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企業紹介第140回福島県株式会社タンポポ村

地元の雇用を守るために、「働く場」を提供し続けたい

株式会社タンポポ村の前身は、ハム・ソーセージ等の肉加工品で有名なタカラ食品工業株式会社の東北工場です。

株式会社タンポポ村 マネージャー 牛渡正典さん

昭和48年に建設された東北工場は、18年ほどこの地で生産を続けていましたが、工場の敷地に火力発電所の建設が決まったため、千葉に移転することとなりました。しかし、どうしても千葉に移住できない従業員の雇用を守るため、平成3年、従業員3名で株式会社タンポポ村を設立しました。

「それまではハムやソーセージを中心に作っていたようですが、タンポポ村になってからはスモークサーモンをメインで生産するようになりました。名前の由来は、タカラ食品工業の創業者の佐々木清廣さんが“踏まれても力強く咲くタンポポのような強い会社になって欲しい”と名付けたと聞いています」(株式会社タンポポ村 マネージャー 牛渡正典さん、以下「」内同)

タンポポ村の創業者は、今回お話を聞いた正典さんのお父様である牛渡美知夫さん。正典さんは、12年ほど前にタンポポ村に入社しました。ちなみに、それまでは成田空港で5年間勤務をしていたのだそうです。

「飛行機が好きで空港に就職し、飛行機の誘導や、荷物の運搬などをやっていました。好きな仕事ではありましたが、いつかは家業を継がなければいけないと思っていたので、地元に帰ってきたんです。南相馬の産業を残していくためにも、タンポポ村は地域に必要だと感じていました」

タンポポ村のスモークサーモンは、大半が関連会社であるタカラ食品工業向けの製品です。タカラ食品工業の主な販売先は高級スーパーや百貨店であるため、舌の肥えたお客さんにも納得してもらえるよう、調味料や製法など質にこだわって製造しています。

「原料になるサーモンはデンマーク産が中心です。淡路島の藻塩は、他の塩より雑味があって複雑な甘みが出るのでスモークサーモンの味を引き立てるのにぴったりなのです。スモークには桜の木を使います。もっと酸味が強かったり、煙感が強いものもありますが、ウチの商品にはなめらかで自然な風味が出る桜が一番適していると思っています」

自社製品のスモークサーモン

放射能の影響で、震災以降は赤字が続いた

設立からおよそ20年が経ち、最初は3人だった従業員も40人に増え、売上も順調に推移していたところに起こったのが東日本大震災でした。

「最初の揺れの後、30分くらいしたら電気が止まりました。真っ暗な中、17時くらいまで皆で掃除をしてから自宅に戻りました。沿岸部の従業員は一刻も早く戻りたいと言っていましたが、“今帰ったら、津波で危険だから”と引き留めたんです。あの時、引き留めていなかったらおそらく津波にさらわれて、命がなかったと思います」

タンポポ村は海から500mの距離ですが、高台にあるため津波の被害は免れました。地震により建物の基礎にダメージはあったものの、建物や設備、原料などには大きな被害はありませんでした。しかし、ここは原発のほど近くである福島県南相馬市。仕事を再開するにあたっては、放射能の存在が大きく立ちはだかりました。

「工場のある場所は避難指示区域ではなかったので、再稼働するにあたり制限はありませんでした。でも自分たちが作ったものを出荷していいのか判断ができなくて・・・。その当時は何の知識もなく“放射能って何?”という状態でした。自分たち生産者も、納入業者も、どうなったら安全かという基準が分からなかったため、福島県産はいりません、と言う風潮に従うしかありませんでした」

安全性を担保するため、放射能検査に取り組み始めますが、食品に含まれる放射性物質の量を測る際、最初は外部からの放射線の影響を極力遮断してから測定しなくてはいけないことも分からず、なかなかうまくいかなかったそうです。

それから正典さんは、放射線技師をしているいとこにアドバイスをもらったり、講習会や勉強会に通いながら、分厚い鉛の遮蔽体を自分で作成するなど、試行錯誤を繰り返し、正確に放射性物質の量を計測できる体制を整えました。

