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企業紹介第125回千葉県有限会社ぼうか水産

網元一家。銚子港一の旗と誇りを掲げ
自社ブランドの再開をめざして

千葉県旭市にある有限会社ぼうか水産。本社の目の前には、九十九里浜の海岸線が広がっています。

本社2階から望む九十九里浜の海岸線。創業当時はこの浜から出漁していたそう
本社2階から望む九十九里浜の海岸線。創業当時はこの浜から出漁していたそう

1955(昭和30)年、この地で、現在の代表取締役・土屋幸男さんのご両親が創業したぼうか水産。当時は、主にイワシの煮干しの製造、販売をしており、この地域で作られる煮干しは「椎名内(しいなうち)煮干し」と言われ高品質な煮干しとして知られていました。

父・章(あきら)さんの本家は網元。機関長としてずっと船に乗り、製造は主に母のせいさんが、近隣の主婦たちを集めて工場を取り仕切っていたそうです。父親の兄弟たちもみんな船乗りで、その親戚や妻は加工に携わるという、まさに海と前浜とともに生き、糧を得てきた土屋家。土屋さんも「将来は自分もこの仕事に就くんだ」と幼いころから当然のように思ってきたそうです。

有限会社ぼうか水産代表取締役の土屋幸男さん
有限会社ぼうか水産代表取締役の土屋幸男さん

「家業を継ぐことになんの迷いもなかったですね。当時は、やればやるだけ成果が自分に返ってくる仕事だと思っていました。一年に一度、本家・網元の乗組員全員とその家族も総出で旅行に行っていたことをよく覚えています」(有限会社ぼうか水産 代表取締役 土屋幸男さん、以下「」内同)

土屋さんが家業に入ったのは、18歳のとき。創業当時と変わらず「イワシの煮干し」ほか、「イワシの丸干し」や「みりん干し」が主力商品でした。

イワシの丸干しには並々ならぬこだわりを持っている土屋さん。長く網元をしてきた漁師一家である利点もいかし、銚子港、飯岡港で水揚げされるイワシのうち、一番おいしい旬の時期のものだけを使い、原料調達から加工まで一貫して納得のいく製品を作ってきました。

それら主力商品に加えて、県内の取引先から、サバフィレの委託加工を少しずつ受注してきたほか、2005年、長男の勝(すぐる)さんが入社後には、活魚販売も開始しました。

廃業も頭をよぎる。誰もいない工場。家族で乗り越えた震災後

2011年、東日本大震災が起きたとき、土屋さんは工場内でサバフィレの加工を行っていました。

「大きな揺れのあと津波も警戒はしましたが、これまでは津波が来ても1~2cm程度だったので大丈夫だろうなあと。そうしたらゴーッという音ともに津波が押し寄せてきて…」

海岸までは歩いてもわずかな距離。目の前に押し寄せる津波から、当時9人いた外国人技能実習生含む従業員たちに、「すぐに逃げて!」と声をかけながら必死で避難。避難所の小学校にたどり着いたものの、余震が来るたびに建物から外に出なくてはいけない状況でした。そのため、同社の従業員、さらに親戚の水産加工場に務める従業員を親戚所有の倉庫に泊め、不安な夜を過ごしました。

津波到達は、60cm。本社の2階事務所は無事だったものの、1階工場内の設備、フォークリフト3台はすべて塩水をかぶって使用不能になり、出荷前の商品もすべて流されました。

ライフラインが復旧し、1週間たったころから徐々に工場を再開させたものの、「震災前につきあいのあった取引先のなかには、音信不通のところもありました。震災直後、再開は無理かなと一時は廃業も頭をよぎりましたね」と土屋さんは話します。

最も大きな打撃は福島第一原発の事故による影響です。イワシ漁の操業日数が激減。漁獲量もゼロに近く、原料の確保が極めて困難になり、主力商品だったイワシ丸干しの市場からの注文数も激減しました。原発事故の風評被害の影響も大きく、長男の勝さんが手がけていた活魚事業からも買い手がつかないため撤退を余儀なくされます。

「食生活の変化もあって、イワシを食べる人も減ってきました。でも、自分もイワシの丸干しが好きで、うちのイワシの丸干しを待ってくれているお客様もいる。本当はイワシを使ってもっと商売をやりたい。でも、イワシがなくては……。それでもなにかやらないと事業を継続できない」

そう思った土屋さんは、イワシを主体としていた事業形態からの転換を図りました。「イワシが自分たちの商売の始まり」、そう話す土屋さんにとっては、苦渋の決断でしたが、これまでの概念を取り払って歩みを続けるしかなかったのです。

震災前から少しずつ取引をしていた県内の水産加工業者に「加工量を増やしてほしい」と依頼、委託加工によるサバフィレの生産比重を増やしていくことにしました。しかし、震災前に従事していた従業員は、原発事故の影響を不安視し離職、一時は誰もいなくなるという事態に。

そのため、土屋さんと妻の照代さん、勝さんの3人で朝から夜遅くまで工場での仕事を続け、なんとか事業を継続させていました。その後、新規採用等もあり、労働力の確保にはめどがたったものの(2020年11月時点で従業員10人)、既存の機器では生産効率が悪く、受注数量に応えられない状況が続きます。

