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企業紹介第53回宮城県株式会社ささ圭

技術と信頼。形のない財産が復活を支えた。「手わざかまぼこ」で地域に尽くす

ささ圭常務取締役・商品開発室室長の佐々木堯さん
ささ圭常務取締役・商品開発室室長の佐々木堯さん

東日本大震災の4カ月後の7月1日。名取市増田地区に唯一残った店舗を改造して作った小さなかまぼこ工房。オープンを告げるのは小さな張り紙のみ。それでも、店の前には開店時間前から地元の人が大勢集まり、一枚一枚丹念に成型し、手焼きした手造りの笹かまぼこを手にしていったのです。

「地元の方から早く作ってほしい。全国の方からいただいた支援にお礼をするのに、やっぱりささ圭の笹かまぼこを贈りたい、とありがたい声をたくさんいただいていましたので、本当にうれしかったですね」と語るのは、「株式会社ささ圭」常務取締役・商品開発室室長の佐々木堯(ぎょう)さん。

同社は、宮城県名取市で1966年に創業(法人設立は1976年)。笹かまぼこ製造・販売するメーカーとして地元の人に愛されてきました。
東日本大震災の大津波で名取市閖上(ゆりあげ)地区にあった3つの工場をすべて失い、従業員3人が犠牲になる甚大な被害を受けました。現社長の佐々木圭亮さんは、「廃業するしかないのか」と一度は思ったそうです。

当時、堯さんは東京で大学に通う学生でした。テレビで故郷のまちが津波に流されていく様子を見て、「これは、みんなだめかもしれない」と思ったそうです。必死で携帯電話をかけ続け、ようやく夜になって電話がつながり、家族の無事を確認することができました。尭さんは、すぐに名取市に帰ろうと思いましたが、父の圭亮さんから「衣食住が不安定な中1人分更に増えるのも被災地では負担になるのでしばらく待つように」と諭されました。4月になりようやく家族がみなし仮設住宅に住めるようになってから、尭さんが名取市に戻り、震災後はじめて家族と対面。その後、閖上の工場跡に案内してもらい、瓦礫だらけのその無残な光景に言葉を失ったと言います。みんなで片付けを行っていると、瓦礫の山から笹かまぼこの製造に使用する金串を見つけたそうです。それから約1ヶ月、圭亮さん、堯さんはじめ従業員で、ひたすら金串を掘り出し、丁寧に洗う作業を続けました。

復活した創業時代の味。
「手わざ笹かまぼこ」は名取市の復興のシンボルに

従業員総出で瓦礫の中から掘り出し、現在も使用している金串を手にした赤川喜昭さん
従業員総出で瓦礫の中から掘り出し、
現在も使用している金串を手にした赤川喜昭さん

そんな時に、力強く声をかけたのが圭亮さんの父で創業者でもある佐々木圭司さんでした。
「すべて手造りなら、また笹かまぼこが作れる」

それは、創業当時の製法そのもの。震災後、その伝統の味が、震災から4カ月後の7月、復活することとなったのでした。当時を振り返って、製造部長の赤川喜昭さんは、次のように語ります。

「最初は驚きましたが、会長は戦争を経験し、物がない時代にささ圭を立ち上げてやってきた方。本当にできるんだ!と。工場は全部使えなくなってしまったけれど、もしかしたら……、と希望が見えてきた瞬間でした」

「石臼は回すのだけは機械がやりますが、すり身の状態を見て止めるのも、調味料を入れるタイミングも自分の目で見て判断します。原料のスケトウダラの大きさやその日の気温、湿度によっても変わってきます。まるで、生き物を扱っているようでしたね。焼き担当の人が待っているので、急いでしまったりすると使い物にならなくなってしまって、会長(圭司さん)に『これではだめだ』、と言われました。使えないすり身だと成型がうまくできないですし、焼いていてもはがれたり落ちてしまったりするんです。会長が毎日、今日はいいな、などチェックしていましたね。初めて石臼ですったかまぼこを食べた時は、特別な調味料を使わなくてもこんなにプリプリになるんだと驚きました」(赤川さん)

