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企業紹介第98回宮城県株式会社 二印大島水産

真夜中11時半の事業継続宣言から8年、新製品でブランク埋める

「明日からみんな散り散りになりますけど、会社のほうはどうなるんですか?」

あまりの寒さで寝ることもできず、避難所のストーブの前で一緒に暖を取っていた従業員を代表し、統括部長の小山光宏さんからそう聞かれた二印大島水産(宮城県気仙沼市)社長の大島忠俊さんは、迷うことなくこう答えました。

「やるよ」

2011年3月11日、日付も変わろうとしていた午後11時半ごろのことでした。夜は深まっているというのに、街は暗くなりませんでした。赤く燃え上がる火の手が、二印大島水産の工場の近くまで迫っている様子が見えました。

二印大島水産社長の大島忠俊さん
二印大島水産社長の大島忠俊さん

「ちょうど風向きが変わったので、延焼はないだろうと思いました。とはいえ周りが燃えているので安心はできませんでしたけどね」(二印大島水産社長の大島忠俊さん)

二印大島水産では震災当時、気仙沼市弁天町内にある4つの工場に、110人ほどの従業員が勤めていました。地震が発生した後、従業員は統括部長の小山さんの的確な判断により高台の気仙沼中学校に避難して無事でしたが、工場はすべて津波にのみこまれてしまいました。

「翌朝、本社工場のほうを見ると、建物が残っているのが確認できましたが、中はダメになっているだろうなと思いました」(大島さん)

「早急な支払い」で事業継続の意思表明

震災から2日後、二印大島水産総務部部長(事務長)春日広幸さんは、他の従業員とともに本社工場2階の事務所の様子を見に行きました。

二印大島水産総務部部長(事務長)春日広幸さん
二印大島水産総務部部長(事務長)春日広幸さん

「瓦礫をかき分け、はしごを使って屋根伝いに2階の事務所に上がりました。先に中を見てきた従業員が、事務所が残っていると言うんで驚きました」(春日さん)

4つの工場すべてが全壊し、自社・委託先冷蔵庫の800トン近い冷凍サンマ・船凍鮪などの原料が全損する大きな被害がありましたが、本社工場2階の事務所は無事でした。あと30センチ、階段一つ分というところで津波を被らずに済んだのです。パソコンと資料が無事であることを確認した春日さんは、避難所で待つ大島さんにそのことを報告しました。

「社長は『先に支払い処理をする』と判断しました。気仙沼の銀行は被災していたので、現金をおろすために内陸部の銀行まで社長とともに車を走らせました。まずは社員に11日までの給料を、そして片付けを手伝ってくれた人に御礼を支払いました」(春日さん)

支払いをしたのは従業員に対してだけではありませんでした。原料を購入していた取引先にも支払いを済ませたのです。被災直後にもかかわらず支払いがあったことに、取引先からは驚かれたようですが、社長の大島さんによれば、「それは復興の決意の表れでもあった」のだそうです。

その決意通り、二印大島水産は6月28日、生鮮カツオの出荷から仕事を再開させます。その頃はまだ、周辺の瓦礫もまだ撤去されておらず、地盤沈下により大潮で冠水するような状態でした。それでも8月には海から離れた山沿いの場所に仮工場が完成し、50人近くの従業員も再雇用されました。現在は、2015年に仮工場の隣地に建てられた新しい本社工場で加工を行っています。また、震災当時の本社工場は一部修復工事を行い、鮮魚出荷の拠点としています。

高い衛生管理基準が求められるマグロのたたきがヒット

1918年(大正7年)に、大島さんの祖父が創業した二印大島水産。創業当時は鮮魚仲買業を専門としていましたが、平成に入ってからは加工も手がけるようになりました。

「1970年代のオイルショック、200海里水域制限、それに伴う減船の影響もあって、鮮魚仲買業が先細っていくことは明らかでした。そこで私たちも加工をしていこうということになって、マグロ、カツオ、サンマ、メカジキなど、気仙沼に揚がる魚で切り身加工を始めました。当時の気仙沼は日本一マグロが揚がる港で、その頃からうちはマグロ加工が得意分野でした。魚の水揚げが減って厳しい時代となりましたが、そんな中で始めたマグロのたたきがヒットし、1996年にはHACCP対応の第2食品工場が完成しました」(大島さん)

