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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

親子で方向性を探るため「市場巡礼」と「2時間ミーティング」

高力さんは水産業界で40年ほどのキャリアがありますが、丸仁水産の創業は2007年。会社としての歴史はそれほど長いわけではありません。

「私の実家はもともと鮮魚を扱う会社を営んでいましたが、会社を畳むことになりました。一家が路頭に迷う中、今後のことを息子と二人で話し合いました。私はまだ魚屋を続けたかったし、息子も『一緒に働きたい』と言ってくれた。そこで20代だった息子を社長に立てて、会社を立ち上げました」

その時はまだ、具体的に何をやるかも決めていなかったという高力さん親子。名古屋、横浜、東京の市場を見て回る中で、買った魚を箱詰めして市場に出荷する仕事なら後発でもやっていけそうだと考え、奥さんも一緒になって三人で仕事を始めました。

「魚を買いすぎてしまい、親子で夜通し箱詰め作業をすることもありました。でも当時は、やればやるだけ結果が出たので面白かった。今は容器や運賃、人件費などが高くなったので、利益率を確保するために加工の割合を増やしてきていますが、まだまだ鮮魚の仕事も続けていきたい。私は基本的に、社長である息子がやることには口を出さないようにしていますが、毎晩、結果報告だけはさせるようにしています。そして相談にも乗っている。みっちり2時間ミーティング。夜12時を回ることも珍しくないですよ」

深夜の親子ミーティングは、「俺の楽しみでもある」と高力さん。現在は経営だけでなく、地元の水産関係の会合の出席なども仁秀さんに任せているのだそうです。

創業時の苦労をともにした高力さん一家ですが、従業員が50人ほどにまで増えたところで、今度は東日本大震災の津波被害に見舞われました。

丸仁水産の工場のすぐ目の前に松川浦が広がっている

▲ 丸仁水産の工場のすぐ目の前に松川浦が広がっている

「工場には3メートルから4メートルほどの津波が来ていました。従業員は全員高台に避難させていたので無事でしたが、工場は建物の大部分が津波で崩壊し、柱だけ残りました」

高力さんは家族とともに半年から1年ほど内陸の福島市に避難し、2014から15年頃にかけて、工場を復旧しました。工場は海の目の前にあるため地盤がゆるく、床から水が湧いてきたため、土間も打ち直したそうです。

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