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企業紹介第167回岩手県岩手アカモク生産協同組合

未知の食材だったアカモク
そのポテンシャルを引き出し、日常に根付かせた

岩手アカモク生産協同組合の設立は今から20年以上前の1998年。当時、岩手県ではアカモクを食べる習慣がなく、「雑草」扱いされ、浜に打ち捨てられていました。地元では誰も関心を持たなかったアカモクに最初に目をつけたのが、組合の代表理事である高橋清隆さんの父、政志さんでした。

「父はワカメ問屋をやっていたのですが、当時は中国から安いワカメが大量に入ってきたり、生産者が問屋を通さず量販店と直接取引をし始めていた頃で、これは何か新しいことを始めないと厳しいぞと感じていて常にアンテナを張っていたんですよ。そんな時に、捨てられていたアカモクを秋田ナンバーのトラックが大量に積んでいくのを見て、“何かある”とピンと来たみたいです」(岩手アカモク生産協同組合 代表理事 高橋清隆さん、以下「」内同)

岩手アカモク生産協同組合 代表理事 高橋清隆さん

ちょうどその頃、高橋さんも務めていたアパレル企業を退職し、家業に戻ったタイミングだったそう。高校時代から「いずれは、地元で起業したい」と考えていた高橋さんにとって、アカモクとの出会いは、まさに僥倖。しかも調べれば調べるほどアカモクの食品としてのポテンシャルの高さに未来を感じて、善は急げと親子で岩手アカモク生産協同組合を立ち上げます。しかし当初は勝手の違いから苦労の連続だったそう。

「これまでもワカメ、メカブは扱っていたのでアカモクも大丈夫だろうと見切り発車をしたら、全く美味しい製品ができなくて。同じ海藻でもワカメとアカモクって、玉ねぎとキュウリくらい違うんです。だから下処理や保管方法、加工法も違う。当時は収穫期に獲ったものを一年間、同じ品質で提供できるような技術がまだ確立できていませんでした。最初に変なモノを売って悪い評判が立つくらいなら、ちゃんと研究して良い製品を作り、販売戦略もきちんと作ろうと路線を切り替え、その後2年は研究に専念しました」

ようやく「美味しい」と自信が持てる製品ができた3年目からは、まずは岩手県内での営業を開始しました。しかし知名度のないアカモクへの関心は低かったのだそう。「旅先でなら試しに食べてみることもあるかもしれないけど、日常では食べ馴染みのないものはなかなか口にしないですからね」と高橋さん。そこで、再び大胆に方針を変更し、地元ではなく首都圏に対しアカモクを売り込むことを決めたのです。

「商売の基本はニーズのあるところに商品を持って行くこと。当時、首都圏ではこだわり、差別化など、他にはないモノを求めるニーズがあったんです。営業も飛び込みなどは一切せず、ファッション雑誌に載っているようなオシャレな店にアポをとって、興味を持って下さったらサンプルを送って、ということを徹底しました。海藻と言えば和食のイメージが強いと思いますが、それだと頭打ちになるので、フレンチやイタリアン、中華など、様々なメニューを考え、営業をかけるお店も、ジャンルを問わず幅広くすることを心がけました」

トレンドに敏感な人が集まるお店にターゲットを絞ったことで、それまで「よく分からない」と敬遠されていたアカモクが、一転、「今までにない新しい、おもしろい食材」と注目されることになりました。また様々なジャンルの有名店のシェフから「美味しい活用方法」を聞き、今度はそれを営業トークに取り入れることで、アカモクの知名度は徐々に上がって行きました。

「収穫期」が始まったところで震災が訪れ、これまでの積み重ねがゼロになった

首都圏のレストランを中心にアカモクが徐々に注目度を増し、2005年には、アカモクは岩手県が「地域産業資源」の1つにピックアップされることとなりました。コンビニエンスストアで、アカモクを使った地域限定メニュー等も販売され、地元でも少しずつアカモクが根付き始めます。組合設立から10年ほどが経過した2009年にはようやく黒字化を達成。翌年の2010年には、首都圏のスーパーでアカモクの取り扱いが開始され、これでいよいよ波に乗れるぞというタイミングで起こったのが東日本大震災でした。※取材時に「県が後押ししてPRする食材」にアカモクが選ばれたとお伺いしましたが、こちらは「地域産業資源」に選ばれたという解釈でよかったでしょうか?また、いつ選ばれたかもご確認をお願い致します。

