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企業紹介第178回青森県株式会社さ印さんりく

感覚を研ぎ澄まし磨いてきたノウハウを伝え
次世代に任せられる現場を開拓していきたい

青森県青森市に本社を構える株式会社さ印さんりく。陸奥湾や北海道の各漁港で仕入れたイワシ、サバ、ホッケ、ホタテ貝などを東京をはじめ全国の卸売市場に販売しています。

1989(平成元)年、39歳の時、現在と同じ地で「有限会社青森さ印さんりく」を創業し、北海道に釧路工場(白糠郡白糠町)、浜中工場(厚岸郡浜中町)を立ち上げるなど事業を拡大しながら、現在約30人の従業員を束ねているのが取締役会長の阿部久さんです。

創業者で取締役会長の阿部久さん
創業者で取締役会長の阿部久さん

阿部さんは、宮城県石巻出身。同社創業前は、主に冷凍イワシの売買の仲介人として一人で商売を行っていました。品質の良いイワシを探し、常にアンテナを張っていた当時、陸奥湾にイワシの生簀があることを知ります。この地域では定置網漁で獲ったイワシを別の網に入れ畜養していました。これを見てすぐに「漁が無く市場に魚がないときに生簀から出荷することができれば、よい商売になる」と閃いた阿部さん。陸奥湾に面したこの地に拠点を構え、鮮魚の卸売販売をスタートさせました。

2002(平成14)年には「株式会社さ印さんりく」に社名を変更。さらに、石巻に支店と工場を開設し、「いつか故郷に拠点を構えたい」という夢を叶えたのです。

順風満帆とも思える阿部さんですが、その道は平坦ではありませんでした。約25年前、40代半ばで網膜色素変性症を患い「失明する」と医師から宣告を受けたのです。石巻工場を立ち上げる以前のことです。

「メモするときにはもともと鉛筆を使っていたんですが、その字がだんだん読めなくなってきて。次はボールペン、マジックペン、筆ペンと徐々に濃く太いものに変わっていき、最後は全く見えなくなりました。失明してからも仕事をこれまで通り続けられるように、まだ目が見えるうちに体にあらゆる感覚を覚え込ませました。従業員や家族を食べさせないといけないし、自分も食べていかないといけない。夢中で努力しました」

イワシは、他の魚よりも傷みやすいため鮮度が勝負。指先の感覚や嗅覚、すべての感覚を研ぎ澄ませて、魚の良し悪しを見極めます。

「新鮮なイワシは、赤ちゃんの肌みたいな質感というのかな。ただやわらかいだけじゃだめ。それにぬめりや匂いで、鮮度は分かります」

このほか、梱包、輸送の際には、鮮度と品質を保つ効果がある自社製の「海水氷」を使用するなど細心の注意を払っているといいます。

釧路で水揚げされたイワシに出合ったとき
「もう一度やってみよう」と

工場も順調に稼働し、石巻でも有数の鮮魚出荷量を誇っていた同社でしたが、2011年3月11日、東日本大震災に見舞われます。震災による津波で、石巻にあった工場と阿部さんの自宅は流され、全壊となりました。

震災当日は同社現社長を務める、妻・恵美さんとともに石巻におり、突然の大きな揺れに「これはただ事ではないな」と感じたといいます。恵美さんの実家のある高台へ避難しましたが、携帯もつながらず、食料もない状態。このまま石巻にいてもなすすべがなく、余震が続く中、山形方面を経由して本社工場のある青森へ移動しました。青森に戻ってからは「ふるさとで苦しんでいる人を助けないといけない」と直ちに石巻に物資を送る準備に取りかかります。

北海道から水や食料品などの物資を取り寄せ、その支援物資を従業員や石巻の同級生らとともに自社のトラック3台に積み込み石巻へ。石巻の10カ所の避難所をはじめ、孤立した自宅避難者にも物資を届けました。

