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企業紹介第1回宮城県ミツワフーズ株式会社

“ ロシア帰り ”の職人が切り開く「たらこの聖地・石巻」復活への道

辛子明太子といえば福岡県の博多が有名ですが、「たらこ」の加工生産地として、かつて宮城県石巻市が日本一を誇っていたということはご存知でしょうか。

東日本大震災の津波により、工場や設備、車両、原料、商品などすべてを失ったミツワフーズは、この石巻で「日本一」の復活を目指して、今日も元気に営業中。

プレハブの仮設販売所で、社長の髙橋秀樹さん(52)は、「たらこ」への熱い思いを語ります。

「生産量での日本一を取り戻そうというのではありません。創業以来、最高のたらこをお客様へお届けすることをモットーにしてきた私たちは、品質で日本一と認められるように、おいしいたらこを追求しています」(髙橋秀樹さん・以下「」内同)

腕利きの「たらこ職人」でもある ミツワフーズ・髙橋秀樹さん
腕利きの「たらこ職人」でもあるミツワフーズ・髙橋秀樹さん

もう一度「たらこ日本一の街」を目指して

髙橋さんが質で日本一を目指すのには理由があります。

1960年代、日本の中型底引き網漁船(北転船)がカムチャツカ半島沖やベーリング海で操業を開始すると、石巻の港には大量のスケトウダラが水揚げされるようになります。これに伴い、スケトウダラの卵(スケコ)を塩漬けにした「たらこ」の加工業者も増え、最盛期は60社以上にものぼったそうです。

ところが80年代以降、各国の排他的経済水域の設定などを受けて日本の漁船は北洋海域から締め出されるようになり、スケトウダラの水揚げ量は激減しました。今や国内に出回る国産のスケコはわずか1割。残り9割は、アメリカ産とロシア産のものです。

「スケコの高騰によって同業者たちは次々にやめてしまいました。たらこの国内消費量も年々落ち込んで、そんな中で震災が起こった。今も石巻でたらこ加工業を続けているのは、5~6社だけだと思います」

現実的に考えて、生産量で石巻が再び日本一になることは難しい。 でも品質勝負でなら、石巻はまた「たらこ日本一の街」になることができる。 自分たちが価値の高い商品を生み出すことが、石巻の水産業界の復興にもつながると考えたのです。

それはただの願望ではありません。髙橋さんには、経験に裏打ちされた自信もありました。

若きたらこ職人として、ロシアの船を渡り歩く

たらこ業界に30年以上携わっている髙橋さんは、若い時から優れた「たらこ職人」として活躍していました。大きな転機となったのは23歳の時。当時、石巻市内の水産加工会社の一従業員だった髙橋さんは、日本の商社の要請を受け、ロシアのスケトウダラ加工母船に乗ることになったのです。

指導員として乗り込んだロシアのスケトウダラ加工漁船での1枚
指導員として乗り込んだロシアのスケトウダラ加工漁船での1枚

「当時はロシアのウラジオストクやナホトカにある冷凍倉庫まで、日本人の水産業者がスケコを買い付けに行っていましたが、問題は品質が安定しないことでした。スケコの品質には1級から5級まであるのですが、ロシアは検品技術が低く、1級のものを買っても質の悪いものが混ざっていることが珍しくありませんでした」

スケコの価値を高めたいロシアと、品質の良いスケコをできるだけ安く買いたい日本の商社。両者の思惑が一致して日本から派遣されたたらこ職人の一人が、若き日の髙橋さんだったというわけです。
髙橋さんはそれから数年間、1月から5月の間はロシアの加工母船に乗り込み、スケコの加工・処理の指導を行いました。船から船を渡り歩いて、合計30隻以上には乗ったといいます。

もともと腕利きのたらこ職人だった髙橋さんは、この経験でさらに腕に磨きをかけました。

「たとえば同じ重量のスケコでも、調味液に漬けた加工後に歩留まりの良いものと悪いものがあります。良い卵ほど水分の吸収力が高く、調味液をほどよく吸い、味も良くなります。たらこ職人はいつもおいしいたら子を作るため、『質のいい卵をいかに見つけるか』ということに力を入れています」

「老舗しか生き残れない」という業界でミツワフーズが今日まで存続できたのは、髙橋さんの目利きの良さがあったからこそだといえます。29才の時に独立した髙橋さんは、「若い時はうまくいくことしか考えていなかった」と根は楽観的ですが、それでも東日本大震災から立ち直るのは簡単なことではありませんでした。

気力なくすもボランティアの助けを借りて工場再開へ

多くの会社と同様、ミツワフーズも営業時間のさなかに被災しました。

「とにかく揺れがすごかったので、家に帰れる人はすぐに帰ってもらいました。私もそろそろ帰らないとな、と思って車に乗りかけたところで、海水がちょろちょろと足元まで来ました。それから波が頭の高さを超えるまではあっという間で、私は窓の桟(さん)にしがみつきましたが、このままではまずいと思い、わざとブロック塀のところまで流されて、そこから木に登ったり、浮いている畳の上に乗ったりして何とかやり過ごそうとしました。雪が降ってきて寒くてどうしようもなかったところに、工場の隣の家に住んでいる方が私を見つけて、屋根から2階にあげてもらった。そこで2日間、ラジオの情報だけを頼りに過ごしていました」

