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企業紹介第31回宮城県盛信冷凍庫株式会社

休業中も従業員に給与支給していた「石巻の冷蔵庫」

東日本大震災で甚大な被害に遭った東北の水産加工業者の中には、従業員をいったん解雇して失業給付を受けてもらい、工場が再開してから再雇用をする形をとった会社も少なくありませんでした。しかし宮城県石巻市の盛信冷凍庫では、2012年10月に工場が再開するまでの1年半もの間、売り上げが立たない中で従業員に給料を払い続けていたのだそうです。社長の臼井泰文さんはなぜ、そのような決断をしたのでしょうか。

震災後、工場再開の目処が立たない中でも雇用を維持した臼井さん
震災後、工場再開の目処が立たない中でも
雇用を維持した臼井さん

「当社は冷凍冷蔵業の傍ら水産加工業にも取り組んでいますが、社員数は30人と多くありません。その代わり、どちらの業務もマルチにこなしてもらっているように一人ひとりのスキルは高い。彼らを解雇してしまうと、休業中に別の会社に再就職してしまう可能性があります。それは従業員個々のスキルに支えられているうちにとっては死活問題です。彼らを取られたくないという気持ちで雇用し続けました」(臼井泰文さん、以下同)

従業員を雇い続けたいと思っても、売り上げがない中で継続的に給料を払い続けられる会社はそうそうありません。ただ盛信冷凍庫の場合は、会社にそれだけの体力が残っていたことと、少数精鋭のため従業員の数が多くなかったことが幸いしました。

「人がたくさんいるよりも少数でもスキルの高い人がいてくれたほうがいいので、業界水準よりも高い待遇を設けています。うちは定年以外の理由で辞める人がほとんどいませんし、定年後も元気な方は再雇用制度で70歳まで働いていますよ」

「人は宝」とはよく言われますが、それを実践している盛信冷凍庫の工場再開時には、震災前と変わらないメンバーが顔を揃えたのだそうです。

海に近いからこそあった津波への危機感

収容能力8000トンを超える冷蔵庫を持つ盛信冷凍庫は、漁港のある石巻では最大規模を誇る冷凍冷蔵業者です。少人数でも大量の魚をスピーディーに搬送しなければならないため、工場内はオートメーション化が進んでいます。

マイナス40度の超低温冷蔵システムを持つ巨大な立体冷蔵庫
マイナス40度の超低温冷蔵システムを持つ
巨大な立体冷蔵庫
ダンボールの自動供給ロボット
ダンボールの自動供給ロボット
パレットを自動で積んでくれる装置
パレットを自動で積んでくれる装置
不漁のスルメイカだが冷凍庫には在庫がまだあり、一次加工して出荷している
不漁のスルメイカだが冷凍庫には在庫がまだあり、
一次加工して出荷している

今でこそ立派な設備が整っていますが、震災から現在に至るまでには多くの苦労がありました。臼井さんは震災当日の様子をこう振り返ります。

「これまでに体験したことのない大きな揺れで、建物が潰れるんじゃないかと思うほどでした。建物内にいるのも危険だし、津波が来るかもしれないと思って、揺れが収まって10分後には従業員に避難するよう指示しました。工場を開けっ放しにしたまま、私も数名を車に乗せて高台の自宅に避難しました」

漁港から50メートルほどの場所にある盛信冷凍庫には、7メートルの津波が押し寄せました。津波による多くの犠牲者が出た石巻市内ですが、海にほど近いこの地区にいた人たちには津波のイメージがあったため避難は早かったようです。犠牲者が多かったのは、漁港から400メートルほど離れた県道240号線をまたいだ北側の地区だと言われています。海からは少し離れているため、「まさかここまでは来ないだろう」と思っていた人も多かったようです。

工場2階の窓にある青い標識は津波の高さを示している
工場2階の窓にある青い標識は津波の高さを示している

津波による被害に見舞われた盛信冷凍庫の建物ですが、基礎がしっかりしていたため建て替えが必要になったのは事務所棟だけでした。しかし1階にあった機械はすべて使えなくなってしまいました。

