丸石沼田商店の創業は大正7年(1918年)。今年(2024年)で106年目を迎える老舗で、現社長である沼田祐寛さんは5代目にあたります。創業の地は現在の本拠地である青森市ではなく、宮城県の石巻市でした。
「私の高祖父にあたる創業者の沼田磯吉は石巻で生まれ、生家は焼きちくわを製造する水産加工業者でした。しかし当時の主原料であったアブラツノザメが石巻で獲れなくなってしまったため、ほかにアブラツノザメが水揚げされている場所を探したところ、青森県の陸奥湾での水揚げが多いと知り、30代のころに一家で移住してきたそうです。そして大正7年(1918年)に現在の地で丸石沼田商店を創業しました。屋号は石巻出身であることにちなみ、石を丸で囲んだ“丸石”としたそうです」(株式会社丸石沼田商店 代表取締役社長 沼田 祐寛さん、以下「」内同)
創業からちくわにこだわり続ける丸石沼田商店。今でも当時からの製法を丁寧に守り、高品質の商品を作り続けています。一般的な市販のちくわの魚肉割合は35~50%が一般的だそうですが、丸石沼田商店では60%以上もの魚肉を使用します。また魚肉を丹念に擂(す)りながら味付けしていく擂潰(らいかい)の工程では、御影石の臼と桜の杵を使用。丹念に擦り上げ、空気を抱き込みながら混ぜ合わせることで独特の滑らかさ、弾力が味わえるのだそうです。手間がかかる分品質の高い商品は、高品質系のスーパーやミシュランガイド常連のおでんの名店などで古くから愛用されています。
中でも一番の主力商品は、焼き色が美しい牡丹の花にも見える牡丹焼きちくわ。青森の名産としても知られていますが、実は丸石沼田商店がこの地域の元祖とも言えるのです。
「創業者である高祖父が青森に移った当時、アブラツノザメは使い道がなく、肥料などになっていました。それを原料にし、牡丹焼きちくわを製造したところ、味もさることながら、牡丹焼きという名前が良いと広まったようです。安価に原材料が入り、売れ行きも良いので、青森市では最盛期には20数社ほど同業他社ができました。当時は職人もこぞって青森に来て、焼き目、焦げ目をいかに大きくきれいに出すかと競っていたと聞いています」
昭和初期の製造風景
美味しさも見た目も評価の高かった丸石沼田商店のちくわは、創業当時から当時の築地市場を始め、名古屋、和歌山などにも流通していました。とはいえ昭和の初めはまだ冷蔵車もない時代。遠方まで運ぶため、当時はなんと、ちくわを塩漬けにしていたのだそう。戦前は満州にまで丸石沼田商店のちくわが届けられ、塩漬けの塩が漬物や料理にも使われていました。ちくわなど魚肉練り製品の最盛期だった昭和50年くらいには「できた分だけで良いから売って欲しい」というほどの人気だったのだとか。
「青森市内でちくわ生産が盛んになった結果、アブラツノザメの漁獲が減ったので、今は北海道かアラスカ産のスケソウダラ100%で作っています。他の魚種だと滑らかさが足りなかったり、独特のニオイがあったりするのですが、スケソウダラはつるんとした滑らかな食感と後味の良さがちくわに適しています。魚種も製法もこだわるので、どうしても割高にはなってしまうのですが、品質を犠牲にすることはできません」
保存料、着色料不使用の「牡丹焼きちくわ」
丸石沼田商店は陸奥湾の内奥、海から600mの場所にあります。ただし湾であることが幸いし、震災時、津波の被害はなかったのだそう。揺れで配管に亀裂が入ったりはしたものの、設備や機械は大きな被害を受けずに済みました。停電はしたものの、3月の青森の外気温は最高でも5~6℃。冷凍してあった資材も損傷はなく、比較的スムーズに仕事を再開できました。
「地震発生時に、ちくわのラインを緊急停止しすぐに避難しました。停電が2日間くらい続きましたが、震災の3日後からは片付けや工場の補修をはじめ、5日後くらいからは製造を再開させました。物流も一時は混乱したものの、数日後には東京の中央卸売市場までのルートはつながりました」
むしろ大変だったのはその後。でんぷんなどの副原料や、包材などを仕入れていた会社が被災し、様々な資材が入って来なくなりました。中でも一番大変だったのが包材。代替品を入れてもなかなかうまく機能せず、その都度何とか対応しながら、元の仕入れ先が被災から復興するのを待っていました。
そして震災から3年後の2014年、沼田さんが家業に戻りました。実は沼田さん、大学在学中に簿記に興味を持ち、公認会計士の資格を取得。大学卒業後の数年は公認会計士として東京の大手監査法人で監査業務にあたっていました。いずれ家業を継ぐという自覚はあったものの、その前に家業とは全く違う仕事を経験したいと思ったのです。
「手に職があった方がいいかなと思って、会計士の資格を取りました。将来、決算書の数値などを見るにも有利だし、アホのボンボンと思われるのも癪ですし(笑)。その後コンサル会社に転職したのですが、そこではお客様目線を学べたので、この経験も有効でしたね」
丸石沼田商品の基本方針は、「1.オリジナル製品の開発と市場の開拓に努める」「2.高品質の製品をつくる」「3.お得意先、仕入先に感謝する」「4.活力ある人材の獲得と登用、育成に努める」「5.計画は必ず達成する」の5つ。オリジナル製品、高品質の製品は創業時からのこだわりですが、人間関係の項目が多いことからも、取引先や社員を非常に大事にしているのが分かります。沼田さんが「殿様商売」に忌避感を抱いたのも、こういう家風が幼い頃から身に沁みついていたからかもしれません。
