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企業紹介第72回宮城県末永海産株式会社

漁師の家系の誇りを胸に、豊かな三陸の海から名品を生みだし続ける

宮城県石巻市にある末永海産は、昭和61年に現会長の末永勘二さんにより創業されました。末永家は代々、この地で牡蠣やわかめの養殖を行ってきた漁師の家系。勘二さんは漁師ではなく加工業者となりましたが、立場が違っても海や漁師への思い入れは強いといいます。

末永海産株式会社 代表取締役 末永寛太さん
末永海産株式会社 代表取締役 末永寛太さん

その思いは、勘二さんのご子息で現社長の寛太さんにも引き継がれ、震災後、人手不足で頭を抱えていた牡蠣生産者との「協業体制」を構築するに至ります。

「震災で漁師さんの数がそもそも減ってしまったし、養殖は何とか続けたけれど、内陸に引っ越したので、浜の目の前に住んでいた時に比べ仕事ができる時間も減っていました。だから、漁師さんも今までのようにむき身やボイルした状態で卸すことまでは出来なくなってしまって。だったら、ウチでその仕事を一部肩代わりしようと思って牡蠣の殻むきなどの一次加工をすることにしたんです」(末永海産株式会社 代表取締役 末永寛太さん、以下「 」内同)

日本で初めて生食用牡蠣での HACCPを取得
日本で初めて生食用牡蠣でのHACCPを取得

このことで、自社で一次処理をしたものについては、浄化時間、殻むきの担当者、かかった時間など全ての工程が管理できるようになりました。それは仕入の段階から製品として出荷するまできちんとトレースが取れるということであり、生食用牡蠣としては日本で初めてのHACCP取得に繋ったのです。

また、この仕組みができるまでは、養殖はしたものの市場が始まる時間までに殻むきなどの作業が間に合わず、商品になっていなかった牡蠣がありました。それらの牡蠣を殻つきのまま朝9時までに末永海産に卸すことで、生産者にはプラスアルファの収入が入ることになります。

もともと創業者の勘二さんが、わかめの業者とこのような協業を始め、その仕組みを寛太さんの代になって、牡蠣、ホタテ、ホヤなどに少しずつ広げていきました。

「父は漁師の家の出身だから、漁師の仕組みや、彼らの考え方がよくわかるんです。例えば牡蠣の養殖だったら、ロープ1本でいくら、という計算をする。だったら、ウチがどのくらいで買えば売ってくれるのかがわかる。自分は父のやってきたことを引き継いだだけですよ」

寛太さんは、そう謙遜されますが、人手不足の中、自社の負担を増やすのは簡単ではないはず。そう尋ねると「後継者不足が進む今、少しでも漁師が魅力ある仕事だと思ってほしいんです」という答えが返ってきました。このような仕組みは生産者にも歓迎され、今では末永海産専門に養殖をしてくれる人も出てきたのだそうです。

震災を機に、高付加価値商品の開発に舵を切った

毎日、満潮になるたびに水があふれた堀。現在は水を堰き止めている
毎日、満潮になるたびに水があふれた堀。
現在は水を堰き止めている

末永海産の本社があるのは海抜ゼロ地帯。
その上、地震で地盤が沈下してしまいました。そのため震災の後しばらくは、本社のすぐ裏手にある堀から毎日水があふれ出て、一面が水浸しになる状況が続いたのだそうです。結果として、せっかく残った本社工場の土台がやられ、建て直さざるを得ませんでした。

震災のあった3月は、わかめの最盛期。牡蠣もまだシーズン中で、ホヤはちょうどシーズンに突入したばかりという時期。それらのすべてが流され加工原料が手元にない状態になりました。途方に暮れていた時、営業冷蔵庫に塩蔵わかめが残っていることが分かったのです。

「原料を預けていた冷蔵庫も震災により被害を受けながらも、塩蔵わかめが入っていた2階部分は運よく無事でした。電気も止まっていましたが、扉が閉まった状態で、マイナス35度で冷却されたままだったんです。そのため品質も劣化しておらず、これなら使えると思って2011年の5月に当時比較的被害の少なかった海沿いにある別棟の工場にて製造を再開しました」

しかし震災の翌年の売り上げは、前年の10分の1にまで減少。その後、平成26年の9月には建て直した本社工場も稼働を開始しますが、生産者、自社ともに人手不足で、売上はなかなか以前のようには戻りませんでした。これまで、牡蠣のむき身やわかめなどをリパックして出荷するというシンプルな加工がメインでしたが、このままでは限界があると感じ、震災以前から構想のあった高付加価値商品の開発に積極的に取り組むことを決意します。企画室長を中心に社員が一丸となり、新しい事業の柱を作るため、新商品の開発に邁進。そして生まれたのが「牡蠣の潮煮」です。

この「牡蠣の潮煮」は塩や水さえ使わず、牡蠣から出る「潮」のみで煮込んだという商品で、平成27年には第26回全国水産加工品総合品質審査会で農林水産大臣賞を受賞しました。得意先からの評判は上々で需要は多かったものの、製造に手間がかかってしまい、顧客の要望に十分に応えるだけの生産量が確保できていませんでした。そこで生産力を強化するために、補助事業を利用して潮煮専用の自動化ラインを導入したのです。

