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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

津波は20メートルの高台に一気に押し寄せた

「東日本大震災が発生した日、私は午前中に原料の買い付けに出掛け、午後からは事務所で仕事をしていました。最盛期ということもあり、加工場では40人ほどが忙しく作業をしていましたが、大きな地震があったところで作業をストップして、従業員の皆さんには作業着のまま帰ってもらいました」

従業員に避難の指示を出したのは、証越さんでした。地震の後、工場には従業員4人と及川さん、及川さんのきょうだい、そして証越さんが残っていましたが、工場まで津波が来るとは実際には予想もしていなかったようです。目の前には太平洋が広がっていますが、工場自体は20メートルほどの高台の上にあります。

実際にその場に立ってみても、ここに津波が来るとはなかなか想像できない(工場の敷地より撮影)

▲ 実際にその場に立ってみても、ここに津波が来るとはなかなか想像できない(工場の敷地より撮影)

「警報では6メートルと言っているのが聞こえました。そのあと10メートルという放送もあったようですが、それは聞こえていませんでした。津波といっても最初は大きな波が来ているというよりも、静かに海面が上がるような感じ。やがて係留されていた船が転覆し始めて、工場の下にあった民家も流されました。海面の上昇が一旦止まったので、そこで終わりかと思っていたのですが……」

当時、山証の工場と海の間には、JR気仙沼線の線路がありました。それまで静かに押し寄せていた津波は、その線路を乗り越えると一気に山証の工場にも襲いかかり、屋外に出ていた及川さんは逃げる間もなく流されてしまいました。

「私が流された先は運よく工場の中でしたが、工場全体が大きな洗濯機のようになって、海水がぐるぐると回っていた。水の高さが天井近くになった時には死を覚悟しましたが、そこから一気に水が引いて助かりました」

工場に残っていたきょうだいや従業員たちは、工場の裏側の高い場所に避難して無事でした。しかし、そこに父・証越さんの姿はありませんでした。

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