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企業紹介第40回岩手県サンコー食品株式会社

輸入イカが増えても忘れない「地元の魚が一番おいしい」という基本

市場で仕入れた魚をすぐに冷凍して保管をし、後日その日に加工する分だけ解凍して、加工後に再び冷凍して出荷する。出荷までに2回冷凍を行うこの加工方式を「ツーフローズン」といい、水産加工会社では広く一般的に行われています。ところが岩手県大船渡市のサンコー食品は、冷凍を一回だけ行う「ワンフローズン」でサケのフィーレ加工を行っています。社長の小濱健さんは、ワンフローズンを採用している理由をこう語ります。

鮮度にこだわるサンコー食品社長の小濱健さん
鮮度にこだわるサンコー食品社長の小濱健さん

「ツーフローズンでは、一度に大量に原料を仕入れておくことで、年間を通して計画的に加工を行えるメリットがあります。ただ、一般的には冷凍を繰り返すと魚の鮮度は落ちてしまいます。鮮度の面では、ツーフローズンよりもワンフローズンのほうがいいので、そちらを採用しています」(小濱健さん、以下同)

小濱さんによると、サンコー食品の社是は「鮮魚を扱っているつもりで冷凍品を作る」なのだそうです。ただ、同社の主軸であるイカ製品に関しては、国産スルメイカの水揚げ量が激減していることを受け、ツーフローズンで出荷する輸入イカの加工量が増えています。

「これまでは年間で国産イカ1000トン、輸入イカ1000トン程度を加工していましたが、昨年は国産イカが10分の1の100トンだったのに対し、輸入イカは1800トンも扱いました。国産イカのほうが鮮度もよく加工もしやすいのですが、仕入れがほとんどできない状況なので、今は輸入イカが増えています。輸入イカは刺し身では出せませんが、私たちの加工技術で『加熱調理でおいしくなる』というところまでは持っていけます」

機械と人間の手によってイカがさまざまな形に加工されている
機械と人間の手によってイカがさまざまな形に加工されている
切り込みを入れることで食感がよくなる
切り込みを入れることで食感がよくなる

イカはカットの工夫次第でさまざまな料理に使うことができます。サンコー食品で加工された輸入イカは、コンビニ弁当やレストランのパスタ、スーパーに並ぶイカステーキなどに使われているそうです。

「産地を苦しめているかもしれない……」大阪時代の自問自答

小濱さんの父・富雄さんが創業したサンコー食品。富雄さんはもともと、大船渡のイカの加工会社で働いていましたが、会社の経営が傾いて倒産が決まった時に、「俺がやるか」と一念発起。倒産した別会社の工場を買い取り、経営者となって新たな一歩を踏み出したのです。1981年、小濱さんが小学3年生の時の出来事でした。

「会社が潰れそうだとか、起業するのにお金がかかるとか、食卓では両親のそういった会話がよく耳に入ってきました。こづかいも他の家の子より少なかったし、子供ながらに『うちは大変なんだな』と思っていた。でも私は父から甘やかされて育っていたんです。そのことに気づいたのは、大学を卒業後、この会社で働き始めて自分が何もできないと知った時でした」

父親から「会社を継いでくれ」と言われたことは一度もなかったそうですが、小濱さんはその気持ちを何となく感じ取っていました。東京の大学を出てUターンしたのも、いずれ家業を継ぐという意識があったからです。

「とはいっても、『親父がやっているから手伝おうか』くらいの軽い気持ちでした。東京の大学に行った理由も、『何かがしたい』という目的があったわけではなく、ただこの町を出たかったというだけ。当時ヒットしていた『東京ラブストーリー』というドラマを見て都会に憧れたりもして……。なんせ私は、大学生になって初めてマクドナルドのハンバーガーを食べたくらい、この町のことしか知らなかったんです(笑)」

漠然と日々を過ごしてきた自分を変えようと思ったのは、サンコー食品で働き始めてから1年後のこと。買い付けや営業の仕事をしながらも、自分ひとりでは何もできないことに焦りを感じた小濱さんは、「これではいけない」と、この会社から飛び出す決心をします。

