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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第79回宮城県株式会社小野万

アゲンストの風の中、
進化させた「老舗のいか塩辛」を売り歩く

「なんとしても、『いか塩辛の日』までに営業を再開させる!」

小野万(宮城県気仙沼市)社長の小野寺邦夫さんは、そんな思いを胸に47都道府県をめぐっていました。2011年の5月から7月にかけてのことでした。

フットワークを活かして自らも営業をする小野万社長、小野寺邦夫さん

▲ フットワークを活かして自らも営業をする
小野万社長、小野寺邦夫さん

「当社の工場は津波で全壊してしまいましたが、全国の取引先に『続けますのでよろしくお願いします』とあいさつ回りをしていました。『いか塩辛の日』というのは私が発案した記念日で、毎年10月19日をその日としています」(社長の小野寺邦夫さん、以下同)

小野万にとってイカの塩辛は、売り上げ全体の8割を占める主力製品。その味に絶対の自信を持つ小野寺さんは、“塩辛愛”が高じて『いか塩辛の日』まで作ってしまったのです。イカの足が10本あることと、イカを熟(19)成させて作ることが日付の由来で、ちょうどイカの旬とも重なります。一般社団法人日本記念日協会にも認定された、れっきとした記念日です。

しかしその記念日に何とか間に合わせたいという気持ちはあったものの、7カ月あまりという期間は、復旧させるのに決して十分とは言えませんでした。小野万本社のある地区は、チリ地震(1960年)でも被害がなかったため「津波は来ない」と言われてきましたが、東日本大震災では壊滅的な打撃を受けていたのです。

津波は小野万の看板のポール半分あたりまで達した

▲ 津波は小野万の看板のポール半分あたりまで達した

「地震の後、従業員たちに『津波が来たら山に逃げるように』と言ってすぐに帰らせました。私も近くにある高台の神社に避難しましたが、神社に上る階段の残り2段ほどまで津波が迫り、決して安全と言える状況ではありませんでした。結果的に全員無事でしたが、4つの工場すべてが全壊し、2つの冷蔵庫も骨組みしか残りませんでした」

被災した4つの工場すべてをすぐに元通りにすることはできないので、小野寺さんはまず、「東工場」の再開を目指しました。

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