石巻工場の復旧にも一度は着手したものの、その後の原発事故による影響を受け、売上は震災以前と比べて半減。やむなく石巻工場の閉鎖を決めました。(事務所は現在も石巻に所在)

「当初は再開できると思っていました。地震だけだったら。消費者に三陸の水産物への不安が広がっていることなど、原発事故の影響へのショックが大きかったですね」

その後は、気力の湧かない状態が続いたと言います。視力を失った時は、自分でその事実を受けとめ、努力を重ねて乗り越えてきた阿部さん。震災はその時よりもはるかに大きなダメージだったと当時を振り返ります。

「でも被災してから2年くらい経った時かな。ある日、北海道でイワシが揚がったよ、と連絡をもらってサンプルを確認しに行ったんです。釧路で揚がったそのイワシを触ってまず大きさに驚きました。ニシンほどの大きさのイワシでした。この立派なイワシと自分の鮮度保持のノウハウがあれば、いい商品が作れると確信しました。背中を叩かれたように、そこで目が覚めたんです。釧路に拠点を置いてもう一度やってみようと」

2014(平成26)年には釧路市の隣、白糠町に工場を開設、本格的に北海道での鮮魚出荷に乗り出し、2019年には浜中町に浜中工場も開設しました。その後は北海道で獲れるイワシの鮮魚としての付加価値を高めるために、奔走します。

「北海道ではイワシの価値が低くて、魚の餌用として使われていたため、鮮魚として出荷できるようなレベルの品質管理はされていませんでした。そのため漁協や漁師とコミュニケーションをとって、ときにはやりあったりしながら(笑)、許可を得て実際に漁船に乗り込んで、イワシの鮮度を保つための漁の方法や鮮度管理についても、現場で教えました」

イワシの品質の高さは評判を呼び、白糠町のふるさと納税の返礼品にも採用されました。また、イワシのほか、ホッケ、カレイ、ホタテ、近年はサバ、ブリなど広く北海道の漁場で水揚げされる魚を取り扱い、全国へ展開させるようになりました。

ふるさと納税の返礼品に選ばれた白糠町のイワシ。大ぶりで脂乗りもよく刺身で食べられるほどの品質で、鮮度保持のため海水氷に入れて届けられる
ふるさと納税の返礼品に選ばれた白糠町のイワシ。
大ぶりで脂乗りもよく刺身で食べられるほどの品質で、鮮度保持のため海水氷に入れて届けられる

売上は徐々に戻りつつあるものの、震災前の水準には及ばずにいました。ここからさらに売上を回復させるためには、鮮度の良さで差別化を図ること、作業の効率化を行い、増産体制を整えることが必要でした。

自動選別機ラインの導入で、品質向上と作業効率化。
青森の地の利を生かした商品力を

この課題を解決するために、まず同社の拠点である青森工場の生産能力改善に着手します。

「現在も同社売上のうち、青森工場からの出荷が5割を担っており、同社の基盤であることに変わりはありません。それに、創業のきっかけでもある陸奥湾での生簀を利用したイワシの出荷は、今も当社商品の強みであり商売の柱のひとつです。また、海水温上昇などの要因で、例えば以前は三陸以南だったイワシをはじめ、サバ、ブリなどの漁場が、近年北上している傾向がありますので、まだまだ青森工場の増産を図れると思いました。」

そこで導入したのが、自動選別機ラインです。

これまでメインで取り扱っているイワシは一匹一匹、手作業で大・中・小のサイズに選別していました。1,500箱の製品を製造する場合、従来は12名で7時間かかっていたところ、機械化後は8名で5時間で終えられるようになりました。4名の省人化と、2時間の短縮ができたことから、ホタテ、ブリ、アジなど、ほかの魚種の製品製造も行なうことができるようになり、大幅に作業効率と生産性が向上しました。