「誰も頼れる人がいない環境で働いて仕事を一から覚えようと、大阪の水産商社に就職をしました。そこでは5年働いて、最初のうちは珍味やサキイカなどの販売をしていましたが、後半は冷凍イカを中国や東南アジアから輸入する仕事をしていました。仕事自体は楽しくて、もっとそこで働いて上の仕事もしてみたいという気持ちもあったんですけどね……」

その頃の小濱さんの心の中には、大きな葛藤が生まれていました。自分は今、イカを輸入する仕事をしている。この事業を推進すればするほど、国産イカで頑張っている地元の三陸地方や、ほかの地方の水産業の衰退を招くのではないか。自分の仕事が産地を苦しめているのではないかと悩んでいた小濱さんはその会社を辞め、2001年5月、28歳の時に再び大船渡のサンコー食品に戻ってきました。

電話の向こうで泣き崩れた義母

大船渡に戻って10年が経とうとしていた2011年3月11日、工場にいた小濱さんはこれまでにない揺れを感じました。それでも従業員は皆スムーズに、避難訓練の通りに駐車場に集まりました。その2日前にも大きな地震があり、「また揺れるかもしれないから1週間くらいは気をつけて」と朝礼で呼びかけていたばかりだったのです。点呼を取り、全員で高台への避難が完了したのですが……。

「実はその後に、私はまずい行動をとってしまいました。津波が来るまでの間、また工場に戻ってノートパソコンなどを取りに戻ったんです。工場の2階からは大船渡湾の湾口が見えるので、そっちを見ながら注意していれば大丈夫だろうと高をくくっていた。あんなに大きな津波が来るとは想像もしていませんでした」

津波が来る前に高台には戻りましたが、この行動は命取りになる危険もありました。工場に押し寄せた大津波は、工場をまるごと飲み込むほどだったのです。

12メートルの大津波で2階建ての工場はほとんど隠れてしまった
12メートルの大津波で2階建ての工場はほとんど隠れてしまった

「父も危険な行動をとっていました。母親が心配だからと言って、津波が来る前に実家まで様子を見に行ったんです。高齢の親を見捨てられないという強い意志を感じました。翌日、道という道が寸断されている中で祖母の家に行きました。父も祖母も無事でしたが、私は正直、父を送り出す時に『ああ、親父は津波にのまれて死んでしまうのだな』と覚悟していました」

その後は会社の従業員や親戚の安否確認を行い、3日後の3月14日、遠くの親戚や取引先に自分たちの無事を知らせるために、貴重なガソリンを使って内陸部の住田町にある「道の駅」へ車を走らせました。大船渡ではまだ、携帯電話がつながらない状況でした。

「津波が来る直前、妻は大阪の母親に電話をかけていました。『津波が来た、わぁ!』と言ったまま電話を切ってしまったので、義母は自分の娘が津波にのまれてしまったのではないかと覚悟していたようです。私が妻の無事を伝えると、義母は電話の向こうで泣き崩れていました」

1週間ほどすると、工場に従業員が戻り始めます。「避難所の体育館にずっといると息が詰まる」という人も少なくなかったようです。それから1カ月ほどは、腐った原料の廃棄やがれきの撤去をする毎日。工場の復旧工事が始まったのは、ゴールデンウィークに入る前のことでした。

「その頃、私は内陸部の銀行でお金をおろして従業員に配ったり、労務、財務関係の手続きをしたりしていました。再建の金策やさまざまな手続きは、父から大まかに指示を受けていました。父は震災の翌年に体調を崩して亡くなりましたが、当時の私には父のような立ち回りはできなかったように思います」

2011年8月5日、サンコー食品の工場は5カ月ぶりに再開しました。まだ機材がそろっていなかったため、できることは限られていましたが、イカの加工や鮮魚の出荷などをしながら復興への道を歩み始めました。

