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セミナーレポート「復興10年を踏まえ、これからの10年に対する意識改革」~withコロナでの水産加工品のトレンド、販路拡大の取組、ウクライナ情勢による打撃への対策~

令和4年9月14日に、「東北復興水産加工品展示商談会2022」にて、「復興10年を踏まえ、これからの10年に対する意識改革~withコロナでの水産加工品のトレンド、販路拡大の取組、ウクライナ情勢による打撃への対策~」と題したセミナーが開催されました。
本セミナーは、復興地域での様々な取り組み事例を交えながら、震災前後で変わった点や、これからの水産業における課題と対策について講演されました。

講師
東北学院大学教養学部地域構想学科
教授
柳井 雅也氏(モデレーター)
有限会社飯塚商店
代表
飯塚 哲生氏(パネリスト)
株式会社北三陸ファクトリー
代表
下苧坪 之典氏(パネリスト)

株式会社ヤマナカ
代表
髙田 慎司氏(パネリスト)
販促ツール有限会社
山田 英司氏(パネリスト)

<はじめに>

震災から10年を経て、売り上げが震災前まで回復した水産会社は確かに存在しますが、割合はまだ少なく、さらに水産業全体の規模縮小も見られています。前向きな取り組みをして回復に至った水産会社と、売上がひとまず回復したが他に打つ手のない水産会社では、売り上げの差が浮き彫りになっています。
本講演では、東北被災地域で新しい取り組みをされている方々に、その秘訣や今後の方針などを伺い、震災、コロナ情勢、ウクライナ情勢と様々な課題を踏まえて、今後に向けた対策のヒントを見つけていきたいと考えております。

<震災から10年が経過し、どのような取り組みを行ってこられたか>

「一次加工品販売の可能性」と「鮮魚販売の難しさ」 有限会社飯塚商店
飯塚
私は福島県相馬市で水産仲卸業を営んでおり、地域で水揚げされた魚を豊洲市場などに流通しています。商売形態の8割が鮮魚出荷で、この他にイワシの開き、サメガレイのグラムカット、アンコウのぶつ切りなどの一次加工品をホテルや飲食店などに卸しています。魚離れが加速するこの時代に鮮魚販売が縮小傾向にある一方で、一次加工品は今やトレンドになっていると感じます。そんな折、ウクライナ情勢などの影響で、出荷時に使う発泡スチロールや運送費などが1年に2度のペースで値上げしています。鮮魚は販売価格が安定しないため、これだけの値上げが重なると本当に厳しい状況で、本来は魚屋として鮮魚販売を主力としたい考えでしたが、これから先は商売の中身を変えていかねばならないと思っています。

震災後の主な取り組みとしては、漁師のまかない飯を漁師と共同開発しました。福島県相馬地区では震災前まで卸と漁師は犬猿の仲でした。仲卸は1円でも魚を安く仕入れたい、漁師は1円でも高く売りたいとの考えが自然と対立を招き、これまで交錯することはありませんでした。しかし震災後に共通の危機感を抱き、一緒に取り組みしましょうということで始めたのが、漁師のまかない飯「ドンコのつみれ汁」の商品開発でした。ドンコ(別名:エゾイソアイナメ)は足が早く、市場にはあまり流通されない魚で、福島県ではこれまで捨てられていたこともあるなど、地元でもあまり人気がありませんでした。ところが漁師の賄い飯がとても美味しいということで、付加価値をつけるべく商品開発を行いました。開発から1年は、関東方面を中心に様々なイベントにも参加しました。

「岩手県洋野町発ウニのブランド化」と「人材の重要性」 株式会社北三陸ファクトリー
下苧 坪
岩手県洋野町種市地区では、三陸で最もアワビが獲れる地域でした。私の曽祖父は香港まで船で渡り、現地で直接取引をしていたそうですが、徐々に資源も乏しくなり、曽祖父が起こした会社も父の代で畳むことになりました。私自身は成人してから異業種でサラリーマンをしていましたが、2010年に地元に戻ってひろの屋という会社を起こし、2018年には北三陸ファクトリーという会社を起こしました。地元に戻って水産業を起こした理由は、素晴らしい水産資源がとれ、地域が潤い、そして何よりも輝いていた頃の岩手県洋野町を、もう一度私達の代で取り戻したいと考えたからからです。

