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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第130回千葉県有限会社ぼうか水産

廃業も頭をよぎる。誰もいない工場。家族で乗り越えた震災後

2011年、東日本大震災が起きたとき、土屋さんは工場内でサバフィレの加工を行っていました。

「大きな揺れのあと津波も警戒はしましたが、これまでは津波が来ても1~2cm程度だったので大丈夫だろうなあと。そうしたらゴーッという音ともに津波が押し寄せてきて…」

海岸までは歩いてもわずかな距離。目の前に押し寄せる津波から、当時9人いた外国人技能実習生含む従業員たちに、「すぐに逃げて!」と声をかけながら必死で避難。避難所の小学校にたどり着いたものの、余震が来るたびに建物から外に出なくてはいけない状況でした。そのため、同社の従業員、さらに親戚の水産加工場に務める従業員を親戚所有の倉庫に泊め、不安な夜を過ごしました。

津波到達は、60cm。本社の2階事務所は無事だったものの、1階工場内の設備、フォークリフト3台はすべて塩水をかぶって使用不能になり、出荷前の商品もすべて流されました。

ライフラインが復旧し、1週間たったころから徐々に工場を再開させたものの、「震災前につきあいのあった取引先のなかには、音信不通のところもありました。震災直後、再開は無理かなと一時は廃業も頭をよぎりましたね」と土屋さんは話します。

最も大きな打撃は福島第一原発の事故による影響です。イワシ漁の操業日数が激減。漁獲量もゼロに近く、原料の確保が極めて困難になり、主力商品だったイワシ丸干しの市場からの注文数も激減しました。原発事故の風評被害の影響も大きく、長男の勝さんが手がけていた活魚事業からも買い手がつかないため撤退を余儀なくされます。

「食生活の変化もあって、イワシを食べる人も減ってきました。でも、自分もイワシの丸干しが好きで、うちのイワシの丸干しを待ってくれているお客様もいる。本当はイワシを使ってもっと商売をやりたい。でも、イワシがなくては……。それでもなにかやらないと事業を継続できない」

そう思った土屋さんは、イワシを主体としていた事業形態からの転換を図りました。「イワシが自分たちの商売の始まり」、そう話す土屋さんにとっては、苦渋の決断でしたが、これまでの概念を取り払って歩みを続けるしかなかったのです。

震災前から少しずつ取引をしていた県内の水産加工業者に「加工量を増やしてほしい」と依頼、委託加工によるサバフィレの生産比重を増やしていくことにしました。しかし、震災前に従事していた従業員は、原発事故の影響を不安視し離職、一時は誰もいなくなるという事態に。

そのため、土屋さんと妻の照代さん、勝さんの3人で朝から夜遅くまで工場での仕事を続け、なんとか事業を継続させていました。その後、新規採用等もあり、労働力の確保にはめどがたったものの(2020年11月時点で従業員10人)、既存の機器では生産効率が悪く、受注数量に応えられない状況が続きます。

また、委託加工以外にも利益率の高い自社ブランドの生産を行いたいと考えていましたが、余力がなく着手できずにいたのです。

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