100%の牡蠣の旨味が堪能できる牡蠣の潮煮

「以前は1日あたり3人で5000パックが限界だったところ、この機械を入れてからは2人で6000パックの生産が可能になりました。生産が安定したので、今までだったらお断りせざるを得なかった大口の注文も受けられるようになり、小売りだけでなく惣菜店などにも販路を拡大することができました。」

今回この機器を導入したことで、省人化できた分の人員を他のラインに配置し、同時に別のアイテムの製造ができるようになりました。そして売上は震災前の7割まで回復。牡蠣に関しては、加工品の売り上げが従来のリパック品を上回るまでに売り上げを伸ばし、「牡蠣の潮煮」は末永海産を代表する商品となったのです。

機械の特性を理解するにつれ、生産効率もどんどん上昇し続けている
機械の特性を理解するにつれ、生産効率もどんどん上昇し続けている

新卒を積極的に採用。
フレッシュな人材とともに新たな販路を目指す

慢性的な人手不足を解消するため、もう1つ取り組んでいるのが、人事労務体制の見直しです。震災後、積極的に新卒者を採用する方向に転換。それに伴い、給与体系を刷新し、休暇などの待遇や教育制度なども、より充実させ、従業員の働くモチベーションの向上に努めています。

「水産以外の会社と同じ土俵に上がらなければ、新卒の人に選んでもらえません。若い人達が働きたいと思える環境を作るため体制も整えましたし、やりがいをもって働いてもらえるよう“後の責任はとるから”と言って、どんどん仕事を任せるようにしています。もちろん新卒者だけでなく、昔からの社員の方に対しても同様です」

寛太さんご自身も「震災後、5年で社長を交代する」と告げられ、3年ほど前にトップとなりました。創業者でオリジナリティにあふれた父・勘二さんの後を継ぐことにプレッシャーもあったそうですが、先代とは違う個性で若返った会社をリードしています。また、体制の変更にあたり、補助事業を利用して導入したコンサルタントも役に立ちました。

「一部上場企業の工場長をやっていたような経験豊富な方に来ていただきましたが、今までの知識に頼るのではなく、実際に現場に入って一緒に作業して改善案を出してくれたので非常に生産性が上がりました。自分や会長が言うと角が立ちそうなことも、第三者の立場で上手に教えてくれるので社員研修、新人教育、リーダー研修などもお願いしています」

このように少しずつ体制を整え、今後見据えているのは海外での展開。具体的には、冷凍設備を強化して、生食用の製品を開発しようと考えています。その際にも、単に材料を冷凍するだけでなく自社ならではの製品開発が必須と寛太さんは語ります。

「食品を扱っている以上、人口が増えているところ、人の口が多いところに販路を見出すのは当然のことだと思います。単に海外に出て行くのではなく、せっかくの生食でのHACCPを生かすなど、ウチならではの競争力のある製品を作っていきたいと思っています」

農林水産大臣賞を受賞した牡蠣の潮煮、日本初の生食HACCPの取得など、<br>「自社ならではの強み」は多数。海外事業にもオリジナリティを生かしたい
農林水産大臣賞を受賞した牡蠣の潮煮、日本初の生食HACCPの取得など、
「自社ならではの強み」は多数。海外事業にもオリジナリティを生かしたい

豊かな海の恵みを、もっともっと広めて行きたい

寛太さんの話には何度も「海に戻る」という言葉が出てきます。漁師の家系に生まれ育ち、創業者である父と漁師である伯父が協力しあって、より良いものをお客様に届けてきたのを見ているからこそ、「恵まれた海を、生産者と協力する形で生かしたい」と言う思いが強いのだそう。また震災後の原料不足の時期に、他県や他国産の牡蠣原料を扱ったことも、三陸の海の豊かさを実感するきっかけになったと言います。

「やはり自分としては、ここの牡蠣が一番美味しいと思ったんです。食べ慣れていることもあるかもしれないけれど、一年子なので、若い牡蠣ならではの甘味があるし、のど越しもいい。タウリンやグリコーゲンも豊富です」

実は一年子を積極的に扱い始めたのも末永海産。昔は種を入れてから一年で水揚げをする一年子は、殻が小さいので人気がなかったのだそうですが、現会長である勘二さんが、漁師であるお兄さんに「一年子は二年子と食べ比べても美味しいし、大きすぎないから生で食べやすい」と聞いて、商標を登録して売り出したのが始まりなのだとか。現在ではすっかり定着し、扱い始めた当時に比べ相場も上がったのだそうです。

「ここの海は本当に豊かで、牡蠣、ワカメ、ホヤはもちろん、海苔や銀鮭の養殖も盛んだし、さば、いわし、たこ、穴子など色々な魚も獲れます。でも宮城の名産品と言うと、笹かま、牛たん、萩の月などの方が有名でしょう?せっかくの恵まれた海を生かしきれていない。だから、まずは牡蠣の潮煮を仙台土産の定番にしていきたいと思っているんです」

三陸の海のことを語る時、寛太さんの口調には自然に熱がこもります。この熱意と伝統である「海や生産者との協業」を武器に、今後もきっと、たくさんの名品を全国に海外にと届けていくことでしょう。

末永海産株式会社

〒981-0211 宮城県石巻市塩富町2-5-73
自社製品:牡蠣の潮煮、炙り牡蠣、一年子牡蠣(生食用)等の牡蠣加工品、春告げわかめ、フレッシュ、わかめ、至高わかめ等のわかめ加工品、海鞘の加工品、ほたての加工品 ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。