震災後、震災による被害が大きかった地域には大企業の資本が沢山入ってきました。私達も沢山の企業にご支援をいただき、現在はFSSC22000、ISO、JFS-Cなどを取得した、どの国にも出荷できる工場を有するまでに成長しました。成長のきっかけは本州で生産NO.1を誇るキタムラサキウニです。よく利用される“三陸”というワードは、実は東京までしか通じません。東京から南の地域、そしてもちろん世界では誰も知らないワードです。そこで、「世界の三陸」ではなく、「世界の岩手県洋野町」を広めたいという考えから、「洋野うに牧場で育った四年うに」という商品をブランド化しました。この6年間ウニだけで取り組み、いまや豊洲ではNO.1のプライスリーダーまでとなりました。

ここまで到達できた理由は、この10年間で、スペシャリスト達が兼業、副業人材などで役員に就いてくれたからです。私の曽祖父の時代は、昆布がたくさん生え、アワビなども大きく、付加価値の高い商品を輸出していました。現在はいわゆる磯焼けが原因で、海藻が少なく、ウニの身入りが乏しい状況です。しかし北海道大学、愛媛大学の先生などが会社に加わってくれたおかげで、磯焼けも技術で改善することができます。

水産業は課題だらけですが、一番の課題は“人”です。我々の業界は法人化する会社が非常に少なく、0~1を作ってそれを大きくしていくようなイノベーション人材の育成が必要です。水産×DX、水産×他業種など、新たな取り組みを重ねて、水産業の体質をどんどん改善していかなければ、水産業の未来はないと強く感じています。弊社では、これまでの持続可能(=Sustainable)から、再生型の水産業(=Regenerative)に向けて、様々な取り組みを始めています。

「海外の商流作り」と「国内流通の見直し」 株式会社ヤマナカ
髙田
私は元々、全く畑違いの仕事をしておりましたが、このままで人生を終わらせたくないと考え、2008年に地元・宮城県石巻市に戻り、水産会社を起業しました。宮城県は養殖水産物の生産量が東北で最も多い地域です。価格の乱高下が激しい天然資源とは異なり、養殖は価格が安定していて、漁師の数で生産量もある程度把握できるので、年間の販売戦略が容易です。私達の会社では、ホヤ、ホタテ、牡蠣の養殖水産物を軸として、これまで15年間を歩んできました。

東日本大震災を経験してから、2018年に増資し、2019年にベトナムホーチミシティに現地法人を設立し、2020年に日本養蠣合同会社を設立しました。日本養蠣合同会社は、輸出向けに養蠣を養殖生産する目的で、私達と漁業者と商社の3者が連携して作った会社です。

震災後の宮城県における養殖業の課題は人材不足です。2010年(震災の前年)は4,205名もの生産者がいましたが、5年後の2015年(震災後)には、40%もの生産者が減少しました。なかでも牡蠣養殖の生産者数は、2010年:1,141名→2015年:399名まで減少しています。宮城県は広島県に次ぐ牡蠣の一大生産地でしたが、このままでは岡山県に抜かれてしまう可能性があります。

減少した一番の原因は、低所得です。宮城県の調査では、平成26年当時の牡蠣養殖の平均所得は680万円でした。日本ではむき身の流通が一般的となることから、さらに剥き子を雇う必要があります。このように人件費や燃料代などの経費を差し引くと、手元に残るのは数百万程度になります。このような収入では、次世代に養殖を継がせようと考える方も少なく、現在の担い手不足問題に繋がったものと考えられます。

この状況を踏まえ、国内流通だけでは局面を打開するのは難しいと判断し、2014年から海外流通をスタートしました。当時は海外で日本産の牡蠣を見ることはなく、ほとんどがアメリカ、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、アイルランドといった欧米諸国の牡蠣が海外の主要都市に空輸されています。日本産水産物が多く輸出されている香港のマーケットでさえ、日本産の牡蠣は存在していませんでした。これだけ近い距離なのになぜ流通がないのかと疑問に感じ、海外への商流を徐々に構築していき、2021年には日本産牡蠣の輸出量が2,000トンを超えるなど、漁業者の所得も徐々に向上しています。ひとつの会社だけで何百トンもの生産はできませんので、岩手県の事業者と連携しながら輸出向けの牡蠣を生産している状況です。地域資源の収入を地域だけで得るため、商社は一切頼らず、すべて自社で商流作りから輸出手続きを行っています。

これまで、国内流通と海外流通の二段構えを軸としてきました。国内流通は、中央卸売市場→仲卸→飲食店または量販店の流通方法がゴールと考え、とにかく量販店の棚にさえ入り込めば大丈夫であろうとの一心でした。しかしコロナ禍で販売数が落ち込み、2020年には覚悟を決め、脱・卸売市場、脱・量販店を宣言し、利益率がひと桁台の商流は全て販売をストップし、4割程度の利益がとれる先だけを残しました。その結果、2022年3月期決算ではV字回復を遂げることができました。現在は加工品製造全体の7割を停止し、量販向けのものづくりをやめる一方で、付加価値の高いモノづくりにシフトしている状況です。

