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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第147回岩手県有限会社木村商店

避難所でレシピを書き起こし、包丁1本から再出発

トシさんが家業を引き継いだ後、事業は順調に発展していきました。平成11年には加工場のほかに、いか徳利の製造体験もできる直売店も建設。売店も加工場と同等の売上を上げるまでに成長しました。そして震災の時、トシさんがいたのもその売店でした。

「給料計算をしていたら揺れだしてね。揺れが収まってから車で2分くらいの工場に行って、従業員を高台にあった私の家まで避難させました。あの時、放送で“3mくらいの津波が来ます”と言っていたんだけど、それまで何度も“1mの津波”と言われて、10~20cmということが続いていたので、最初はたいしたことないんじゃないかと思って。でも堤防から波があふれて、街がどんどん壊れていきました。流されるんじゃなく、ゴゴゴゴとすごい音がして街が壊れて、その残骸が流されていくんです」

▲ 震災前、海のそばにあった工場直売の店舗
当時はたくさんのお客さんでにぎわっていた

避難途中、勤めていた郵便局の屋上や水産会社の屋上で手を振っている人も見えたと言います。やっとの思いで自宅に帰り、避難してきた見ず知らずの人たちのために自宅の仏間を開放し、着替えの世話をしていたところ、今度は「火事の危険がある」ということで近隣の高校の体育館に移動することとなりました。

「テレビはつかないし、携帯も充電できないから使えないし、世間話ばかりの避難所生活は性に合わなくてね。体育館には工場長と従業員も避難していたから、“よし、皆でレシピを思い出そう”と、震災の翌日からすぐにみんなの記憶を頼りにレシピをノートに起こしました。何もすることがないし、ただおしゃべりするより、そっちの方が自分達らしかった」

震災から1週間は高校の体育館で過ごしましたが、避難者が増えてスペースも狭くなり、「家がある人は早めに戻った方がいい」と決心したトシさんは、早々に自宅に戻りました。山田町は津波以上に火事の被害が大きく、トシさんの自宅も壁が少し焼け焦げていたといいます。

そして4月20日には、被災を免れた倉庫にあった原料を集め、焼けた隣家の跡地を借り、16坪の作業場を建てて仕事を再開したのです。避難所で書き起こしたレシピを使い、自宅のまな板1枚、包丁1本からの復活でした。

とは言え、仕事をやるか、やめるかでは大きな葛藤がありました。今でも当時の葛藤を思い出すのはつらく、3月11日はなるべく震災を思い出さない環境に身を置いているそうです。

「震災前に店と工場があったのは、浜風が感じられる海のすぐそばでね。1回行ってみたけど、もう、髪の毛1つ残ってないの。避難所から家に戻ってきた時も、本当は面倒くさいな、やりたくないなという気持ちの方が大きかった。でもね、“トシちゃん、これからどうする?”と聞かれた時、口では“やる”と言ってました。気持ちとは別のことを言っちゃうんですよね」

再開後は、復興支援のイベントが多かったこと、当時は働く場所が少なく人手を確保しやすかったことなどが功を奏し、加工場の売上は2011年中に震災前の80%まで回復しました。ただし、復興が軌道に乗り始めた4年後くらいから人手の確保が難しくなり、また直売店も再開の目途が立たないことなどから、木村商店全体での売上が震災前の水準には戻ることはありませんでした。

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