放射線測定器と正典さんが苦心して作った遮蔽体

ただし、検査をしても「福島県」への風当たりは強く、他社より低い価格での販売を余儀なくされました。また、避難指示区域内に住まいがあった従業員が県外へ転出したため、人手不足にも見舞われました。新たに人を募集しても除染など原発関連の仕事の賃金が高いこともあって、なかなか働き手が見つかりません。価格を抑えた販売に加え、人手不足により生産量も伸び悩み、昨期までは事業で出たマイナスを東京電力からの補償金で補填していたのだそうです。

「今もコロナ禍で日常がぐちゃぐちゃになっていますが、あの時も普通が普通じゃなくなって、皆、精神的にやられてしまいました。同じ体験は、もう誰にもしてほしくないと思います。日常が戻ってくるまでには・・・、そうですね、5年くらいかかりましたね」

補償金に頼らずとも、事業収支が黒字に転換

震災から10年が経過し、2020年で東京電力からの補償金の支給も終了しました。自力で再建するために、ようやく取引先と交渉して値上げも断行しました。そして再建を後押しすべく、今回、販路回復取組支援事業を利用して導入したのがオートピンボーン抜き機です。

スモークサーモンを作る上で、小骨を抜くという作業は非常に手間がかかります。今までの機械ではきちんと骨が抜ける確率は50%程度でしたが、今回導入した機械では90%程度の骨が機械で抜けるようになり、大幅に作業が効率化されたのです。

「今までの機械では途中で骨が切れたりして、手作業に頼る部分が大きかったんです。しかも人手不足で、その作業ができる人員を確保できず、せっかく注文をいただいても対応できないということもありました。今度の機械は非常に優秀で、それまで1日かけてやっていた作業が昼過ぎには終わるくらい作業がスピードアップしました。おかげで生産量も大きく上がりました」

オートピンボーン抜き機

これまでも何とか効率化を図ろうと、作業の順序を変えたり、機械の配置を変えて動線を効率化したり、様々な工夫はしてきたものの、今回のような大きな改善にはつながっていなかったのだそうです。

また手作業が少なくなることで、従業員の体の負担も減ったといいます。

「骨抜きは中腰で細かい作業をするので肩がこるんです。実は作業の効率を上げられないかと、手持ち式の骨抜き機を自分で試したこともあるのですが、非常に疲れて翌日も肩があがらないくらいだったので、他の人にはやらせられないと見送りました。従業員は高齢な方が多いので、作業が楽になるのはありがたいです」

作業効率が上がったことで、タカラ食品工業から新たな魚介系の新商品の提案も受けられることになったほか、特売なども行いやすくなったことで、震災以来、ずっとマイナスだった事業収支が、2020年度は黒字に転換する見込みです。

雇用を守ることで、地元の役に立ち続けたい

今後はこのオートピンボーン抜き機を利用して、介護食なども新たな分野に乗り出すことも検討しているのだそう。今年は新型コロナウイルスの影響もあり業務用の製品は伸び悩んでいますが、需要が復活したら、会社としてより健全な流れに乗れるという実感は掴んでいます。

また、正典さんに、「ご自身としての仕事への思いや、今後の目標」を伺ったところ、こんな答えが返ってきました。

「自分としての目標は特にないんです。ただ会社がちゃんと継続して、雇用を維持することは大事だと思います。この辺りは過疎化が激しく、産業が農業だけでは立ち行かなくなってしまうと思うんです。除染や土木など原発関連の仕事も、いずれ必ずなくなります。その時に仕事の場、働ける場所がないと地域がどんどん廃れてしまうので、働く場所を残すことで少しでも役に立ちたいんです」

思えば創業のきっかけも、「地元の雇用」を守ることでした。震災、原発事故によって人口流出が進んだことで、より「雇用の場を守りたい」という意識は強くなったのだそうです。今の従業員も地元の方が中心。しかも65歳以上の従業員が3分の1以上いるのだそう。

「定年が65歳なんて言われていますけど、それを過ぎても皆さん元気に働いています。一番高齢の方は78歳ですが、仕事をしている方が頭や手を使うので、健康にも良い影響があるんじゃないでしょうか。これからもそういう方に生き生きと働いていただきたいです」

自分のことではなく、「地元の雇用を守る」ことを考える。これが、創業から一貫して変わらないタンポポ村のDNAなのでしょう。

タンポポ村の従業員の皆さん

株式会社タンポポ村

〒979-2311 福島県南相馬市鹿島区北海老字藤金沢33
自社製品:スモークサーモン ほか>

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。