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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

取引先からの要望でもあった「山あい地区への移転」

2011年3月11日、午後2時46分。地震の発生時刻は、本社工場ではちょうど出荷作業の真っただ中でした。当時春日さんは、本社工場から10分ほど離れた場所にいました。

「会社から、すぐ避難すべきかどうかを確認する電話がかかってきました。『出荷作業中のものも冷蔵庫に入れずにそのままでいいから逃げるように』と指示をして、中国人実習生など避難する場所がない人たちは私の家に来てもらいました。私自身はまず実家に向かい、高齢の両親の無事を確認した後、会社に戻って誰も残っていないことを確認して、渋滞を避けながら高台にある自宅に避難しました」

春日さんの自宅では、10人以上が夜を明かしました。しかし一晩で食べるものがなくなり、その後移動した春日さんの実家でもすぐに食べ物が尽きてしまいました。春日さんは中国人実習生たちが避難所の中学校で過ごせるよう手続きをしてもらった後、しばらくの間、復興のボランティアをしていたといいます。

「震災直後は、商売のことなんて全く考えられませんでした。海の近くにあった工場も津波で流されてしまった。ボランティアの途中、津波で流されたうちのコンテナを何度か見かけました。原料や製品を入れて冷凍保管するためのコンテナですが、製品はありませんでした。当時、私も含めてみんな食料を配給してもらっていました。そのことが心からありがたいと感じていたので、『うちの製品もみんな持っていって食べてくれたんだな』と思って安心しました」

同年3月31日、春日さんはダイカの社員を集めて、今後の方針を伝えました。工場が復旧するまで一旦全従業員を解雇するということ、6月からカツオの仲買の仕事を再開するということ、そして、1年後をめどに工場を再稼働するということ。早期の復旧を目指したのは、取引先から「ずっとは待てないが1年は待つ」と言われていたためです。

HACCPをいつでも取れるように衛生面が強化された新工場

▲ HACCPをいつでも取れるように衛生面が強化された新工場

「早急に土地を探し、国からの補助金を活用して山あいに工場を建てました。山あいに移転したのは、取引先から『また津波が来ないとも限らないから、できれば海から離れた山あいに新工場をつくってほしい』という要望があったからです。新工場の稼働は2012年11月15日となりましたが、山あいに移転した気仙沼の水産加工会社の中では、おそらくうちがいちばん新工場の稼働が早かったと思います。多くの海水を使うカツオの出荷作業場は、震災前と同じく海の近くにつくりましたが、それ以外の加工の仕事はすべてこの工場でおこなっています」

災害時などには休憩室が一時避難施設となる

▲ 災害時などには休憩室が一時避難施設となる

再び災害があった場合に備えて、工場には従業員が一時的に寝泊まりするための畳のスペースも設置しました。実際にこれまで2回ほど、従業員が泊まったことがあるのだそうです。大きな警報ではありませんでしたが、震災以降、敏感になっている従業員にとって、会社に泊まれることは働くうえで安心材料の一つとなっているようです。

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