津波により工場は全壊。大事なスケコも冷凍庫ごと処分するしかありませんでした。

「5人の従業員は全員無事でしたが工場を再開できないので、『またやるつもりだから、その時はよろしく』と言って解雇扱いにし、退職金も整理しました。でも、再開したくてもどこから片づけていいのかわからないから、全く力が入らずにこの辺りをぶらぶらとする毎日でした。昼間は水汲みに時間を取られ、夜は電気がないから寝ないといけない。ロシアで最長20日間風呂に入れないことがあって『こんなことは一生ないな』と思っていたのに、その記録は簡単に破られました」

なかなか再スタートを切れない中、季節は春から夏に移り変わっていましたが、「あそこの工場は再開したようだ」という話を業界の仲間から聞くと、自分もやるしかないという気持ちがふつふつと湧いてきたようです。

「ボランティアの皆さんに片付けを手伝ってもらって、翌年の3月に現在の仮工場を建てて製造を再開しました。戻ってきた従業員は一人だけでした。被害が大きかった場所でまた家を建てるところから生活を再開するのは難しいことなので、仕方ありません。それでも現在は従業員の数も10人ほどに増え、売り上げもようやく震災前の水準に戻ってきました」

たらこの加工が行われているミツワフーズの工場内
たらこの加工が行われているミツワフーズの工場内

仮設工場ながら何とか軌道に乗り始めたミツワフーズ。
それでも「震災前と同じようなやり方では生き残れない」と髙橋さんは言います。

「これからは、いかに付加価値のあるものを出せるか、が大事だと思っています。販路も自分たちで開拓していかないといけない。消費者のニーズも変わっています。昔は業務用の大型のパックでスーパーなどに納品していましたが、今は小分けにしてそのままお客様の手に届くような状態にしています」

付加価値のある商品として生まれたのが、同社が最高峰のたらことして送り出す「伊達のたら子」シリーズでした。

伊達の名を冠する最高級たらこ 品質重視の商品を日本中へ

「伊達のたら子」に使用されるスケトウダラの卵は、品質がよいといわれるアメリカ産のスケコを使用しています。髙橋さんによればロシア産のものに比べて、ずしっとくる重さがあるのだそうです。

「水揚げされたスケトウダラから卵を取り出す加工場所は、主に3つあります。陸上工場、私が若い頃に乗っていたような母船型工場、そしてもう一つは漁に出ている船(CP船)です。当然ながら、新鮮なうちに加工・冷凍されるほうが品質はよいので、私たちはCP船のものを使っています。もう10年20年と、同じ船から仕入れています」

素材にこだわるレストランが契約農家から新鮮野菜を仕入れるように、髙橋さんもまた、いつも同じ船から新鮮なスケコを仕入れています。「伊達のたら子」シリーズの商品化に踏み切ることができたのは、良質なスケコを安定して入手できるルートを持っているからなのです。

「伊達のたら子」シリーズは100グラム950円から販売中
「伊達のたら子」シリーズは100グラム950円から販売中

商品名に「伊達」を冠したのにも理由があります。

「仙台藩初代藩主としてこの地を治めた戦国武将の伊達政宗の名にあやかりたいと思い、当社の最高級品にその名を付けました。伊達家からも正式に、名称と紋所の使用許可をもらっています。全国的にも知名度が高い伊達家のブランディング力を活かして、この商品を全国に広めたいですね」

他にも「お刺身たら子」や「お刺身辛子明太子」といった商品を開発。
通常、スーパーなどに並ぶたらこは加工後に一旦冷凍され流通しますが、この商品は冷凍をせずにチルドの状態で流通・販売されるので、たらこ本来の味を楽しめるということです。

「お刺身たら子」「お刺身明太子」は完全受注生産
「お刺身たら子」「お刺身明太子」は完全受注生産

これからのミツワフーズ

このようにブランディングに力を入れる髙橋さんは、機械の導入による作業の効率化も進めています。

「たらこに調味液を浸透させるための『手返し』という作業があります。漬け樽一つが15キロから20キロあって、それを30個分、手でひっくり返していく作業なのですが、漬けている間はこれを1日10回やらないといけないので腰にも負担がかかります。私は土日も関係なくずっとやってきたことなので慣れていますが、今の若い人たちには厳しいと思い、自動回転機を導入しました。手作業よりも切子になってしまう率は高くなってしまいますが、それは加工品に回せますし、何より他の作業に時間をかけられるようになったことが大きいですね」

たらこの漬け樽を「手返し」する髙橋さん
たらこの漬け樽を「手返し」する髙橋さん
自動回転機を導入し、効率化を図る
自動回転機を導入し、効率化を図る

ただ商品を売るだけではなく、地元の雇用創出にも貢献したい。そんな思いもあるようです。 近いうちに新しい工場に移転することになっており、実現すれば効率はさらに上がりそうです。

「最近はせんべいやパスタなど、たらこや明太子の加工品が増えてきました。今後は皮なしのたらこが主流になるんじゃないかと思いますが、それでも本物は残ると思います。当社としては本物のたらこのさらなる追求と、たらこ加工商品の開発の2本立てで頑張っていきたいと思います」

たらこの聖地、石巻を取り戻すために、髙橋さんの奮闘は続きます。

ミツワフーズ株式会社

〒986-0025 宮城県石巻市湊町四丁目1番地31(工場・事務所)
自社製品:「伊達のたら子」シリーズ、「お刺身たら子」ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。