「2日後くらいに工場に戻ってみると、1階はメチャクチャで仕事なんかできる状態ではありませんでした。機械だけでなく、4000トンの原料、金額にして7億円の被害がありました。
3月末までは自分が飲み食いするだけでも大変だったので、片付けをしようと思ったのは4月に入ってからです。従業員と一緒に片付けを始めて、結局それに2カ月かかりました。7月には市場も再開しましたが、魚がないので従業員には自宅待機という形を取ってもらいました」

臼井さんが工場に必要な機械を発注したのは、震災の年の年末のことです。それまではしばらく、津波のことで気分が滅入っていたといいます。

「街も何もかもメチャクチャだった。私たちは国から補助金を受けて何とか再開できましたが、この辺りでもいくつかの製氷メーカーや水産加工業者が廃業しました。もし補助金がなければ、うちも含めて9割の会社は廃業していたと思います」

機械の導入で中止していた干物加工を再開

震災から6年が経ち、売り上げも取り扱い数量も順調に回復してきた盛信冷凍庫。冷凍冷蔵業の傍ら行っている水産加工業も、本格的な再開を目指して動き始めています。

「水揚げが毎日あるわけではないので、凍結作業のない日はフィーレ加工、刺し身加工なども行っています。ただ、手のかかる干物加工だけは震災後しばらく休んでいました」

そこで昨年、復興支援事業の助成金を活用し、連続式冷風乾燥機やコンベアなど干物加工用の機材を導入しました。

短時間で干物加工を行う連続式冷風乾燥機
短時間で干物加工を行う連続式冷風乾燥機
加工した干物はフリーザーコンベアで冷凍庫に運ばれる
加工した干物はフリーザーコンベアで冷凍庫に運ばれる

これらの機械により効率的な加工が可能になりましたが、今度は別の問題が立ちはだかりました。

「スルメイカは不漁が続いています。また、サバの干物も価格競争が厳しくなっている。ですので今は本格稼働できない状況ですが、だからといって慌てないようにしたい。状況が改善した将来の軸にするために、今は試作づくりを進めている段階です。28年度は売り上げ2000万円を目標としていましたが、イカの一夜干しとサバの干物で3000万円くらいになりました。29年度は1億円を目指したいところですが、前浜でどれだけ魚が捕れるかにもよると思います」

目利きの力こそが会社の力

冷凍冷蔵業の傍らで加工業をする理由は、凍結作業のない日の時間を有効活用するためであるのはもちろんですが、それ以外にもあるようです。

「当社は原料を販売する会社なので、加工品を作ることで原料の品質の良さを知ってもらう機会になるとも思っています。そして何より、自分たちで魚をさばいて中身を見ることが大事。魚の中まで見ると、原料の質が正確にわかります。この情報を加工業者さんと共有できることは大きいと思います」

盛信冷凍庫では昭和54年の創業以来、石巻港に水揚げされるサバやイワシ、サンマ、イカなど、前浜の魚だけを扱ってきたといいます。原料販売で重要になるのは、原料の分別です。港から運ばれてきた魚は大きさなどもバラバラで品質が一定ではないため、それをランク分けして「盛信冷凍庫から買えば間違いない」と言われることを目指しているのです。正確性を高めるために、自社の加工品にはすべてロットナンバーを付けて、どの原料を使ったか後から遡って検証することも可能にしています。

ここまで原料の扱いに気をつかうのは、盛信冷凍庫が石巻のプライスリーダーであるという自覚と責任があるからです。

「石巻に揚がる魚の2割から3割は当社が買っているので、自ずとプラスリーダーになっています。だからこそ自分たちはちゃんと目利きができないといけない。目利きの力が会社の力と言ってもいいくらいだと思っています」

市場での買い付けはそれほど大事な仕事ですが、「今は息子に任せている」と臼井さん。「そろそろ私のような老残兵は引退して……」と言いながら顔がほころんだのは、目下の課題である世代交代が順調に進んでいるからなのでしょう。これからも人と機械への投資を進めていくそうです。

盛信冷凍庫株式会社

盛信冷凍庫株式会社

〒986-0022 宮城県石巻市魚町1-9-10
自社製品:冷凍原料、干物などの加工品

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。