時代のニーズに合わせた機材で効率性と品質を高める

平成27年度販路回復支援事業の助成金により、さまざまな機材を導入したサンコー食品。重量選別機やイカの短冊機は、省力化を図るために導入しました。

「震災前、当社には58人の従業員がいました。しかし震災後は、40人から45人の間で推移しています。高齢のために辞めていく人、もう海の近くに住みたくないからと辞めていく人、親の介護で辞めていく人、事情はさまざまですが、残っている人たちもこれから高齢化していきます。機械で精度を高められるものは、順次機械化を進めていこうと考えています」

イカを短冊状にカットする短冊機
イカを短冊状にカットする短冊機

変化しているのは、職場環境だけではありません。時代とともに、取引先から求められるニーズも変わっています。

「うちはBtoB(企業間取引)で商売をしてきましたが、最近は『個包装もやってほしい』と言われています。そのようなニーズに対し、『うちじゃやっていないのでできません』ではなく、ニーズに応えていくことも大事。依頼があれば、それをどう実現するかを常に考えるようにしています」

真空包装機やサーマルダイレクトプリンターなどは、個包装に対応するために助成金で導入した機材。販路拡大に役立てています。

スーパーなどの取引先から個別包装の要望を受けて導入した真空包装機
スーパーなどの取引先から個別包装の要望を受けて導入した真空包装機
包装資材に直接プリントするサーマルダイレクトプリンター
包装資材に直接プリントするサーマルダイレクトプリンター

工場の2階の一角には、品質管理室と呼ばれる小部屋がありました。ここにも導入機材があります。

「導入させていただいた機材の中で、最も成果を感じているのが品質管理に関わる機材です。安全や安心は数字には直接現れませんが、会社のステータスになります。『そういうことにも力を入れているんだね』と言われることもあって、新しい武器になっていると思います」

インキュベーターや乾熱滅菌器などを揃えて製品の品質チェックをしている
インキュベーターや乾熱滅菌器などを揃えて製品の品質チェックをしている

インキュベーターや乾熱滅菌器などを揃えて製品の品質チェックをしている

「子供たちに一番おいしいものを食べさせたい」

サンコー食品の従業員は、全員が大船渡の出身。地元の人材を積極採用してきた理由を、小濱さんは次のように述べます。

「水産加工業は、漁港のあるこの町の基幹産業の一つだと思っています。地元の人を積極的に雇っていかないと、それは町の産業ではなくなってしまう。地域の産物を流通させ、将来につなげていく手段として、私たちは事業を継続していかなくてはいけません」

そのためにも若い人材の採用を進めていきたいという小濱さん。今後は扱う魚種を広げていくことも考えているようです。

「世界中の人々がイカを食べるようになり、今後は日本が輸入できるイカの量も減ってくるでしょう。当社では今、一時的に輸入イカの扱い量が増えていますが、それが柱になってはしまってはいけないという危機感があります。ビジネス的観点からもそうですが、何より『地元で取れる魚が一番おいしい』という基本がブレてしまうからです。イカは減っていますが、その代わり、これまで取れなかった魚が水揚げされるようになっています。これまでも前浜の魚を扱ってきましたが、新しい魚種の加工も増やしていきたいと思っています」

環境がどう変わっても、一番おいしいのは地元の魚。その基本を忘れないために、小濱さんは週に一、二度、市場で買った魚を家に持ち帰り、自ら調理して家族にふるまっています。

「子供たちに一番おいしいものを食べてもらいたい。当社のベースにあるのはそういう思いです。それがないと、仕事も生活も楽しくないですよね」

先日は、これまで大船渡では取れなかったクロアジを持ち帰り、「なめろう」にしてふるまったのだそう。その時の様子を嬉しそうに、修行時代に覚えた大阪弁で話してくれました。

サンコー食品株式会社

サンコー食品株式会社

〒022-0002 岩手県大船渡市大船渡町字下船渡104番地
自社製品 : イカ加工、サケのフィーレ、鮮魚ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。