復興水産加工業 販路回復推進センター

 

販路回復・助成事業・アドバイザー 相談の申し込み

企業紹介企業紹介

企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第97回宮城県株式会社千葉喜商店

「魚屋」としてのスキルを磨きながら探す「大事なこと」

「魚屋の仕事は朝早い。きつい。魚のにおいも付く。子どもの頃からそんなイメージを持っていたので、学生時代は『魚屋の仕事は継ぎたくないな』と思っていました」

鮮魚仲買と水産加工を営む千葉喜商店(宮城県気仙沼市)の常務取締役・千葉裕樹さんは、大学を卒業後、東京の水産商社に就職しました。エビの輸入や海外生産の企画など、そこでの仕事はダイナミックでやりがいがあったそうです。しかし震災からの再建を目指している両親を助けるため、千葉さんは10年間勤務した水産商社を辞め、千葉喜商店で働き始めます。

千葉喜商店の常務取締役・千葉裕樹さん。名刺には「魚や」とある

▲ 千葉喜商店の常務取締役・千葉裕樹さん。
名刺には「魚や」とある

「前職の社長からは、私がまだ学生だった頃に、『魚屋さんの仕事も面白いと思うよ』と言われたこともあります。正直まだそこまでは思えていませんが、スリルを感じることはあります。うちは規模の小さな会社ですが、仲買として魚を大量に扱うため、帳簿上はものすごい金額が動きます。買った魚が必ず売れるとは限らないので、売り買いではとても緊張感があります」(千葉裕樹さん、以下「」内同)

千葉喜商店の創業は、終戦間もない1946年(昭和21年)。千葉さんの祖父・千葉喜一さんが気仙沼で鮮魚店を開いたのが始まりです。今よりも水揚げの多かった時代は、商売も繁盛していたといいます。

「従業員の数は現在20人弱ですが、私が小学校の頃には50人ほどいて、大きな工場も建てました。しかしその工場は東日本大震災の津波により全壊しました。私は東京で働いていたので被災はしていませんが、震災から2カ月後に気仙沼に戻った時に、工場にはその残骸が残っているだけ。ただ、周りも同じように壊滅的な状況だったので、『うちの工場がなくなってしまった』というよりは、『街がこんなことになってしまったのか』という心境でした。正直、この状況から会社を立て直すのは難しいだろうな、と思いました。でも父はまだあきらめていませんでした。だからここまでやってこられたというのもあると思います」

2012年1月、千葉喜商店は新しく建てた工場から再出発しました。しかし千葉さんが東京の水産商社を辞め千葉喜商店に合流した2013年3月時点でも、先行きがまだ不透明だったといいます。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
TOP