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企業紹介第116回宮城県株式会社高橋徳治商店

「被災地で真に必要とされる会社」になるために、
「仕事とは何か」を真剣に問い続ける

高橋徳治商店の創業は明治38年(1905年)。魚粕、鰹節、鮪節などの製造販売からスタートしました。その後、秋刀魚の蒲焼の原料、佃煮、たらこなど商材を増やしていき、1960年代の初めからは練り物の製造を開始。それ以降、練り物を主力製品として取り扱ってきました。

株式会社高橋徳治商店 代表取締役 高橋英雄さん
株式会社高橋徳治商店 代表取締役 高橋英雄さん

「当時、魚の加工品の原料がどんどん輸入冷凍魚に変わっていきました。国産でも冷凍の原料が多くなって。うちは水揚げが多い石巻にあるし、前浜で安く国産の魚を買える。そこで2代目の父吉男は国産原料で練り物を作ったらどうだろうと考え、塩釜の笹蒲鉾屋さんに修行に行って、作り方を覚えたそうです」(株式会社高橋徳治商店 代表取締役 高橋英雄さん、以下「」内同)

3代目となる高橋さんが、入社したのは1974年。その当時は大手企業の下請けでさつま揚げなどを製造していました。ただし下請けの仕事は、販売数量は多いものの納入価格が厳しく、なかなか利益につながりません。ハードワークで身体的な負担も大きかったため、高橋さんはこの状況を打開すべく、独自で販路開拓を始めます。

「さまざまな営業先を回るうち、埼玉県の学校給食と出会ったのがひとつの転機になりました。ここで、『野菜の入ったさつま揚げを作ってみないか』と誘われて。子どもがなかなか野菜を食べないけれど、普通の練り物とは違うふわふわ食感で、お好み焼き風にすれば子どもが食べるのではないか、ということで作ったら成功して、最終的に埼玉県の小中学校全部に納品することが出来ました。」

また、学校の栄養士さんと製品を共同開発する中で、食品添加物などについて詳しい知識を得た高橋さんは、これまで以上に原料にこだわった製品作りを志すようになったそう。高橋徳治商店の製品は国産原料を90%以上使用し、添加物も使っていません。そのため魚本来の味を感じることが出来ます。こうした安全と味にこだわった製品作りが認められ、学校給食だけではなく、生協とも取引が始まり、平成4年に本社工場、平成7年に第二工場を建設するなど、順調に業績を伸ばしていきました。

給食で喜ばれた「お好みさつま揚げ」
給食で喜ばれた「お好みさつま揚げ」
国産にこだわったすり身
国産にこだわったすり身

取引先の支援に後押しされ、
「被災地で必要とされる会社」になると決意

2011年3月11日、高橋さんは法要のため会社近くのご自宅にいたのだそうです。揺れが来て、会社に向かおうとするも「ジェットコースターのように揺れて」、なかなかたどり着けなかったのだとか。本社工場は6.9メートル、海に近い第二工場は10メートルの津波に襲われ工場は全壊。原料や、過去のデータが入ったパソコンなども全て流されました。

会社を再建するにあたってはかなりの逡巡があったそうです。奥さまからも「あの場所には戻れない、やめよう」と何度も言われました。水道は2か月半、電気も3ヶ月半使えない中、それでも再開を諦めなかったのは支援してくれる人の存在があったからでした。

「学生ボランティアの方が延べ400人、取引先の方が延べ1100人も片付けの手伝いに来てくれたことが力になりました。普通、取引先がボランティアに来てくれることなんてないでしょう。それなのに交通事情が悪くちょっと遅くなったら帰れない、泊まるところもないところに大勢来てくれた。だから、自分はここで、この被災地で真に必要とされる会社になろうと思ったんです。」

本社工場だけで50tもの津波堆積物があり、それをスコップや一輪車で運び出します。地盤沈下をしたせいで大潮のたびに掻き出した泥やゴミがまた戻ってくるような日々が続きました。

津波の高さが風力発電機に記録されている
津波の高さが風力発電機に記録されている
震災の日のことを忘れぬよう、当時のスコップ、一輪車、カッパなども保管している
震災の日のことを忘れぬよう、当時のスコップ、一輪車、カッパなども保管している

そして被災した工場から機械を発掘し、なんとか修繕して1生産ラインから営業を再開。火入れ式は2011年の10月1日でした。最初に作ったのは「おとうふ揚げ」。取引先である全国の生協が、共通の重量、パッケージに統一するなど、少しでも生産が楽になるよう取り計らってくれました。原料は北海道から無添加の冷凍すり身を調達。その原料も「お見舞い」として格安で提供してもらったのだそう。大豆は岩手県産で、水が放射能検査で合格するのを待ち、仕入れました。そうして5日間試行錯誤で作り上げた1,000kgの製品。しかし、何と高橋さんは、これを廃棄することにしたのです。