大学卒業後、手わざ笹かまぼこの現場に立っていた堯さんは、圭司さんの技術について「“たたき”という工程があるのですが、そこがうまくできないとプリプリとした食感がでないんです。言葉にはできない、いい具合の加減としか言い表せない、機械ではできないまさに人がなせる技でした」と話します。

「手わざ笹かまぼこ」を作る佐々木圭司さん(2011年当時)。1枚1枚ていねいに成型し手焼きします
「手わざ笹かまぼこ」を作る佐々木圭司さん(2011年当時)。1枚1枚ていねいに成型し手焼きします

「手わざ笹かまぼこ」を作る佐々木圭司さん(2011年当時)。1枚1枚ていねいに成型し手焼きします

その後、名取市の植松で新工場建設に着工し、稼働する2012年9月に完成しました。移転するまでの1年数ヶ月は、手造りの「手わざ笹かまぼこ」1本で営業し続け、「希望」と名づけられたこの商品は、名取市閖上地区、復興のシンボルともなりました。

手わざかまぼこ「希望」。名取市閖上地区の復興のシンボルとなった
手わざかまぼこ「希望」。
名取市閖上地区の復興のシンボルとなった

新工場稼働後は、順調に生産量を増やし、新商品の開発にも取り組みます。定番商品以外にも、ミニサイズの笹かまを透明なスタンドパックで包装した「ささ小町」などヒット商品を生み出しています。現在同社の製品は、工場併設の店舗・植松店、閖上さいかい市場店などの計3つの直営店舗のほか、仙台空港、仙台駅ほか東北自動車道のサービスエリア、パーキングエリア内の売店で販売。売り上げも震災前の約7割まで回復しました。

「津波で顧客データをすべて失い、安定供給もままならない状態で、普通なら取引中止となることがほとんどです。ところがうちは会長、社長はじめ従業員がこれまで築いてきた信頼があったおかげで、ささ圭の商品を売りたい、と待っていてくれた取引先もたくさんありました。本当にありがたかったですね」(堯さん)

本社工場併設の店舗「植松店」
本社工場併設の店舗「植松店」

震災後、手造りでのかまぼこ製造に取り組むなかで、大きなことを学んだという赤川さん。新工場が稼働してからも、機械だけに頼って自動化はせず、手動操作で、すり身を作るところから始めたそうです。

「すべてを自動化してしまうと、大きな災害などでプログラムがなくなってしまったときに、なにもできません。それでは甘いなと気づかされました。機械で作る工程があっても、作っている途中の音で、今すり身はこういう状態だな、と判断できないといけないんです」(赤川さん)

定番商品としてギフトに人気の「吉祥」(左)と、お土産として人気の「こやきささ小町 プレーン」(右)
定番商品としてギフトに人気の「吉祥」(左)と、お土産として人気の「こやきささ小町 プレーン」(右)

定番商品としてギフトに人気の「吉祥」(左)と、お土産として人気の「こやきささ小町 プレーン」(右)

看板商品を守り技術を引き継ぐために機械化で省人化を図る

新工場稼働後も、コストや労力のかかる手わざ笹かまぼこはラインナップのひとつとして作りつづけています。それはどのような理由からだったのでしょうか?

「一枚一枚手で作る手わざ笹かまぼこの一日の生産量は約4000枚。工場で機械でつくる笹かまぼこは、1時間あたり4000枚です。たしかに、新工場稼働の際は、手造りでの製造を中止する話も出ました。でも、この技術があったからこそ、ささ圭は復活できた。そして地元の人に希望を与えることができた。その技と心をきちんと引き継いでいかなくてはいけない、そうみんなで話して継続を決めたんです」

そこで取り組んだのが、この技術とささ圭の看板商品を守っていくための省人化、機械化できる工程の効率化です。

導入したのは、包装、梱包作業の工程を担う段積み十字掛梱包ライン一式。この機器の導入によりこれまで、包装、包装した製品を台に運んで重ねる人、十字に結束し、重ねるまで4人で行っていた工程を1~2人で行うことができるようになりました。また、包装と同時に出荷用梱包が終了するため、仕掛け品がなくなり包装品目の切り替え時間が短縮するという成果が出ています。

