企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します
第166回宮城県水月堂物産株式会社
順調に事業規模を拡大してきた水月堂物産ですが、東日本大震災の津波により、主力だった3拠点のうち2つの工場を失います。残った一つは生ガキ出荷用の水汲み場。機材も残っていませんでした。
「従業員も一旦全員を解雇することになりましたが、その年の10月に再び集まってもらい、水汲み場を加工場にして仕事を再開することにしました」
機械がないため、カキのつくだ煮、ホヤの塩辛など、手作りでできるものから再出発。何を使っていたのか記憶を頼りに調理用具の買い出しを行うことからのスタートでした。味付けのレシピも津波で流されましたが、たまたま阿部さんが撮っていたレシピの写真が残っていたことで難を逃れました。難しかったのは原料の入手です。震災後しばらく、宮城ではホヤの水揚げが行われませんでした。
「韓国に輸出していた宮城産のホヤがあることが分かり、すぐに逆輸入する形で調達しました。また新しい乾燥機が入ったことで、ほや酔明の再開目処も立ちました。取引先に連絡したら、『送ってください』と言われたので、すぐに準備を進めました。出荷できたのが2011年12月24日。何とか年末に間に合ってホッとした気持ちでした」
やがて逆輸入のホヤが入手できなくなると、今度は北海道からホヤを調達するようになります。しかし現地でホヤの剥き作業もお願いしたところ、買取価格が高くなってしまい、ほや酔明を作っても赤字だったといいます。
宮城県内でホヤの水揚げが再開したのは2014年。そこからようやく売上に利益も付いてくるようになります。しかし一方で、震災前の主力事業であった生ガキの出荷、小女子のつくだ煮は売上を落としたまま。この状況を乗り切るには、好調のホヤ酔明をどれだけ増産できるかがカギとなっていました。しかし……。
「2019年に『やまびこ』など一部新幹線での車内販売がなくなりました。やまびこでの売上は大きな比率を占めていたので、大打撃でした」
周囲から倒産を心配されるほどの窮地を救ったのは、ある俳優さんでした。その俳優さんが人気テレビ番組でほや酔明を紹介したことがきっかけで、売上がV字回復したのです。
「駅の売店などを回り、『テレビで紹介されたので置いてもらえませんか?』と営業をしました。店内の目立つ場所に商品を置いてもらえて、売上はますます伸びました」
ところが、その売上もやがては頭打ちとなりました。そこからさらに増産しようにも、人手が足りなかったのです。