「働く人に、前向きで働いてもらうことはすごく大事だと思っています。そうしないと離職率も高くなってしまうし、仕事も適当になってしまう。仕事をまず楽しくやってもらいたいと思うと同時に、人間として当たり前のことを会社として教えて行かないと、本当の意味で前向きでいてもらうのも難しいと思っています。まだまだ道半ばではありますし、難しいこともありますが、朝礼で参考になりそうな話をしたり、相手の目線にたって、なるべく噛み砕いて大事なことを伝えたり、試行錯誤を続けています」
沼田さんは家業に戻ってから、積極的に営業に関わっていたのだそう。老舗で品質も高い丸石沼田商店には、長年良い関係が続いている取引先はたくさんいます。ただ、その分、新規開拓がおろそかになっていることに危機感を覚えました。
「今は昔のように決まったものを市場に卸せばいいという時代でもないし、問屋さんも日々の受注業務に追われていることが多く、新規で商品提案などを行う余裕がないところが多いです。そのため末端のお客様をこちらで獲得してからマッチングさせていかないと新たな顧客の開拓は難しいと思うようになりました。それで展示会などに積極的に出展して、まだうちのちくわを知らない方に知っていただきたいと思っていたんです」
そんな時、同業他社さんから復興水産加工業販路回復促進センター(以下、復興販路回復センター)が実施する「復興水産加工業等販路回復促進指導事業」を勧められ、令和5年度に初出展しました。中でも成果が大きかったのは、復興販路回復センター主催の「東北復興水産加工品展示商談会2023」。水産に特化した商談会のため、来場バイヤーも目的がはっきりしており、話が非常にスムーズで成約も早かったのだとか。
「来場者するバイヤーさんは商品への興味が高くて、名刺交換率もレスポンスも良かったです。おかげで関西の百貨店さん向けのルートや、無添加商材にご興味がある方々と成約に至りました。まだ商談中ではあるものの、包材さえ工夫すれば取引につながりそうなお話も継続中です。今まで市場向けばかりだったので、飲食店向けなど業務用の新しい販路も拡大できそうです」
他にも、大阪で行われたフードストアソリューションズフェア2023で、関西の有名チェーンのチーフバイヤーに「おいしい!」と商品を絶賛されたり、居酒屋JAPANをきっかけに、うどん店向けのちくわ天の商談が継続していたり、と今後につながりそうな縁が多数得られたのだとか。また復興水産販路回復アドバイザーが良い会社を積極的に紹介してくれることで、より相手の興味が高くなるのも商談や、成約につながるポイントと感じたそうです。
「『東北復興水産加工品展示商談会』は、色々なところからバイヤーを集めてくださるし、水産関係の人ばかりなのでマッチング率が本当に高いです。それ以外でも『復興水産加工業等販路回復促進指導事業』で参加する展示会はサポートも本当に手厚いですよね。初心者も復興水産販路回復アドバイザーから商品の陳列方法など基本的なところからアドバイスをもらえるので、展示会が初めてでも安心して参加できると思います」
今までは中央卸売市場に卸し、古くからのお客様が中心だった丸石沼田商店。実は一時期、一般的なスーパー向けの商品も扱っていたのですが、価格競争に巻き込まれ、沼田さんのお父様の代に「オリジナル製品の開発と市場の開拓に努める」「高品質の製品をつくる」という原点に回帰しました。その上で今後は、新たな事業を立ち上げていく予定です。具体的には物産展やECでの直販を検討しています。
「コロナ、インフレ、円安など、今は本当に時代の変わり目です。採算をとるのも厳しくなってきている中、このままの商売では立ち行かなくなってくると思うので、自社で値決めをして、きちんと利益が出るように、高付加価値化と販売方法の構築をしていかなければいけないと思っています」
もう一つ検討しているのが、さぬきうどんなどで用いられる「ちくわ天」用の野焼きちくわ。飲食店向け商品の開拓です。今までは看板商品である牡丹焼きが中心だったので、表面全体をこんがりと焼く野焼きちくわに関しては試行錯誤中だそうですが、最近、野焼きちくわの作り手が高齢化で減ってきたこともあり、丸石沼田商店への引き合いも増えているのだとか。これを機にもう1つの柱として、業務用の野焼きちくわを育てていきたいのだそうです。
「直販と業務用が展開できるようになったら、以前やっていた揚げ売りの店舗なども復活させたいですね。また青森は豪華客船が年に30隻は来るのですが、弘前市、奥入瀬などに観光に行ってしまうので、青森市での観光はあまり盛り上がっていないのです。ゆくゆくは、観光客にちくわ作り体験や工場見学なども出来ないかと思っています」
確かな伝統に根ざしつつも、そこに甘んじることなく進化を遂げていく丸石沼田商店。その商品は、今後も様々な場所で「良いもの」を愛する人に求められていくのでしょう。
株式会社丸石沼田商店
〒030-0811 青森県青森市青柳2丁目12番10号自社製品:焼きちくわ、かまぼこ、揚げもの ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。