「山田湾のアカモクは、旬が3月~5月。その時期に収穫したものを、年間通して使っています。ちょうど収穫シーズンが来たところで震災が来て、アカモクは根こそぎ持って行かれました。アカモクは自然に生えているものなので、人為的に復活するのも難しい。数万年前からある植物なので生命力は強いはずとは思っていたけれど、いつ戻ってくるかまでは分からない。今まで地道に積み上げたアカモクの市場が、これで全部リセットになっちゃったなと思いました」

組合の建物は流されましたが、幸いなことに工場は設備も含め、無傷で残りました。しかし原料がいつ復活するかの見通しが立たなかったため従業員は全員解雇し、しばらくの間、高橋さんはたった1人で他の地域のアカモクの委託加工を行うことで組合を存続させました。アカモクはニッチな食材で加工を担う業者も少ないこともあり、「アカモク仲間」が高橋さんを支えるため、積極的に仕事を回してくれたのだそう。

「経営者としては他地域のアカモクを使って、もっと早く復興させるべきだったのかもしれないけれど、ウチの組合員さんは、地元山田のカキ漁師さんなんですよね。組合員の漁師さんにアカモクの収穫をお願いし、加工と販売促進をウチの組合で頑張って、カキ漁師さんたちの副収入にしてもらうというビジネスモデルだったので、復興を頑張っている組合員さんを放って、自分だけ他所の原料でさっさと復興するのは違うよなと思ってね」

それに山田湾のアカモクは、他の地域に比べ品質も良いのだそう。潮の流れの速い場所で育つのが良いとされるワカメ等とは異なり、浮袋を持つアカモクは潮の流れが強すぎると、千切れてなくなってしまいます。その点、リアス式海岸で波が静かな三陸ではアカモクが他地域の倍の10mにまで成長できるのです。また親潮、黒潮がぶつかり栄養分が豊富なことや、気候が冷涼なことなどもアカモクにとっては好条件なのだそうです。

その山田湾に、アカモクが戻り始めたのは震災の翌年、2012年。しかし、事業になるほどの量ではなかったため収穫は「歯を食いしばって」断念し、翌2013年頃から少しずつ収穫を開始しました。そして2014年からは資源量が震災前と同等までに回復。資源管理のため収穫量を調整しても十分に事業が継続できるほどの量のアカモクが育っていました。

震災後3 年でやっと事業ベースで必要な量のアカモクが育ってきた

復興水産販路回復アドバイザーの援護もあり有意義な縁に恵まれた展示会

震災後、積極的に展示会に出展し始めた高橋さん。知名度は徐々に向上したとは言え、まだまだニッチな食材であるアカモクにとっては、「何か新しい情報はないか」という目線でバイヤーが訪れる展示会は、非常に相性が良いのだそう。また展示会への参加は、岩手県やアカモク生産協同組合の「復活の合図」にもなったのだそうです。

「展示会に出たら、口々に、“高橋くん、生きてたんだ”、“アカモク復活したんだ”、“待ってたよ”なんて声をかけてもらってね。それまで10年積み上げていたものが一気に崩れてしまったと思ったけれど、展示会に出ることで、色々なことを再開する流れが生まれたんです」

また、令和元年からは、復興水産加工業販路回復促進センター(以下、復興販路回復センター)が実施する「復興水産加工業等販路回復促進指導事業」も活用し、展示会等での営業活動をさらに精力的に行っています。

この事業では展示会参加の前日に「復興水産販路回復アドバイザー」(以下、アドバイザー)によるセミナーが開催されます。さらに展示会当日はアドバイザーも展示会場を訪れ出展者をサポートし、その際に、アドバイザーがバイヤーを紹介してくれるなど、他の展示会にはない利点もあるのだそう。

