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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第127回宮城県山徳平塚水産株式会社

マンションの一室から見出した販路。常温処理技術と「もう一度食べたくなる味」で復活を果たす

宮城県石巻市の旧北上川の東にある魚町(さかなまち)には、かつて大中小数多くの水産加工工場がありました。

昭和40年頃の北上川の様子
▲ 昭和40年頃の北上川の様子

そのなかのひとつ、山徳平塚水産株式会社は、1931(昭和6)年、現代表取締役社長、平塚隆一郎さんの祖父にあたる平塚留五郎さんによって創業(創業時の屋号は山徳平塚商店、昭和33年に法人化の際、現社名に改名)されました。

創業当時は鰹節等を手がけており、その後、笹かまぼこ、揚げかまぼこなどの練り製品やちくわ製造などにも着手。現在は、煮魚、焼魚などの魚惣菜、調理済みおでんなどを主力製品として製造しています。

平塚さんが家業である同社に入ったのは1987(昭和62)年、大学卒業後5年後のこと。

代表取締役の平塚隆一郎さん
▲ 代表取締役の平塚隆一郎さん

もともと家業を継ぐつもりはなく、大学では、文学部社会学科で民俗学を専攻、文化人類学を学び、卒業論文ではオーストラリアの先住民族、アボリジニをテーマにしていたそう。

マスコミ志望だったという平塚さんですが、就職活動を通じて心境に変化が訪れます。

「就職活動は広告代理店を回ったんですが、企業を回るうち、いや待てよ。商品あっての広告じゃないか?それならものをつくるほうがいい、ものづくりをしたいという思いが強くなってきました」(代表取締役の平塚隆一郎さん、以下「」内同)

そして入社したのは、中小のスーパーマーケット向けに共同仕入れをする東京の大手流通企業。冷凍野菜、漬物などのバイヤーを担当していました。

「バイヤーという立場でしたが、作り手側の目線に立って商談をしていました」

流通にかかわった5年間で、ものづくりの基本、売れる商品づくりについては学べたと当時を振り返る平塚さん。当時関わっていたメーカー関係者とは、退社してから数十年たつ今も関係が良好で、展示会などで声をかけられることがあるそうです。

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