復興水産加工業 販路回復推進センター

 

販路回復・助成事業・アドバイザー 相談の申し込み

企業紹介企業紹介

企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第108回宮城県株式会社ダイカ

気仙沼ならではの魚でブランド干物に対抗する

摂氏3度から5度の低温の風を、5時間から7時間当て続ける。低温熟成により完成した干物は、魚のうま味と水分が中に閉じ込められ、ふわっとした焼き上がりになるのだそうです。

「長時間、冷たい風を当てて熟成させているメーカーは珍しいと思います。短時間(30分位)だけ冷風を当てたものとは、うま味が全然違いますよ。うちではアジ、サンマ、サバ、ホッケ、アカウオなど、いろいろな魚で低温熟成の干物を作っています」

そう話すのは、ダイカ(宮城県気仙沼市)社長の春日雄一さん(以下「」内同)。春日さんの父・春日範雄さんが1964年(昭和39年)に創業した同社は、もともとは干物メーカーではなく、マグロの仲買業者でした。

創業からの事業の変遷を語るダイカ2代目社長の春日雄一さん

▲ 創業からの事業の変遷を語る
ダイカ2代目社長の春日雄一さん

「父親を早くに亡くした父は、中学を卒業後に水産関係の会社で働き始めました。その後マグロの仲買業者として独立し、はえ縄漁船からマグロを買い、東京の築地に出荷する仕事をしていました。最初は1日1、2本の規模でやっていましたが、それが5本、10本と増えていき、そのうちメカジキも扱うようになった。ダイカを設立したのは事業規模が大きくなってきた1975年(昭和50年)のことです。その頃からカツオの仲買業も始めました。社名の由来は、末広がりの『大』に春日の『カ』でダイカ、と聞いています」

マグロとメカジキの盛漁期が冬であるのに対し、カツオの盛漁期は夏。ピークをずらして異なる主力事業を持つようになったダイカは、時代の追い風にも乗り、右肩上がりの成長を遂げていきました。

「私は1987年(昭和62年)に大学を卒業後、気仙沼に戻って父の仕事を手伝うようになりました。当時、カツオの仲介業は順調に伸びていましたが、マグロの取扱量は減船や資源の減少により低下していました。冬季の新しい事業づくりが課題となっていたところに小田原の会社から『ノウハウを教えるので干物をつくらないか』と打診があり、1997年頃から干物づくりがスタートしました」

ところがほどなくして、小田原の会社の経営が傾き始めます。これを機に独自に干物の販路開拓を始めたダイカでしたが、春日さんは小田原や熱海、沼津などのブランドが強い関東圏で勝負するのは得策ではないと考え、東北地方を中心に営業を展開しました。

「鮭文化が根付く東北には当時干物文化はありませんでしたが、東北で製造すれば関東圏のものより輸送費が安いアドバンテージを活かし何とかなると思いました。当初はあまり売れませんでしたが、時代とともに人の移動が増えて干物も受け入れられるようになり、東北でもよく食べられるホッケやサバといった魚から徐々に種類を増やしていきました」

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
TOP