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企業紹介第173回宮城県岸柳水産株式会社

人とのつながりを大事に、「魚の良さ」を伝え、守りたい

岸柳水産の創業者は現社長の父である岸柳善七さん。善七さんが1945年(昭和20年)に、鮮魚の加工業のために立ち上げた「岸柳商店」が岸柳水産のルーツです。当時、塩釜ではサバ、カレイなど様々な魚種が、数多く水揚げされていたのだそう。その豊富な加工原料を用い、仲卸市場で焼き魚、干物などを販売したのです。その後、1974年(昭和49年)に法人化し、現在の岸柳水産になりました。

「最近は原料も獲れなくなったし、値上げもあって厳しい環境になったけれど、以前は近海ものも含め、魚は本当に豊富でした。焼き魚はサバ、カレイなどが多かったんじゃないかな。当時は焼き魚組合というのがあって、焼き魚を扱う会社が十数社もあったんですよ」(岸柳水産株式会社 代表取締役 岸柳 乃布夫さん、以下「」内同)

岸柳水産株式会社 代表取締役 岸柳 乃布夫さん

現社長の乃布夫さんは、東京の大学を卒業後、異業種で3年間働いたのち、1980年(昭和55年)に家業である岸柳水産に入社しました。中学時代から自分の会社を持ちたいと考えていた乃布夫さんにとって、家業を継ぐのは全く抵抗が無かったと言います。

入社してからしばらくは非常に忙しく、勤務時間が深夜にまで及ぶこともしばしば。しかし、多忙な中でも商品製造に妥協はなく、初期の主力商品だった焼き魚も、魚によって火加減を変え、こんがりキレイな焼き目をつけたり、照りを出すために水あめを塗ったり、細かな工夫が評価されていたのだそう。「小規模だけれど、そういう腕は確かなんです」と乃布夫さんは笑います。

現在の主力製品は赤魚、ホッケ、イワシなどの粕漬け、みりん漬け、西京漬け。中でも粕漬けはかなりのこだわりがあるのだとか。使用している酒粕は、秋田の日本酒「美酒爛漫」を醸造する際に出るものだけに限定しており、また最近では、季節限定で熟成された貴重な酒粕を使った本粕漬けも製造しているのだそう。

「一般的な酒粕は白っぽいですが、熟成されたものは茶色なんですよ。香りも味わいも圧倒的に深みが出て良くなります。熟成された粕は特定の時期にしか出回らないし、できる量もすごく少ない希少なもの。そのため価格も普通の倍くらいしますが、お客様に良いものを食べて欲しいと思って作り続けています」

岸柳水産自慢の粕漬け

震災の3日後から仕事を再開。
地元の「やる気」を起こす起爆剤になった

震災のあった2011年(平成23年)は、社長が先代から乃布夫さんに代替わりして10年が経過した頃でした。乃布夫さんの跡取りとなる息子さんも岸柳水産に入社して、専務・常務として働いていました。東日本大震災の時は、その2人の息子さんを始め、従業員の皆さんや、地元の仲間に大いに助けられたのだそうです。

「震災当日、私は東京出張を控え、自宅で準備をしていました。そうしたら、ひどい揺れが来て。これは“工場はダメになったな、崩れたな”と思いました。その日は会社と連絡がつかず、後で聞いてみたら、最初の揺れがあって、息子たちが従業員を全員避難誘導したところ、1人足りなかったんだそうです。そこで2人で工場に戻ったら、冷蔵庫での作業中に積んであった荷物が崩れてしまい動けなくなっている従業員を見つけて慌てて救助したそうです。なんとか全員無事に避難所まで行けたと聞いて胸をなでおろしました」

塩釜の水産加工団地は、1969年(昭和44年)に操業を開始した、日本で一番はじめに作られた水産加工共同利用施設なのだそう。リアス式の山部分を平地にならし、点在していた263社の水産業者を集約しました。ただし当時の技術では地盤改良が難しく、もともと岩場で地盤が固い部分と、後から埋めたてた地盤の悪いところが混在していたのです。岸柳水産の工場があった場所は地盤が悪い地域だったため、3月11日の揺れで建物が大きく斜めに傾ぎ、4月9日の第二波では地面が大きく沈んでしまいました。

そんな環境にありながらも、岸柳水産の復興は非常に素早いものでした。何と震災の3日後から仕事を再開したのです。電気が止まっていた冷蔵庫に保管されていた原料を腐敗する前に急いで取り出し、床が斜めに傾いた工場の中で調味漬け加工しました。保冷用の砕氷もないので、他社から運んできてもらった1トンの角氷を手で砕いて作ったといいます。

「あの時は、仙台がとにかく品不足で、“何でもいいから食べ物を”という感じだったので、出来ることを必死にやりました。知り合いの運送会社が協力してくれたり、息子の友達が手伝いに来てくれたり色々助けてもらってね。人って素晴らしいな、困った時の人頼みだなと思いました。後から皆さんに、“岸柳さんがやっているんだから、ウチもやらないと”と起爆剤になったと言ってもらって。当時は必死に気力だけで走っていたんだけど、自分達も役に立てたんだ、良かったなと思いました」

それ以外に、製品化した商品を地元の避難所に持っていき、無償配布を行いました。百数十人が並んで商品が行き渡らなかったので、翌日にまた製品をかき集めて、再度配ったのだとか。従業員も「仕事があってこその自分で、仕事場は自分の生きるところだから」と、被災後すぐの大変な中、積極的に集まり熱心に仕事に取り組んでくれたそう。その後、すぐに銀行で借り入れを起こして会社の立て直しをはかり、2014年(平成26年)には新工場を再建しました。