「手で触る必要が無くなったため、人間の体温による鮮度低下も防げるようになりました。時間が短縮できただけではなく鮮度管理の面でもメリットが大きいです」

さらに、青森工場での増産が実現した結果、北海道・函館の南茅部魚協で、朝仕入れたイワシやサバなどの魚を、トラックとフェリーを使って青森工場に搬送し、自動選別機にかけ、その日のうちに東京に出荷できるようになったことも自社の商品力の向上につながった、と阿部さんは言います。

従来の手作業による選別作業では、函館で朝揚がった商品を当日に東京まで出荷することは、難しかったそうですが、選別作業の機械化による生産性の向上で、北海道と本州を最短ルートで結ぶフェリーの発着地である同社の地の利もさらに活かせるようになったのです。

自動選別機ライン。従来は手作業で行っていたイワシの選別に主に使用し、大幅な作業時間短縮と増産が可能になった

また、出荷前の製品はウイング車で保冷を行っていましたが、真夏はどうしても温度が下がりきらず、一緒に入れている氷が融けてしまうという問題がありました。そこで、温度を低温に保つためチルド冷蔵庫を導入します。

チルド冷蔵庫。猛暑の最中でも品質の維持が可能になった

取材で訪れたのは、青森も最高気温が35度以上の猛暑が続いていた盛夏。

「この猛暑でも、梱包の際に詰めた氷が融けることなく着荷時の鮮度状態がとてもよいという反応を取引先からいただいています。鮮度の面で他社とさらに差別化が図られたことで、うちの商品を選んでもらいやすくなりました」

これらの機械化、工場全体での作業効率の見直しを図ったことなどが功を奏し、直近の決算では、震災前の8~9割近くまで売上を回復できる見込みです。

若い人を育てるのが喜び。
新たな魚種、フィレ加工にもチャレンジ

同社では、新規事業の積極展開も図っています。2023(令和5)年8月には、北海道・岩内町に新たな工場を開設。取材時には、その準備が急ピッチで進められていました。

自動選別機の導入で省人化が図られたことで生み出せた余力を、岩内の新工場に投入。この新工場を任せているのは、26歳の若手従業員です。

「岩内工場では、ホッケ、タラのほか、取り扱いが初めての魚種となるサケも取り扱う予定です」

阿部さんは、自身が感覚を研ぎ澄ませて習得してきたイワシの目利き、鮮度の判断のノウハウを若手従業員に伝えることを課題としています。

「まず私が手で感じた感覚を伝え、魚の状態を一緒にいる従業員に聞いてみます。魚の色、姿に鮮度は表れてくるので、そこを本人に確かめてもらい、双方で鮮度を確認します」

こうして、現場でひとつひとつ鮮度管理についても伝えてきました。

「若い従業員に任せた仕事をやり遂げてくれたときが、この仕事をやっていて今一番の喜びになっていますね」

岩内町からは、ふるさと納税の返礼品製造、提供の依頼を受けており、返礼品用商品としてサケ、イクラ、またフィレ加工商品の開発なども検討しているそうです。

2023年8月に新たに開設した北海道・岩内営業所。
阿部風雅さんが26歳の若さで責任者を努める

さらに、同社では北海道の留萌から寿都にかけての日本海側で大量に揚がるホッケ、タラなどを凍結できる工場がない点に着目、ここに凍結庫と保管庫を作ることを目標に据えています。

「若い従業員が経験を積むことができ、会社に長く残ってもらえるような仕事、現場を開拓していきたいと思っています。そのためにも当社の基盤である青森工場の生産量と売上を、今後もっと伸ばしていきたいです」

「努力して運を呼び込むのが信条」という阿部さん。その意志を未来につなぎ、若手がいきいきと活躍する「さ印さんりく」の今後の展開が楽しみです。

株式会社さ印さんりく

〒038-0054 青森県青森市大字奥内字平塚13-31
自社製品:イワシ、サバ、ホッケ、イカ、カレイ、ホタテ、ワカメなどの鮮魚・海産物一次加工品

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。