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企業紹介第105回茨城県株式会社かねきう

前浜を大切にして、前浜とともに柔軟に生きる

かねきうの創業は昭和27年。現社長の遠藤浩一さんのお父様である遠藤貞夫さんが漁師の仕事の合い間に、茨城県の波崎港のそばの自宅でイワシの煮干しや丸干しなどを製造したのが始まりです。当初は、「片手間だった」加工業が徐々に拡大し、昭和40年には現在本社がある場所に専用の加工場を設け、冷蔵庫も導入。本格的に煮干しや丸干しの加工に取り組み始めました。

	株式会社かねきう 代表取締役 遠藤浩一氏
株式会社かねきう 代表取締役 遠藤浩一氏

「最初は設備を揃えるのも大変だったみたいで、冷蔵庫は木造だったよ。私が入社したのは高校を卒業してすぐの、昭和49年。当時は、男手は父と私だけで、他にパートさんが15人くらいいたかな。天気の良い日は全員で、朝から晩まで丸干しを作っていました(かねきう代表取締役 遠藤浩一氏、以下「浩一さん」)

浩一さんが入社した頃から、かねきうでは積極的に設備を補強してきました。まず昭和50年に冷風乾燥機を導入。その後、昭和53年にはリフトのまま入庫できる大型冷蔵庫を新設し、煮干しや丸干しだけでなく凍結加工も開始しました。凍結を始めたことにより、イワシだけでなく、様々な種類の魚を扱うようになり、昭和57年には選別機を導入。翌58年には凍結庫も増設します。さらに、昭和62年には保管庫、平成2年には煮干しの自動釜も相次いで新設しました。自動釜は四国や佐賀県まで見学に行き、当時の最新鋭の設備を取り入れたのだそうです。

「家族中心で細々とやっていたんだけれど、設備をするとなぜか当たってね。例えば、丸干し用に冷風乾燥機を入れたら、翌年は田作り(ごまめ)の需要が多くて。冷風乾燥だと温度帯が18~19度で最高の状態で仕上がるので、品質が良く他社より高い値で販売できて、設備のために借りたお金もすぐに返せました。また凍結庫を作った年は、魚が潤沢に揚がって、ちょうど良いタイミングで大量に仕入れることができました」(浩一さん)

波崎地区は8年連続で日本一の水揚げを誇る銚子港のお膝元。その銚子では無選別状態で魚が揚がるため、その日揚がった魚を見て、その都度、魚種や市場のニーズにあった形で市場に出荷するそう。鮮魚に向くものは鮮魚として出荷し、加工に向くものも、どの加工方法が良いか柔軟に変えているのです。そのため、以前は主力だった煮干しや丸干しは、需要の低下や原料となる魚の減少に伴い徐々に取扱いを縮小し、震災前の加工の主力は凍結になっていました。また塩干品としては、新たにしらすの取り扱いを開始。このように、浜と市場のニーズに合わせて着実に成長し続け、震災の前年には、過去最高の売上を記録したのだそうです。

風評被害で失った販路に代わって、輸出が伸長

売上が順調に推移していた最中に、突如として東日本大震災に見舞われます。しかし当社は、海抜6.6mの高台に建っていることもあり、津波の被害はありませんでした。ただし工場は昭和40年に建てたもの。基礎がコンクリートではなくブロックだったこともあり、土台にひびが入ったそうです。それでも「建物や設備の損壊は大したことなかった」と浩一さんは語ります。

「停電もなかったし、水も地下水が潤沢だったから、仕事はすぐにできる状態だった。しかし仕事をしても、まったく売れなかった。仕事が出来るのに売れないっていうのは、辛かったね。特に関西以西は厳しかった。」(浩一さん)

仕事を始めてから震災の影響がのしかかってきます。そう、厳しかったのは風評被害だったのです。震災を機に他の水産会社を辞め、実家に戻った浩一さんの長男竜也さん(かねきう常務取締役遠藤竜也氏、以下「竜也さん」)も口を揃えます。

	株式会社かねきう 常務取締役 遠藤竜也氏
株式会社かねきう 常務取締役 遠藤竜也氏

「九州にサンプルを出した時、『味もいいし、値段もちょうどいい。でも茨城のものは買えない』とはっきり言われました。検査結果ももちろん出したけどダメでした。仕事にならないので、従業員にもしばらく休んでもらうしかありませんでした」(竜也さん)

日本国内はもちろん、当時、少しずつ増えていた韓国向けの出荷が全面的にストップしたのも痛手でした。震災当時、風評被害により売り上げは3割近くも減少したのだそうです。
現在、国内の需要は戻ってきましたが、韓国とは今でも取引再開の目途はたっていません。
そこで、新たな販路となったのがアフリカや東南アジア向けの輸出。国内では需要が少ない小型のサバが求められているのだそうです。

「国内では大型のサバは鮮魚需要が多いのですが、東南アジアは100~200gくらいの小型のサバを好みます。あちらは家族の人数が多くて、大型のサバだと分ける時に頭としっぽで不公平だから、1人1尾ずつ分けられる小型のサバを好む人が多いそうです。アフリカでは現地で燻蒸処理をしてから流通させて、家庭でスープなどに使っていますね」(竜也さん)

