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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第76回岩手県マルカ川商 株式会社

震災から7年、高齢化進む被災企業を機械が救う

「震災前は周りに民家があったので海までもう少し距離があるように感じていましたが、こんなに目の前なんですね」

建設中の防潮堤の向こう側に大船渡湾が広がっている

▲ 建設中の防潮堤の向こう側に大船渡湾が広がっている。
(右端に見えるのは係留中の漁船のマスト)

記憶の中にある眺望と重ね合わせながら、海のほうに目を向けるマルカ川商(岩手県大船渡市)の川原睦夫さん。大船渡湾の湾口を望む同社工場と海との間には、かつて民家が軒を連ねていましたが、東日本大震災の津波ですべて流されてしまいました。そのかわりに姿を現したのは、見上げる高さの防潮堤です。

マルカ川商の創業社長、川原睦夫さん

▲ マルカ川商の創業社長、川原睦夫さん

「震災当日、私は車で3分ほどの場所にある自宅で休んでいました。2日前にも大きな地震がありましたが、その日は揺れが長くて大きかった。停電でテレビが映らなくなり、情報が全く入ってこない状況でしたが、ほとんどの人は『津波が来る』と思ったんじゃないでしょうか。大船渡には数十年おきに大きな津波が来ているので……」(川原睦夫さん、以下「」内同)

川原さんは子供の頃、明治生まれの父、大正生まれの母から、津波の恐ろしさを聞かされていたといいます。1896年(明治29年)の明治三陸地震、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震、1960年(昭和35年)のチリ地震。大きな地震のたびに、大船渡の町は津波に襲われました。川原さん自身、8歳の時にチリ地震の津波を体験しています。

川原さんの自宅は高台にあるため津波の心配はありませんでしたが、気がかりだったのは工場にいる従業員たちのことでした。川原さんはすぐに工場に駆けつけましたが、従業員は全員避難していました。

「私は両親から『津波があったら逃げなさい』と言われてきたので、従業員にも、『もし地震があったら何も持たなくていいから逃げてくれ』と普段から言っていました。みんなその言葉通りに避難してくれて無事でした」

東日本大震災の津波は、川原さんが聞かされてきた過去の大津波を上回る規模でしたが、「いつ来てもおかしくないと思っていた」という川原さんの防災意識が、従業員たちの身を守る結果となりました。しかしながら、工場と冷蔵庫は全壊。マルカ川商は操業不能となり、従業員も一旦解雇せざるを得ませんでした。

「冷蔵庫内には冷凍していたイカやサバが流されずに残っていましたが、津波の海水で解け、暖かくなると臭いがきつくなってきました。工場の片付けは5月のゴールデンウィークまでかかり、復旧工事をしたのち、9月に事業を再開しました。当時は手に入る原料が少なかったので、大手メーカーから仕入れたイカのカット加工の仕事から始めて、徐々に仕事を増やしていきました」

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