営業開発支援の事例から見た販売強化の方法 商品販促ツール有限会社
山田
私は現在、小規模企業事業者を対象に、販促ツールをはじめとする営業開発の支援を展開しています。現在までに支援した3つの事例をご紹介します。

一つ目の事例は、岩手県大船渡市で塩蔵わかめを扱う事業者様から、パッケージを変更したいとのご依頼いただきました。よくよくお話を聞くと、パッケージを変更したい理由は、徐々に在庫がたまってしまって、何とか処分したいとのことでした。パッケージを変更してまで、現在の形態のままスーパーに卸す必要はないと判断し、手売りしてはどうかと提案しました。実際に色々なスーパーの催事に出店した結果、1日で約500食もの販売実績があり、売価は当初の350円から650円まで値上げしていますが、それでも売上に影響はなく、年間30~40クールで動かしながら在庫を捌かしています。これを流通に乗せようだとか、商談会に出てみようなどとアドバイスしてしまうと、小規模事業者は一気に疲弊してしまいます。アドバイスは非常に重要なポイントです。状況を把握するには、まず実情をよく把握する必要があります。

二つ目の事例は福島県いわき市の水産会社様で、パッケージを今風に変更していきたいとのご相談をいただき、2017~2021年の4年間、パッケージ開発に携わらせていただきました。コロナ禍で原材料費もアップし、サンマの不漁も重なって、そもそも原料の変更が必要となったことで、主な販売対象業態であった飲食店を諦めざるを得なくなるなど、打ち出した戦略がすべて頭打ちとなってしまいました。この結果、バルク品やレンジアップ商品を開発し、さらにはPマークの取得などのブランド推進を進めるなど、創業依頼の変革が起きています。

三つ目の事例は、宮城県東松島市の水産会社で、とにかく商品を高く売りたいとのご要望でした。元々はビニール製の箱で売価350円の海苔を、450円まで値上げしたいとのことで、過去の事例を参考に、パッケージを小型化することで、実質的に販売価格を値上げすることに成功し、現在では軌道に乗っています。このように事業者の要望が具体的であるケースは非常に少なく、課題を誤って状況把握している事業者様もいらっしゃいます。私は営業開発の専門家で販路拡大を24年ほどやっていますが、マーケットのことを知らない生産者が多いと感じています。良い商品を持ちつつも、自身の目線と、背丈にあった商品開発や販路を見つけていくことが、もっとも必要です。コロナ禍によって、マーケットの変革、さらには原料高騰が起き、これから水産業は大変な時代へ突入しますが、皆様方のご支援を継続したいと考えています。

まとめ 東北学院大学
柳井
今回発表いただいた内容では、大きく分けて3つのポイントが参考となりました。
一つ目は、商品の副次的効果を見るといった点です。飯塚商店様の事例からは、本来は鮮魚で勝負したいが一次加工品でも利益を確保できるように、ヤマナカ様の事例からは、養殖魚の価格が安定していることに視点を移すということ、北三陸ファクトリー様の事例からは、海外輸出を視野にいれながら長期保存可能な水産物を開発するといったこと、販促ツール様の事例からは、パッケージのデザイン・サイズを変えながら付加価値をつけて販売先を変えていくといった点です。

二つ目は人材です。大手企業ではCSR事業を推進していますが、大企業と支援企業の経営方針のベクトルを合わせながらwin-winの関係を構築し、事業展開を図るということです。同じ方向を見据えた仲間がノウハウを重ねて、海外輸出につなげるなど、今までにはない取り組みで地平を開くといった点です。

三つ目は販路です。国際化が主なキーワードとなりますが、国内市場では差別化が重要で、海外市場では自身のやりたい内容を、自身の売りたい価格で勝負できる可能性を秘めていますので、思い切って商品戦略を見直しながら、付加価値を高め、ひいては経営資源を集中ことも重要といった点です。

様々な取り組み事例を伺い、重要なキーワードと学びのあるお話でした。
では次に、これからの10年においてどのような取り組みが必要となるか、お聞きしましょう。

<これからの10年ではどのような取り組みが必要となるか>

DXを活用し、地域と向き合うこと 株式会社北三陸ファクトリー
下苧 坪
岩手県洋野町における生産者の年齢は、65歳以上が全体の4割を占めており、40歳以下はほぼ皆無です。どんなに良いウニ、良い製品ができても、若者がいなければ未来はなく、DXをしっかりと構築する必要があると考えています。ウニ養殖の技術開発は、北海道大学と連携して、餌とウニを育てるカゴの特許を取得しました。そしてまもなく、非破壊測定が完成します。これによって身入りの悪いウニが測定でき、もう一度海に戻して餌を与えながら育てることも可能になります。これまで手作業で行ってきたことはこれから機械ができるようになります。

