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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

上海から飛行機、バイク、車を乗り継いで被災地へ

「フカヒレ料理の専門店」の看板を掲げる石渡商店ですが、フカヒレは景気に左右されやすい食材。景気が良ければ同社の業績も上がりますが、景気が悪くなればフカヒレのような高級料食材は真っ先に“削減対象”になります。2008年のリーマン・ショックでも、同社は大打撃を受けたといいます。それでも2年ほどすると景気は上向き始め、中国では“フカヒレバブル”に。そんな状況に水を差したのが東日本大震災でした。

「私はその時、商談会に出席するため中国の上海にいました。日本が大変なことになっていると知ったのは、妻からかかってきた一本の電話でした。妻は慌てた様子で、『いま津波に追いかけられている』と話していました。妻が鉄筋の3階建ての建物に逃げ込んだところで、通話が途切れました」

翌日、石渡さんは急遽予定を変更して帰国。しかし交通機関が麻痺した状況での帰郷は簡単ではありませんでした。

「成田空港まで友人にバイクで迎えに来てもらい、板金屋さんから借りた車で気仙沼を目指しましたが、国道4号線は福島まで道路が凸凹になっていて車移動だけで20時間もかかりました。気仙沼に到着したのは地震から3日目の朝です。気仙沼の人たちはテレビも見られず、東北や日本全体がどうなっているのかも分からない状況でした。私は家族や当時の従業員32名の安否を確認するため、各避難所を歩いて回りました」

建物に逃げ込んでいた奥さんは無事でした。しかしお子さんを学校まで迎えに行った女性従業員1名が亡くなりました。工場は全壊し、2億円にのぼるフカヒレの在庫もすべて失いました。

そんな状況でも、石渡商店は再開を急がなければなりませんでした。日本は震災直後でも、中国が牽引するフカヒレ市場は引き続き好調。休んでいては復興が遠ざかります。そんな背景もあって、石渡商店は震災から4カ月後の2011年7月に仮工場での営業を再開しました。

「仮工場は狭かったため小規模の生産しかできませんでしたが、作ったものは順調に売れていきました。ところがその翌年、中国でいわゆる『ぜいたく禁止令』が出て、高級料理に使われるフカヒレの注文が激減しました。この法令により、香港ではフカヒレ業者の4割が廃業されたそうです。当社もフカヒレ頼みでやっていくことのリスクが高まり、フカヒレ以外で新しい柱を作るための新商品開発に着手しました」

決して容易なことではありませんが、石渡商店には新商品開発の土壌がありました。

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