「現場とは大ゲンカです。皆に協力してもらって、やっとの思いで作ったものをなぜ捨てるんだ、やっていられないと言われました。でもこれだけの支援を受け、それにお応えできる商品かと言うと違った。これだけ助けてもらって、本当は1軒ずつ1人ずつお礼を言ってまわりたい。でもそれが出来ないなら、せめて震災前をはるかに超えるものを作ろう、それにはメッセージが入っているはずだと言ったんです。食べ物にメッセージを込めるって何だ?と思われるかもしれないけれど、あの時は社員全員、自分の言っていることを理解してくれました。最終的に1,000kgの製品はボランティア団体の方に引き取ってもらいました」

ロボットの導入で、
人が「付加価値のある仕事」を出来るようになった

再開後は毎日、工場、事務所の職員全員と、もちろん社長も、朝一番で試食をして「メッセージが込められているか」確認するようになりました。その日の気温、原料の状態などでなかなか製造条件が決まらず、朝の6時に出社した社員が10時になっても仕事が始められないこともあるのだとか。でも再開してから2300日以上、この試食を続けて良かったと高橋さんは語ります。

「口の中に入れた時、何噛みでほぐれるのか、唾液と混ざった後、舌と上あごに旨味がくるタイミングはいつか、旨味を前味、中味、後味のいつ出すのか、鼻腔から抜ける香りはどうか、それを商品ごとに全部変えていますし、その日の原料に合わせても変えます。無添加とは言え高級品ではないし、毎日これをやってもペイしないと言われることもあります。でも分かる人には分かります。それを毎日毎日繰り返して、考え尽くしてだんだん精度は上がってきています」

とは言え、製品の品質にとことんこだわるため、売上の規模は震災前を下回ったまま。そこで今回、支援事業を利用して導入したのが「はんぺん」製造に用いる多関節ロボットです。この機械の導入により、6名必要だったはんぺんの生産ラインが1名で対応できるようになりました。その分の人手を、他の生産ラインや異なる仕事に充てることが可能になります。また、はんぺんの形状・重量を均一化することにも成功しました。

「ウチは従業員の離職率は低いのですが、震災以降は人手不足で新たな人材を確保するのが難しい状況でした。そのため、機械化できることは非常にありがたいです。はんぺんのラインを省人化し、人員に余裕が出来たことで、人の手でしか処理できない小さい魚や変形した魚を買えるようになりました。利益率も良くなるし、手で処理した魚だと魚への愛着もわきます。もっと魚が喜ぶ加工が出来ると思うんです」

導入した多関節ロボット
導入した多関節ロボット
小さな魚を処理する人員を確保できるようになったことで利益率向上に繋がった
小さな魚を処理する人員を確保できるようになったことで
利益率向上に繋がった

仕事には、「人を変える」可能性がある

「この被災地で必要とされる会社になりたい」という決意で事業を再開された高橋さん。
2015年の7月に現在の本社工場が落成した際、落成式の場で従業員とともに「私たちは、この被災地で、力になり、笑顔になり、自ら光になります」と誓ったのだそう。

「例えば仮設住宅に1人明るい人がいるとするじゃないですか。同じ仮設に引きこもりのおばあちゃんがいたら、自分の家に連れてきてお茶を出して。で、お茶を飲んで、何年ぶりかで一緒に泣くくらい笑って、また来るんだよって帰ったら、引きこもりだったおばあちゃんにも、招き入れた側にも、ぽっと灯りがつく気がしませんか?で、おばあちゃんが近所で世間話などをしたら、また灯りが増える。そういう灯りをともせる会社になろうと決めたんです」

被災地は高齢化、過疎化、貧困、引きこもりなど、日本の社会的な課題が凝縮されると言います。実際に宮城県は引きこもりや不登校の数が全国ワースト。高橋さんも避難所で、ワガママを言わず、健気にいい子を演じている子どもたちが夜泣きをしている姿を多数見たそうです。そして、そういうガマンを重ねた子どもたちが、だんだん不登校から引きこもるようになっていくのだとか。

「避難所を出ても、慣れない遠くの学校に通い、帰ってきたら狭い仮設住宅で親が言い争っていたら子どもは居場所がないでしょう。なので、そういう子達の居場所になれればと思って、今、新設した野菜加工場に引きこもりやその予備軍の子に手伝いに来てもらっています。最初は人と目を合わせられないような状態なので、上から目線で接してもダメ。一緒になって考え、信頼しあいながらやっていく。2歩進んで3歩下がっても、2歩進んだことを評価する。採算は合わないけれど、この事業に携わった社員はやって良かったと言ってくれました。従業員の人としての品質向上(笑)にはつながっていると思います」

この事業を通じて4名が当社と雇用契約を結べ4名が社外に就職できるまでになったそう。

「仕事を通じて、その若者たちが変わることが出来れば、自分達も変われる」。

被災後、仕事とは何かを見つめ続けた高橋さんは、今後とも仕事を通して深い味わいのある製品を、人を生み出していくことでしょう。

株式会社高橋徳治商店

〒986-0024 宮城県石巻市川口町2-1-35(本社)
(本社は震災の影響により営業停止中)
〒981-0505 東松島市大塩字緑ヶ丘4-3-16(工場) 自社製品:無添加練り製品
(笹蒲鉾、はんぺん、さつま揚げ、つみれなど)

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。