笹かまぼこの製造工程。擂潰(らいかい)と調味。すり身をボールカッターでていねいにすりつぶし味付けをする。その日の気温やすり身の状態で微妙な調整が必要
笹かまぼこの製造工程。擂潰(らいかい)と調味。すり身をボールカッターでていねいにすりつぶし味付けをする。その日の気温やすり身の状態で微妙な調整が必要
	導入した段積み十字掛け梱包ライン一式。箱の大きさに応じて何段重ねるかを設定すれば、包装し、自動で積み重ね十字に結束するところまでを1ラインで行える
導入した段積み十字掛け梱包ライン一式。箱の大きさに応じて何段重ねるかを設定すれば、包装し、自動で積み重ね十字に結束するところまでを1ラインで行える/figcaption>

「できるところは機械化することで、当社が力を注ぎたいのは、かまぼこ職人としての人材育成です。かまぼこの専門知識を身につけてほしいという願いから、研修会も積極的に行い、年に2回のかまぼこ大学(※)にも製造部門の社員を参加させています」(堯さん)

(※)全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会主催で、資源問題や衛生管理に関する諸問題や、水産ねり製品製造の基礎技術を学ぶ講座。夏期と冬期の2回開催している。

それぞれの人に合わせた勤務形態を可能にし、地元の人材を活用。地域に貢献したい

職人としての伝統の手わざを守っていく方向はゆるぎない一方で、省人化したことで生まれた労働力を新たなニーズに応える商品作りに生かしたいと語る堯さん。

「現在、ささ圭では量販店向け、お土産向け、ギフト向けの商品があります。ただ、ターゲット別の商品作りができているわけではなく、お土産向けの商品をギフト向けとして出すといった例もあります。今後は、ターゲットに向けて特化した商品開発をしていくのが課題です。現場からの声を吸い上げて、お客様が求めているものを着実に作っていきたいですね」

さらに、労働力不足を解消するための取り組みとして、それぞれの人に合わせて働ける勤務体制をつくり、地元にいる「これまで働きたくても働けずにいた子育て中の女性」などを積極的に活用していきたいそうです。

「これまでは定時の8時~17時まで働く正社員のみを募集していたのですが、それではなかなか人材が集まりません。そこでハーフタイムワーカーとして、9時~15時、12時~16時という勤務形態で働けるパートタイマーを募集したところ、主に地元の子育て中の女性からの応募が多数あり、人手不足もほぼ解消しました。短時間なのに働かせてもらってありがたい、と従業員にはよく言われますが、短時間ではあっても、集中して非常に質の高い仕事をしてくれますので、私は感謝の気持ちしかないです。」

復活の立役者として技術の継承、見事にささ圭を復活させた創業者の圭司さんは、2017年9月に天寿を全う、鬼籍に入りました(享年95)。葬儀にも堯さんが驚くほどたくさんの地元の人が訪れ、改めて圭司さんが地元でたくさんの人に慕われていたことを実感したそうです。

「地元の文化振興に寄付するなど、会長はとにかく地元に貢献したいと願う人でした。当社としては、先代から受け継いだ技術を守りつづけるとともに、雇用を生み、地元にいるすばらしい人材を活用していく。社員、お客様、取引先である地元企業、ともにWin-Winの関係を築いて、企業として地域に貢献していきたいと思っています」

ささ圭のホームページにはこう記されています。

「形のあるものは全て失いましたが、形のないものだけは残ったのです。 目に見えないものこそ、大切にしていかなくてはならないことに気づかされました」 (ささ圭ホームページより)

震災当時、全国の皆さんへのお返しに「ささ圭の笹かまぼこを贈りたい」と地元の人が復活を待ち望み、「希望」と名づけられた手わざかまぼこ。これからもささ圭は仙台名取市、津波ですべてを失った閖上地区の「希望」としてあり続けていくでしょう。

株式会社ささ圭

株式会社ささ圭

〒981-1226 宮城県名取市植松字入生48-1
自社製品:水産練り製品(笹かまぼこ等)

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。