それから、我々は地域と水産業の未来を創造することを目標としています。三陸・常磐には素晴らしい水産物ばかりですが、その素晴らしさをしっかりとお伝えするには、起業家精神をもちながらしっかりと地域と向き合い、地域のストーリーと共に、コモディティ化した商品ではないことをお客様に伝えていくことも重要です。

養殖水産物の拡大と国内マーケットの見直しを図る 株式会社ヤマナカ
髙田
これからはモノ作りと流通の仕組みをパラダイムシフトすべき過渡期になると見ています。北欧と中国などでは水産業が成長産業となっており、天然資源こそ横ばいですが、養殖水産物の伸び率が非常に際立っています。先進国では養殖業を国策としており、日本もそのような領域に入っていかねばならないところまで追い込まれています。民間企業にできることは限られています。できることは何かと言えば、今までのプライドを捨てて、周囲に協力を仰ぎ、物作りに取り組むことです。私達は養殖の領域に入り込み、生産された牡蠣を全量購入し、責任を持って海外に販売するといったゴールをしっかり示しながら、生産者と共に戦う仕組みとしました。

国内マーケットはコロナで大きな打撃がありました。一旦立ち止まりながら俯瞰して全体を見渡した結果、これまで単にモノを載せれば流れていくといった潜在認識がありましたが、時代は変わり、もしかしたら違っていたかもしれないという気づきから、今まで以上に利益が得られるモノ作りに成功しました。これからの10年はこの考え方でやっていきたいと考えています。

漁師・地域と共に天然魚を扱う 有限会社飯塚商店
飯塚
天然魚は不安定で、去年獲れていたものが今年は獲れません。福島県相馬市では最近、天然トラフグが獲れるようになりました。下関では1年間で2トンの水揚げに対して、私達の地域では昨日だけで1トンもの水揚げがありました。しかし今までトラフグなど食べたことがなく、もちろん料理人もいないので、ブランド化しましょうといった動きもありますが、獲れる=ブランド化は全く別の話であって、来年も獲れるかは全く予測できません。こうした流れから、本来はシラスを獲りにいく時期にも、トラフグを獲りにいく漁師が増えてしまって、シラスの加工屋は仕事がなくなるなど、獲れる魚で大きく影響を受けている状況です。

私はこれからも地元・福島の天然魚を扱っていきたいという強い気持ちと、地元漁師と心中する覚悟を持ってこれまでやってきました。しかし、天然の魚が獲れなくなれば、もしかしたら陸上養殖に参入しなければならない時が来るかもしれません。祖父の代からやっている飯塚商店を途絶えさせることはできず、業態転換してでも会社は残さねばなりませんが、今はまだ、天然魚と、漁師と、そして地域と一緒にやっていきたいと考えています。

安定供給とマーケットに適合した商品展開 商品販促ツール有限会社
山田
小規模企業を支援する場合、経営資源が極端に少ないため、ピンポイントで指導・支援を行う必要があるのと、最初にボタンをかけ違うと後からの修正が効きません。しかし、事業者自身が本来の課題に気づいてないことも多く、第三者や関係者のアドバイスが非常に重要ではないかと感じています。

特に事業側はどうやって商品を安定供給していくかを考える必要があります。天然魚はたしかに不安定要素がありますが、安定供給は絶対のテーマになると考えています。そのために事業者は戦略統合していかねばなりません。あとは時短や即食など、時間というキーワードが現在のマーケットで求められていますので、市場に適合した商品を供給していくことが、事業者にとってこれからの最大のテーマかと感じています。

まとめ 東北学院大学
柳井
事業者に求められるのは、商品の目の付け所であったり、国際化であったり、あるいは技術であったり、いちど立ち止まって見直すことが重要かもしれません。そして最も基本となるのが、人材育成と人との繋がりです。特に人との繋がりは、これまで孤独に戦ってきた方が多い業界なので、これからは人との繋がりがないとこの難局を乗り切るには厳しくなっていきます。ノウハウがなければ誰かにアドバイスを求めることが必要で、さらにお互いがwin-winとなる関係を構築することが重要な時代となります。
聴講頂いた事業者の皆様、バイヤーの皆様においては、このような取り組みを参考にし、繋がり・アドバイス等ができる人の繋がり・育成について少しでも考えていただき、水産業の発展に繋がていければと思います。