「セミナーも開催地域のトレンドや商流についてなど、毎回その展示会に合わせた内容なので、役立っています。アドバイザーは、色々な背景の方がいらっしゃるでしょう。展示会では、その人脈を使って、お客さんの手を引っ張ってブースに来てくれて、一件一件、商品案内まで一緒にやってくれるんですよ。普段はうちのブースに立ち寄らないような大企業の方とも名刺交換が出来るし、その後の商談の内容も良くて。今も、いくつかと商談継続中で、これらが実際に決まったら今までの投資を全部回収できるくらいになると思います。ウチのような小さな会社がアポをとろうと思っても門前払いになってしまうような人達と出会えるんだから、展示会ってワクワクしますよね」

ちなみにこの事業を通じて知り合ったアドバイザーから展示会後に「アカモクを探している」という県外の業者を紹介してもらったり、アドバイザーの縁で知り合ったバイヤーから別の催事に誘われるなど、展示会場以外でのメリットも多いのだとか。

展示会の出展時の様子。まだ全国的に馴染みのない食材のため、
普及活動の観点からも出展し続けることが大切なのだそう
イチオシ商品の天然アカモク3連パック

「何よりウチは営業部隊もない小さな会社なので、アドバイザーが営業の遊撃部隊になってくれたり、復興販路回復促進センターのスタッフが足りないものをすぐに準備してくれたり、そういうのもありがたいんですよ。次の展示会への要望をアンケートに書いておけば、次回は絶対に反映されてるし、本当に手厚いなと思っています。今もアドバイザーの縁で、某百貨店から、3月に東北フェアをやるんで出展しませんか?なんてお声がけをいただいてます。今、アカモクでスイーツも作っているので、それだとマッチするかなと考えています」

地元の菓子店と協力して「オブスタクラン」というスイーツを開発。
アカモクをパウダーにして練り込んだホワイトチョコケーキで、宮古市のふるさと納税の返礼品としても人気の一品

アカモク・海藻による「ウェルネス」を、もっと大きく広げていく

地道にアカモクの認知度向上に取り組んできた高橋さん。数年前のアカモクブームも、高橋さんが立役者。実は創業当時から、食用とは別に「健康商材」としての研究も地道に続けていたのです。その流れは2012年、文科省が復興を目的に、東北マリンサイエンス拠点事業としてアカモクを採択したことで大幅に加速しました。複数の大学が、高橋さんが提供したアカモクを研究したことで、アカモクに多大な健康効果があることが立証されたのです。

「アカモクにはミネラルや食物繊維に加え、免疫力を強化するフコイダン、脂肪燃焼効果があると言われるフコキサンチン等が、他の海藻より多く含まれていることが、メディアなどでも大きく取り上げられました。また自分が独占するより、各地で一気に広げた方が市場が大きくなると思ったので、創業当時からアカモクに関心がある方がいれば全国どこにでも行って加工法などを伝授していたんです。それらのおかげで、アカモクの認知度向上という第一フェーズは達成できたのかなと思っています」

また、Googleが携わる復興支援のプロジェクト「イノベーション東北」では、全国のサポーターとマッチングを行い、それまでなかった組合のロゴやホームページを作成。これまで蓄積してきたアカモクの情報を発信する場も整いました。

「イノベーション東北」の5周年記念式典でアカモクの機能性について説明する高橋さん

そんな高橋さんが、今後取り組んで行きたいと語るのが「海外への海藻食文化の普及」だそう。

「今後は海藻全般を扱って事業を行いたいと思っています。“海藻食を世界の食卓に広める”というミッションも掲げました。健康に良いというデータの裏付けはあるし、日本食ブームのおかげで北米、ヨーロッパを中心に、海苔、わかめ、昆布などのニーズが高まりつつあります。まずは需要のある海苔、わかめなどから始めて、海藻で世界の人々のウェルネスを共創していきたいと思っています」

海外では食品としてのアカモクのニーズはまだごくわずかですが、健康食材としての需要が認められれば、そちらも積極的に拡販していきたいと語る高橋さん。ニーズと商品の最適なマッチングを考え、1つ1つ確実に実行していくその手腕があれば、日本全国はもちろん、世界中で海藻やアカモクが「日常」に根付いている日も遠くはないのかもしれません。

岩手アカモク生産協同組合

〒028-1332 岩手県下閉伊郡山田町中央町11-1
自社製品:アカモク(業務用、小売り用)、アカモク由来エキス、アカモクパウダー 等

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。