「色々な補助金が出るなんて頭になかったから、とにかく自力で何とかしないと、と思ってね。仮設工場に入るまでは、床が斜めで体がおかしくなりそうだったし、壁も無くて風よけにブルーシートを貼っただけだったので雪が降ると本当に寒くて。そんな中、従業員は本当に頑張ってくれたと思います。震災から1年後に仮設工場に入り、その2年後には新工場が完成しました。当時は資材不足で工期の遅れが相次いでいたけれど、建設業をしている後輩が“先輩だったら何とかします”と頑張ってくれたおかげで、新工場は塩釜でもかなり早い時期に完成しました」

2014年に完成した新工場

風評被害を、高級路線&海外進出の2軸で跳ね返す

かなりのスピードで復興を遂げた岸柳水産ですが、思わぬ事態が起こりました。風評被害により、当時の大口顧客が離れてしまったのです。検査体制が整い安全が確認されても、一度失った販路を回復するのは困難を極めました。

「原発の問題が出た時点で、ずっと順調に取引をしていた関西の会社からの注文がストップになってしまって。向こうは放射能とは言わないけれど、きっとそうだったんだと思います。検査をして、“安全なので再開してください”と連絡をしても、すでに他の地域の会社とのつながりができてしまっているので、もう入り込めないんですよね。いまだに当時切れたつながりは戻せていません」

大幅に縮小した販路を拡大するため、岸柳水産は新商品を携え、展示会などに積極的に参加します。その際、反響があったのは脱気して個包装した「調味漬けのセット」。しかし、そこで課題が生じました。

「震災後、調味漬けも本粕漬けのような高級路線に切り替えたので、ギフト向けに使いたいという声は多かったんです。個包装の商品は人気が高くて、すぐにお中元・お歳暮商材として採用されました。手作業で脱気をしていたんだけど、時間がかかりすぎて数がこなせなくなってきて。これ以上取引が大きくなったら納期に間に合わなくなると思いました」

そこで岸柳水産では、令和4年度の販路回復取組支援事業を利用して真空包装機を導入しました。これにより脱気作業を自動ライン化することができ、今まで5時間で1,500パックだった生産量が3時間で2,000パックへと跳ね上がりました。またこの工程に必要な作業人数も12名から9名まで減らすことが可能になったのだそうです。

真空包装機
導入した真空包装機を使って作った商品

「この真空包装機を使った商品は今、マレーシア、香港など海外にも輸出しているんです。真空だと保存期限が長くなるので品質保持にも役立っています。生産量が確保できる目途が立ったので、今後は輸出をさらに強化していきたいですね」

輸出事業は地元の買受人組合やかまぼこ組合など様々な組合が集まって立ち上げた「塩竈水産品協議会」を通じて行っています。事務局は乃布夫さんが組合長をしている塩釜市団地水産加工業組合で、2017年(平成29年)1月より本格的に海外への販路開拓を進めているのだとか。

「私も数年前バンコクに行き、現地で日本人がやっているレストランを借りてタイのバイヤーさんを呼び、試食イベントをしたり、塩釜の有名な寿司屋の大将を連れて行って、持ち込んだマグロの解体をしたりしました。今後はベトナム、台湾、ヨーロッパなどにもどんどん販路を広げていきたいです」

海外でのイベントの様子

個人、海外など「良いもの」を分かってくれる顧客と出会いに行く

塩釜市団地水産加工業協同組合の組合長、市場関係の責任者など様々な役職を務める乃布夫さん。震災時も、東北六県の水産業関係者と協力体制を作り、震災からの復興、風評被害への対策などを話し合い、ともに手を取り合いながらここまで歩んできました。自社だけではなく、業界にも貢献するのはなぜなのでしょう?

「人間は食べなければ生きていけないでしょう。だから私は食、特に水産に対する思い入れが非常に強いんです。魚は人間の体を作る上で本当に良いたんぱく源。昔から魚を食べる民族である日本人は寿命が長いと海外での注目度も上がり、今は海外の方が積極的に魚を食べ始めています。それなのに日本では水産業は衰退傾向が著しい。それを何とかしたいと思っています」

そのため代表を務める塩釜市団地水産加工業協同組合では、小学生に「実際に料理をして、魚を食べてもらう」という食育体験の場を提供しているのだそう。また岸柳水産としては、個人のお客様に直販できるよう市場内の売店で商品を販売しています。直販は「利益率を確保する」という経営上の理由だけではなく、個人客と対話してニーズをリサーチするという目的もあるのです。

市場にある岸柳水産の売場。直販店ならではのお買い得な商品が並ぶ

「お客さんと話す中で、“一般家庭の主婦の方は、魚の頭や内臓をとるのはイヤなんだなぁ、では工場で全部取ってしまおう”など新商品を開発するヒントがたくさん得られます。贈答用のセットなど高級志向に舵を切るためには、個人客の開拓も欠かせません」

日本の量販店では「低価格」が重視され、高品質の商品はなかなか扱ってもらえないけれど、海外の富裕層は「良いものや美味しいものであれば価格は問わない」という考えなのだとか。世界でも魚を見る目、こだわりが強くなるので厳選して良い商品を提供し、信頼を勝ち取ることで外需の拡大を計ります。

「どんな状況でも伸びている企業は必ずあるので、いいところを真似していかないといけません。立ち止まっていたらジリ貧なので、うちでできることは何だろう、というのを日々考えて、努力していくのが当たり前のことだと思っています」

日本の水産業の未来を憂いつつも、個人顧客、海外など「良いもの」を喜んでくれる相手を探し、提供していく。その地道な努力こそが、「魚の良さ」を伝え、守るのに最も有効な手段なのかもしれません。

岸柳水産株式会社

〒985-0001 宮城県塩釜市新浜町3-11-15
自社製品:海タラフィレ、赤魚粕漬、サバ西京味噌漬 等

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。