また、委託加工以外にも利益率の高い自社ブランドの生産を行いたいと考えていましたが、余力がなく着手できずにいたのです。

注文に応えられない状況から大幅な生産能力アップで在庫を確保できるまでに

そこで、限られた人員で増産体制を整えるため、2019年に販路回復取組支援事業の助成金を活用し、魚類中型三枚卸機・センターカット機、魚類頭取機、整形テーブル付ベルトコンベア、自動梱包機、冷凍機を導入しました。

その結果、一日のサバ原料の処理数量は、もともと15人で5トンが限界でしたが、導入後は14人で7.3トンにまで増やすことができるようになりました。梱包は400ケース/日が430ケース/日となるなど作業の効率化を実現。さらに、冷凍機が新しくなったことで、従来は、サバフィレ1トンにつき12時間かけて凍結していたところ、2トンを8時間で凍結可能となりました。

また、時間がかかっていた清掃の時間短縮のため、温水高圧洗浄機、高圧洗浄機を導入。1時間かかっていた洗浄作業が半分の30分で完了できるようになりました。

このように生産量も増え、作業効率が上がり、製品の在庫確保が可能となったことで、大量注文にも対応できる体制が整ったのです。

魚類頭取機(手前)と、魚類中型三枚卸機・センターカット機を整備しサバフィレ加工ラインを整えた
魚類頭取機(手前)と、魚類中型三枚卸機・センターカット機を整備しサバフィレ加工ラインを整えた
現在主力商品のサバフィレ。ほぼ80%銚子港で水揚げされたサバを原料としている
現在主力商品のサバフィレ。
ほぼ80%銚子港で水揚げされたサバを原料としている

機器の導入から約1年が経ち、純利益は前年度から1.25倍にアップ。震災直後は、震災前の売上の約3割まで落ち込みましたが、現在は、委託加工による収入が増加し、2018年~2019年は震災前と比べ純利益約3割増という成果を出しています。

このほかに、2019年11月からは、新たに「ホッケの開き干し」の委託加工を開始し、今後、さらなる増産が見込まれます。

清栄丸の誇りを糧に、自社ブランドの開発に取り組む

震災後の苦境を支えてくれた取引先とは、ビジネスパートナーとして良好な関係を築いています。双方で新商品の提案を行い、よりよい商品づくりのための改善点やアイディア交換なども欠かさないそう。

「『冷風乾燥できる干し物の商品ができないかやってみようか』と話したり、アイディアを出しあっています」

原料調達においても、取引先の担当者が仕入れてきた原料を土屋さんが、商品にできる品質かどうかを検品しています。この地で長年水産加工業に携わり、豊富な経験と知識をもつ土屋さん。若い担当者から「魚のことを教えてほしい」と頼まれることも多いそう。

「取引先には、せがれのような歳の相手が増えたけど、自分が知っていることは全部教えるよって話しています。自分がこの仕事に就いたころも、地元の銚子、九十九里には、いろいろなことを教えてくれる先輩たちがいたから。自分にもできることがあるなら、と思って。それに、会社をせがれに引き継いだあとも仕事がやりやすいように、取引先とは良好な関係性を築いていかなくては、と思っています」

若手とも、立場や世代を超えてパートナーとしてよりよい商品作りを行う土屋さんですが、やはり再び目指しているのは自社ブランド製品、自分たちで作った商品を自分たちで売ることです。

機器導入時に目標としていた自社ブランド品の開発は、2020年新型コロナウイルス感染拡大の状況もあり、まだ本格的に着手できていません。しかし、その間も商品の構想を練り、夏期の小アジを使った製品や、サワラの切身を使った西京漬けなどの試作品作りに挑戦しています。

2019年9月、台風15号が千葉県に上陸、記録的な暴風による被害をもたらした際は、本社工場に隣接する母屋を中心に大きな被害を受けました。屋根、窓ガラス、畳など、すべてダメになり大規模な修繕が必要に。震災後の苦境を乗り越え、ようやく事業が再び軌道に乗ってきた頃に再び降りかかった試練でした。

それでも、ぼうか水産の歩みを止めるわけにはいきません。

父親の章さんが乗っていた船の名は「清栄丸」といいます。土屋さんが見せてくれたのは、「清栄丸」「優勝」と大きく書かれた旗。銚子港でその年の水揚げ高が第一位の船に送られる優勝旗です。年間水揚量全国第一位を誇る銚子港における年間一位の証。この旗が、意味するものの大きさは容易に想像できます。その網元にルーツをもつ土屋さんの誇りこそが、一度は廃業も頭をよぎった震災後からこれまでを支えてきたのだ、と感じました。

「うちがつくる『イワシの丸干し』を、今も待ってくれている人がいるから。また必ず自社の商品を作らないと」と話す土屋さん。ぼうか水産の新ブランドを届けることができる日も近いでしょう。

土屋さんの父、章さんが機関士を務めた清栄丸が平成22年度銚子港の水揚げ第一位となった際の優勝旗
土屋さんの父、章さんが機関士を務めた清栄丸が
平成22年度銚子港の水揚げ第一位となった際の優勝旗

有限会社ぼうか水産

〒289-2522 千葉県旭市足川3980
自社製品:イワシ、サバのドレス、サバフィレ等

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。