マグロのたたきは、とろみを出す加工段階で菌の入るリスクがあるため、厳しい衛生管理が求められますが、たまたま受けた抜き打ち検査で図らずも同社の衛生管理の品質の高さが証明されたといいます。

震災後に建てられた新工場でも高い衛生管理基準を設けている
震災後に建てられた新工場でも
高い衛生管理基準を設けている

「第2食品工場が完成した当時、大阪・堺市で病原性大腸菌O157による集団食中毒が発生し、各地で衛生面の問題がクローズアップされました。当社も抜き打ち検査を受けましたが、工場は気仙沼地域HACCPを取得していたほか、検査室でも毎日検査をしていたので、もともと衛生管理状態がよかった。そのことが証明されてから、東京方面からの注文が増えていきました」(大島さん)

前述の通り、工場は津波により全壊しましたが、その衛生管理のレベルの高さは現在の新工場にも引き継がれています。しかしまだ、以前のような活況には戻っていないようです。生産が伸び悩む要因は2つあるといいます。

「一つは従業員の高齢化です。人手不足で、なかなか若者が入ってきません。もう一つの理由は原料高。世界中でマグロが食べられるようになって、マグロの魚価が上がっているんです」(大島さん)

マグロ肉に合った充填機で効率アップと品質維持を実現

人手不足、新製品開発といった課題に対応するため、二印大島水産は販路回復取組支援事業の助成金を活用し、新しい機材を導入しました。

手作業のように丁寧に、手作業よりもスピーディーな充填機
手作業のように丁寧に、
手作業よりもスピーディーな充填機

「マグロのたたきをパック詰めするための充填機を新たに導入しました。従来は、ハムやソーセージにも使われる外国製の充填機を使っていましたが、マグロ肉を扱うには押したり引いたりする力が強く、マグロの魚種によっては変色してしまう問題がありました。お客さまから、『粒の粗いものが欲しい』『手造り感のあるものが欲しい』という要望があった際には手作業で詰めていましたが、今回の機械は手作業のような品質で効率よく生産することができています」(春日さん)

この他にも、作業の効率化を進めるために、自動包装機、自動上下貼機、ワゴンバケットなどを導入しました。

マグロの切り落としパックをラッピングする自動包装機
マグロの切り落としパックをラッピングする自動包装機
パックの上面と下面、同時にラベルを貼る自動上下貼機
パックの上面と下面、同時にラベルを貼る自動上下貼機

新しい機材による生産効率の向上が、「マグロのトマトバジル味」「もっちり食感マグロ切りおとし」といった新製品の誕生にもつながりました。マグロ加工品は大手企業も手がけるジャンルのため競争が厳しく、二印大島水産は今後も引き続きオリジナル製品の開発が販路回復の鍵となっています。

生産量を20%アップさせて8年のブランクを埋めていく

「震災後もさまざまな試練がありました。特にきつかったのが、まだ仮工場で生産をしていた頃の急激な円安です。うちは国産のマグロ以外にも、東南アジアや台湾からバチマグロ、キハダマグロを輸入していますが、それらが円安による原料高となってしまった」(大島さん)

その後も原料不足などに悩まされている二印大島水産にとっては、先ほどの販路回復取組支援事業が大きな助けになったといいます。

「震災直後は主に工場再建の支援をしていただきましたが、震災では多くの機材も失っています。この支援事業のおかげで、我々が今、販路回復のために必要なものを購入することができました。感謝というほかありません」(大島さん)

当面の目標は生産量を20%アップさせること。原料不足などにより、震災後に立てた目標にはまだまだ到達していないものの、以前よりも見通しは明るくなったといいます。

「仮工場では狭い場所で生産していましたが、新しい工場、新しい機材が整備できたことで、ようやく新製品を作っていく体制が整いました。ここから販路を回復させていくためには、地道な営業活動が大切。8年のブランク埋めるために、いい商品開発、メニュー提案を続けていきたいですね」(大島さん)

株式会社二印大島水産

〒988-0826 宮城県気仙沼市百目木91-2
自社製品:マグロのたたき、マグロの切り落とし、ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。