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企業紹介第97回宮城県有限会社 橋本水産食品

歌津地区の「おふくろの味」を
もっと長持ちさせるパックシーラー

サンマやサバの昆布巻き、塩ウニ、ホタテの煮物、メカブ漬など、三陸の水産物を使った商品がズラリと並ぶ店内。ガラス越しには昆布巻を作る工場見学もできてしまうこのお店は、いったい何屋さん?

工場併設の橋本水産食品の直営店
工場併設の橋本水産食品の直営店
三陸産原料を使った豊富な商品ラインナップ
三陸産原料を使った豊富な商品ラインナップ
代々漁師の家で生まれ育った橋本水産食品の千葉孝浩さん
代々漁師の家で生まれ育った
橋本水産食品の千葉孝浩さん

「当社は三陸で取れるサンマやサバ、ウニ、ホタテ、ホヤなどを使った製品の加工と販売をしていますが、何屋さんかと聞かれたら、『サンマの昆布巻き屋です』と答えています」(橋本水産食品取締役の千葉孝浩さん、以下同)

水産加工食品ブランド「漁師 歌津小太郎」を展開する橋本水産食品(宮城県・三陸町)では、ニシンやサバの昆布巻も作っていますが、サンマが主力となっているのは地域的な背景があるからだそうです。全国有数のサンマの水揚げを誇る気仙沼港と女川港の、ちょうど中間地点にある南三陸町の歌津地区には昔から、サンマ漁船の乗組員として働く人が多くいます。千葉さんによると、サンマの昆布巻きは、その乗組員たちがサンマを家に持ち帰ったことから地域に定着したといいます。

「今はそういう話を聞きませんが、昔はサンマ漁船の乗組員たちが、給料とは別にサンマをたくさんもらって持ち帰ったそうです。まだほとんどの家庭に冷蔵庫がない時代で、自分の家だけでは腐らせてしまうので隣近所にも配り、さらに日持ちさせるために佃煮や昆布巻きにしていました。それが家庭料理となってこの地域に定着したのだそうです」

橋本水産食品がサンマの昆布巻き加工を始めたのは、今から30年ほど前のこと。当時まだ子供だった千葉さんは、「消費税が導入された年」と記憶していました。

「千葉家は代々漁師の家系で、私の父、千葉小太郎(社長)は77歳の今も現役の漁師として、ウニ漁、アワビ漁の解禁日には海に出ています。以前はワカメやホヤなども取っていました。漁業と並行して水産加工業を始めたのは、父が水産加工場を建てた昭和50年(1975年)のことです。消費税が導入された平成元年(1989年)に、何か新しい加工品を作ろうという話からサンマの昆布巻き加工をすることになりました」

その後、「漁師 歌津小太郎」として自社製品をブランド化させると、今度は仙台の百貨店でテナントを持つようにもなりました。しかしそのテナントも、東日本大震災により撤退を余儀なくされます。

再開待つ従業員の言葉が再建の支えに

震災当時、今とは別の場所に工場を構えていた橋本水産食品。太平洋に面した工場は、震災の津波により流失してしまいました。

「私は仙台のテナントにいたので、直接津波を見ていませんが、歌津に戻ると工場は跡形もなくなっていました。周辺にいくつかうちの資材が落ちていたくらいです。工場では年に1、2回、抜き打ちで避難訓練をしていたこともあって、10人弱いた従業員は無事でしたが、この地域では亡くなった方もいました。私も含め、自宅が被災した人もいます。従業員の皆さんは一旦解雇という扱いにさせてもらいましたが、『再開するのを待っています』という言葉をかけていただきました。工場の再開に時間がかかったため失業給付金も切れていた時期もあったと思いますが、戻ってきてくれて本当にありがたかったです。現在従業員は16名おり、うち6名が震災前から継続して働いています」

現在の場所に平屋の新工場が建ったのは、震災から2年後の2013年4月。その前の月には、震災で一時撤退していた仙台の百貨店のテナントも再開させていました。2015年には同じ敷地内に本社工場と直営店も完成しました。海の目の前に工場があった震災前とは異なり、新しい本社工場は海から300メートルほど離れていますが、この周辺も浸水した地域なのだそうです。

