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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

「工場はもうだめだ」と一度は思うも取引先の一言で再建を決意

小名浜港のあるエリアは太平洋に対して南向きに位置するため、津波をまともに受けることによる建物の損壊は少なかったものの、浸水被害は甚大。同社も工場内2mまで浸水し、設備機器すべて、トラック、フォークリフトなども使えない状態になりました。

「地震が起こった日、道路も瓦礫だらけで会社まで来るのも大変でした。やっとの思いでたどりついて最初に工場の状態を見た瞬間は、『もう再建は無理だな』と思いましたね。でも、とにかくお客様に納品する商品が冷蔵庫にあったので、それだけでもなんとかしなくてはと動きました。うちの工場は小名浜エリアでも被害が大きかったんですが、近隣の同業者の冷蔵庫は無事だったところが何軒かありました。みんなそれぞれ、うちは何トン預かれるよ。うちは何トン空いているからって声をかけてくれて。がれきをどかしながら道路をつくって、工場内も泥でいっぱいでしたが、フォークリフトが通れるだけのスペースを確保して、冷蔵庫の浸水部分の凍ってしまった部分をはがしながら、荷物を運び出し、声をかけてくれた同業者の冷蔵庫に商品をなんとか運びました。その矢先に原発事故が起きて、避難しろ……ですよ」

榮三さんは従業員には「避難するように」と声をかけ、機関士らと工場に残り復旧作業に当たったそうです。

「近隣の同業者の間でも、うちがもう辞めるんじゃないかと思われていたと聞きました。水産加工業というのは、ヨコのつながりで会社が回っている部分が大きいんです。たとえば、船を1艘、港に呼ぶとしても、うち1軒だけで揚がる魚を全部買えないので、たとえば、何軒かで100トンずつ買って初めて処理できる。自分の会社だけが残ってもやっていける商売ではないんです。でもうちの被害の大きさを見て、周囲も気を遣っていたのでしょう。やって欲しいと強く言われることもなく、どうするか見守っていてくれたように思います」

一時避難していた従業員が小名浜に戻りはじめた同年の3月末、これまでずっと同社から氷を買っていた鮮魚販売店の顧客から「氷、なんとかなりませんか」と相談がありました。当時製氷室に1本135㎏の氷の塊は残っていたものの、保冷用にするための細かく砕く機械が動かないので難しいと説明しましたが、返ってきた言葉はこうでした。

「自分たちでハンマーで細かく砕いて使うから出してほしい」

「その言葉を聞いて、やらなくちゃいけないなと強く思いました。ヨコのつながりがあって支え合っているからこそ、この地域の水産加工業がなりたっているんだと。そこからの動きは早かったですね。工場を再整備して、利益構造を変えるなら今やるしかない。そう思いましたね」

震災前から働いていた従業員もひとりも欠けることなく戻ってきました。震災のあった2011年の5月には一通りの設備の修理を終え本格稼働したものの、原発事故の風評被害による影響は大きく、同年の売り上げは原発震災前の3分の1に減少。ですが、同社では売上も設備も震災前に戻すことだけを目標にはしませんでした。もともと念頭にあった細かな選別のための工場のラインの増設を具体化していったのです。

「震災前から売り上げが3分の1となっている製氷工場の修理、再整備も課題ですが、現在の会社の状況から考えると、製氷にかかる設備投資は妥当ではない。だったらなおさら鮮魚、加工用原料として出す魚の付加価値を高めて売り上げを増やしていくしかない、とも思いました」

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