りました。そこから工場の周りにいた人たちと一緒に、山田中学校へと避難しました」

その日の夜遅くに中学校に到着した佐々木さんたち一行ですが、従業員全員の無事は確認できませんでした。5人の従業員が亡くなってしまったのです。

「足に自信のある若い人たちは自力で逃げたが間に合わなかった。逃げられないと思って本社や工場に戻った私たちが助かった」

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