橋本水産食品本社前。塩害により低い場所の木々は枯れている
橋本水産食品本社前。
塩害により低い場所の木々は枯れている

本社の移転にあたり、環境として大きく変わったのは水です。ウニやメカブの洗浄には海水を使いますが、これまでとは異なる方法で取水、排水をしています。

「ウニは真水で洗うとボロボロになってしまうので、どうしても海水が必要です。そこで、海水をここまで引っ張ることにしました。使った水はそのまま捨てられないので、場内で処理してから排水しています」

容器へのガス封入により常温対応製品が実現

新工場の稼働により本格的に事業を再開させた橋本水産食品ですが、看板商品であるサンマの昆布巻きは、季節商品であり年間を通して安定した売上確保が難しいことや、またカットする手間や冷蔵庫での保管等の課題がありました。そこで、常温で長期保存が可能な小型パックの新商品を開発するため、販路回復取組支援事業の助成金を活用して半自動パックシーラー機を導入しました。容器内に炭酸ガス、窒素ガスを封入することにより、食品の酸化を防ぎ、菌の増殖を抑制する包装機です。

食品の常温保存を可能にする半自動パックシーラー機
食品の常温保存を可能にする半自動パックシーラー機

「これまではチルド(冷蔵)対応の製品を作っていましたが、この機械によって常温で賞味期限の長い製品をつくれるようになりました。賞味期限は6カ月で出していますが、試験では1年半でも問題ありませんでした」

半自動パックシーラー機により包装されたサンマの昆布巻き(3切れ入り)
半自動パックシーラー機により包装された
サンマの昆布巻き(3切れ入り)
サンマの昆布巻きの切り口の見える包装紙
サンマの昆布巻きの切り口の見える包装紙

「常温で製品を出せるようになると、営業も展開しやすくなります。常温商品は冷凍や冷蔵の商品と違って、温度管理の必要がないのでいろいろな場所で扱いやすい。缶詰だと中の汁や容器を捨てるのに手間がかかりますが、プラスチック容器だけならゴミとしての出すのも簡単です。出張帰りの人がお土産屋さんでサンマの昆布巻きを買って帰る、なんてことになるとうれしいですね」

半自動パックシーラー機を使った新商品は、デパートなどで販売されました。取引先からは『商品ラインナップ』を増やしてみてはどうかと提案されるなど、反響もあるといいます。また、半自動パックシーラーの他に、作業の省人化のためマルチスライサーを導入。これまで8人体制で作っていたものを、6人体制で作れるようになったといいます。

「おふくろの味」を守りながら新展開を考えていく

工場併設の「歌津小太郎」の直営店を覗くと、作業服を着た女性がサンマの昆布巻きの試食をすすめてきました。その女性は千葉さんの母、千葉あさ子さん。あさ子さんは、すべての商品の味付けを決定しているキーパーソン。歌津小太郎ブランドの味はまさしく「おふくろの味」だったのです。この味で育った千葉さんは、今後の展開を次のように語ります。

自慢のサンマの昆布巻きを持って、母・あさ子さんと
自慢のサンマの昆布巻きを持って、母・あさ子さんと

「これまでの作り方、売り方の基本的な部分を変えようとは考えていません。ただし、市場のニーズはしっかりと聞いていくつもりです。お客さまの意見が入っていないと、商品としての魅力も弱まってしまいますので、ニーズを捉えた新しい柱として常温品を展開していこうと考えています」

その一つとして考えているのが、サンマの昆布巻きのような食べきりサイズの新製品。プラスチック容器の常温保存を可能にする半自動パックシーラー機を使うことで、引き続き新製品で販路を広げることを狙います。

「新しい人材の確保など、ソフト面での課題も多く残っています。全部やるのは大変といえば大変。でも震災を思えばそんなに大変なこととは思わない。楽しいと思えば、何をやっても楽しいですよ」

有限会社 橋本水産食品(歌津小太郎)

〒988-0451 宮城県本吉郡南三陸町歌津管の浜55-1
自社製品:さんま昆布巻、ほや醤油漬、塩うに、めかぶ漬、ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。