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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

原発事故で仕入れがなくなるも「ツブ貝ならある」

創業は江戸時代というヤマコイチ。鐵さんの代で6代目になるのだそうです。全国的には珍しい鐵さんの苗字ですが、この大津では昔から知られる名前で、明治時代に地元で活躍した実業家、鐵伝七は大津村(当時)でアワビの缶詰工場を作り、県会議員と議長も務めていました。

ヤマコイチではかつて、漁に出て鮮魚を扱う仕事もしていましたが、先代からは加工一本。なんでも鐵さんの3代前に鮮魚で失敗をし、ひいおじいさんは母親から「孫子の代まで船はやるな、船をやったら化けて出るからな」と言われたのだとか。そんな背景もあり加工業へのシフトが早かったヤマコイチですが、ツブ貝を始めたのは同社の歴史の中ではごく最近のことだといいます。

注文が増えているヤマコイチのツブ貝

▲ 注文が増えているヤマコイチのツブ貝

「ツブ貝を始めたのは2000年頃からです。それまでは冷凍業をメーンに、イワシやサバを扱っていましたが、勿来(なこそ、福島県)の競り人から『ヤマコイチがツブ貝を買ってくれるなら船を持ってくるよ』と言われたのをきっかけに扱うようになったんです」

ただ、その頃はまだツブ貝が主力だったわけではありません。
さまざまな加工品で表彰されていたように、近くの港に水揚げされる魚を取り扱っていました。

ところが震災によって転換を余儀なくされます。鐵さんは震災当時をこう振り返ります。

「津波はうちの工場までは来ませんでしたが、地震の揺れで電気も水も止まって作業ができないので、その日は従業員にも帰ってもらって、作っていたイカやアジの開きは近所の小学校の避難所に寄付しました。電気が通るまでの一週間、冷凍庫は一度も開けずにおいたので室温はマイナス18度あって、冷凍保存していた原料などは無事でした。地震の揺れで冷凍庫の配管が破損するなどの被害もありましたが、グループ補助金の申請をして、修復費用にあてることができました」

地震そのものの影響は大きくなかったヤマコイチですが、福島第一原発事故の影響をもろに受けます。

「震災までは福島県の港からサケやメロウドを仕入れていましたが、それが原発事故の影響でまるまるなくなってしまいました。そのためその年は、それまで細々とやっていた開きや干物に比重を置きましたが、思ったほどは伸びませんでした」

そんな中、震災翌年に宮城県や茨城県の一部でツブ貝の漁が再開されます。「ツブ貝ならある」。 そう思った鐵さんは、ツブ貝の仕入れ量を増やしていったのです。

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