ちょうどノルウェーで小型サバが少なくなってきたこともあり、ここ数年は、特にアフリカ向けの輸出が急激に伸び、東南アジアにまで回らないほど。そのおかげで売上に占める輸出用の冷凍加工品の割合も、震災前に比べ1~2割増えたのだそうです。

処理能力のアップで、震災後のスタイルに対応

輸出が増えたこともあり、業績は回復傾向にありますが、1つ課題がありました。従前の設備では、伸びて行く加工品の需要に生産が対応しきれなくなっていたのです。そこで今回、平成30年度の販路回復支援事業を利用し、箱詰めを自動で行うパッキングラインを導入。サバやイワシの凍結処理をスムーズに行う体制を構築しました。今までは魚を選別した後、人力で箱詰めを行っていましたが、この機械の導入により、計量、箱詰めがスムーズに出来るようになり、大幅に時間効率が良くなりました。

「アフリカ向けの商材は箱詰めのニーズが多いんです。この機械を導入したことにより、14人で行っていた作業が半分の6~7人で出来るようになりました。処理能力が大きくなったことで、大口の需要に応えられるようになりました」(竜也さん)

新設した自動パッキングライン
新設した自動パッキングライン

新設した自動パッキングライン

輸出以外にも、処理能力を増やさなければいけない理由があります。銚子港では震災以降、「毎日少しずつ」という形から、「漁に出た1日に大量に水揚げをして、その後1~2日休む」という操業スタイルに変わってきたのだそう。銚子で原料を買い、加工を営むには水揚げの多い日に大量の魚を買い、大量の原料を扱える保管能力を持つことが必須課題となってきているのです。

パッキングラインによる処理能力アップを踏まえ、今後、更なる原料魚の保管能力向上を目指して新たに凍結設備の増強も予定しているそうです。「アフリカ、東南アジアなど買ってくれるお客さんはいるので、凍結設備も増強できたら、このパッキングラインも、もっともっと活躍してくれると思います」と竜也さんは語ります。

	国内向けは白、海外向けはローマ字ロゴの茶色の段ボールで出荷
国内向けは白、海外向けはローマ字ロゴの茶色の段ボールで出荷

輸出だけでなく、国内でも新たな販路開拓の兆しが見えています。それは現在もブームが続くサバ缶の原料供給。冷凍パンで固めたヌードブロック(凍らせたままの姿の)原料に比べ、箱詰めの原料は衛生的で異物のリスクが少なく、国内のサバ缶向け事業者から、「箱詰めが出来るのであれば、来年からはぜひ」という引き合いが来ているのだそうです。

	鮮魚も加工も出来る熟練の従業員
鮮魚も加工も出来る熟練の従業員

また、鮮魚も、加工も、塩干も扱うかねきうでは、従業員にも多様な作業が求められます。加えて、昔からの従業員は高齢化も進み、力作業に対応するのも困難。時代環境に加え、震災の影響もあってか、新しく人を雇うのも難しい事態となっています。今回の省人化により、「人でなければ出来ない部分」に人手をかけられるようになったことも機器導入の恩恵の一つです。

「前浜をいかに買うか」、前浜とともに柔軟に生きる

建物など目に見える被害は少なかったものの、風評被害により、痛手を受けたかねきう。改めて、「震災とは何だったのでしょう?」と伺うと、こんな答えが返ってきました。

「震災がきっかけで色々なことが変わりました。銚子の水揚げスタイルもそうですし、揚がる魚や売れる魚も変わった。何より、自分達の販路が大きく変わりました。以前の商売に固執していると生き残れないので、その時々に対応していくことが重要だと思います」(竜也さん)

今後、設備を増強しても「自分達よりもっと規模の大きな加工業者はたくさんいる」と遠藤さん父子は語ります。その中で生き残るためには、市場のニーズに細やかに対応することがいかに重要かが身に染みているからこそ、今までも柔軟に色々なことに対応してきました。今後も鮮魚、凍結加工、塩干などマルチに対応していくスタイルを変えるつもりはありません。なぜなら、様々な商売の形を持っていることで、魚価や市場のニーズの変化に対応でき、「バランスがとれる」のです。

今日、浜で揚がった魚を「いかに料理するか」が鍵
今日、浜で揚がった魚を「いかに料理するか」が鍵

「今、生きている以上、淘汰されないようにやっていくしかない。二次加工も勝機があればやるし、今はストップしている煮干しや丸干しも、魚があってニーズがあればやります。うちは“前浜をいかに買うか”が大事だということは、社長とも常々話しています。常に前浜を見て、前浜に揚がったものを、どううまく料理していくかが大事だと思います」(竜也さん)

浩一さんがかねきうで働き始めた昭和49年には64社あった波崎の水産加工業者は、後継者不足などもあり、現在では25社くらいにまで減少しているのだそうです。震災をきっかけに色々なことが変わったきましたが、同社の「前浜を大切にして、前浜とともに柔軟に生きる」姿勢は変わらずに、若手後継者に引き継がれてゆくことでしょう。

株式会社かねきう

〒314-0408 茨城県神栖市波崎8138
代表商品:イワシ・アジ・サバ等の冷凍冷蔵加工原料、シラス塩干品

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。