国産活タコの足を一本丸ごと炙り加工。見た目にもインパクトのある商品はSNSで話題となり、量販店でも順調に売上を伸ばしています。
三陸の豊かな漁場に恵まれ、国内有数の硯(すずり)石の産地としても知られる宮城県石巻市雄勝(おがつ)町。この地で水産加工業を営むマルカ高橋水産は、1988(昭和63)年の会社設立当時は地元で揚がる魚を活魚として出荷する事業者でした。
その後サケを中心にさまざまな魚種の加工も手掛けるようになりましたが、現在は国産の活タコの加工一本に絞っています。近年は海外から輸入される冷凍タコが増え、国産のタコも輸送時には冷凍されるのが一般的です。社長の髙橋 力(つとむ)さんは、「生きたタコ」を使うことへのこだわりをこう語ります。
「タコは一度冷凍すると、身が硬くなるなどのデメリットがあります。当社はタコ本来のおいしさを味わってもらいたいので、水揚げから製造、出荷まで一度も冷凍されない製品を作っています。タコを一度も冷凍しないことで、タコ本来の身の柔らかさ、肉の厚み、甘みをお楽しみいただけます」(株式会社マルカ高橋水産 代表取締役 髙橋 力さん、以下「」内同)
生きたタコを扱う加工業者は多くないそうですが、マルカ高橋水産は年間を通じて、活タコを加工しています。それを可能にしているのが、2台の活魚車(水槽と酸素ポンプを備えた運搬用のトラック)と生け簀(いけす)です。
「活魚車は1台あたり5トンのタコを運べます。北海道や三陸沿岸の産地から、半日から1日程度で雄勝まで運んできて、それをタコ専用の生け簀(いけす)に入れて休ませます。生け簀で最大20トンの生きたタコを保管でき、水揚げがない時でも加工できる体制を整えています」
一部輸出用や遠隔地向けを除いて、国内で販売される製品のほとんどが冷蔵出荷。一度も冷凍することなく食卓に届けることを可能にし、他社製品との差別化を図っています。
2011年3月の東日本大震災では、最大遡上高21メートルの津波が観測された雄勝町。マルカ高橋水産は、震災の3年前に建てたばかりの新しい工場も含め、町内にあった3つの工場すべてを失います。
「当時大学4年生だった私は東京にいました。3月下旬にこちらに戻ってきた時には、工場のあった場所には何もない状態。私の通っていた中学校の屋上には、バスが乗っていました」
壊滅的な被害に見舞われたマルカ高橋水産でしたが、髙橋さんの父・髙橋 貞さん(当時社長・現会長)は再建に向け、資金調達に奔走しました。その結果、震災翌年には加工が再開し、2014年には現在の本社工場が完成。復興への準備は整ったかに思われました。ところが震災以降、これまで原料を調達していた地元漁港では水揚げが減ってしまい、せっかくの新工場も思うように稼働させられない状況が続きました。
「大学卒業後、水産加工卸の会社に勤めていた私は、2017年に地元に戻ってマルカ高橋水産で働き始めました。当時は原料高と人手不足のために、お客様から要望があっても作れないことがありました」
販売部門を任されていた髙橋さんは、ここで大きな決断をします。タコとタラ以外の魚種から撤退することにしたのです。
「いろいろな魚種を扱えることは当社の強みでもあったのですが、少量ずつの製造では利益を出しづらく、原料価格の高騰でそのハードルがさらに上がっていました。サケ、カツオ、イカなどは競合も多い。タコを選んだというよりも、『タコしか生きる道がなかった』という状況でした。タラはその後もしばらく続けていましたが、現在はタコだけを取り扱っています」
タコに特化したことで、これまで1日600キロほどだった生産量は、2~3トンに増えました。営業効率も上がり、大手量販店など、新しい販路も開拓されていきました。
「売上が順調に伸びていたところにコロナ禍があり、一時期は1日の売上が5分の1まで下がってしまいました。旅館やホテル、飲食店からの注文がなくなったのが痛かったですね」
コロナが落ち着き始めたことで売上は徐々に戻りますが、そこからさらに売上を伸ばしていくには、人手不足という状況の中でも生産能力を高める必要がありました。
焼き上がったタコは、真空パックする前に冷却する必要があります。この冷却工程に時間を要していたことが生産のボトルネックになっていたことに着目した髙橋さんは、販路回復取組支援事業の補助金を活用し、急速冷却機のブラストチラーを2台導入しました。
「従来と同じ時間、人数で1.5倍の製造が可能になりました。急速に冷やすことで食感と甘みがしっかりと閉じ込められて、さらにおいしい製品が作れるようになりました」
急速に冷やすことで細菌の増殖が抑えられるという衛生面でのメリットもありました。取引のあった大手量販店への納品も増加し、新たな販路獲得のチャンスも広がっています。
「ブラストチラーは十分な処理容量がありながらコンパクトなので、生産量に応じて後から台数を増やすこともできます。身の丈に合った投資ができてよかったなと思っていたところ、活タコの炙り焼きが定番化してきて『もっと数量を増やしてほしい』という要望をいただきました。そこでもう1台導入することも考えています」
2024年6月からマルカ高橋水産の社長を務めている髙橋さんですが、もともと会社を継ぐつもりはなかったそうです。
「子供の頃の私は、水産加工業にあまりいいイメージを持っていませんでした。生魚のにおいが苦手だったんです。ただ、最初に入った会社で、水産物のおいしさに触れて、徐々にこの業界の仕事にのめり込んでいきました。震災後の父が、前向きに会社を再建している姿を見て、男らしいなと思ったのも決意を固めるきっかけの一つでした」
震災後は新しい防潮堤や道路が完成し、町の景観が一変。「今も違う町にいるような感覚がある」という髙橋さんですが、「唯一変わらないものがあるとしたら、海」なのだそうです。
「海を見ると、故郷にいることを実感しますね」
今では水産加工業の魅力、そして産地の魅力を発信していくことも、大事な使命の一つになっています。
「日本人が魚を食べなくなっている現状を眺めているだけでは、この業界自体が消えてしまうという危機感があります。会社としても個人としても、まずは自分たちが作っている水産加工品のおいしさを知ってもらえるように頑張りたいですね。『おいしいものを作っているかっこいい業界』と思ってもらえるようになれば、産地で働きたい人も増えると思います」
マルカ高橋水産に入社して以来、父親からは特に言われることもなく、ほぼすべてを任せてもらっているという髙橋さん。会社としての新しい方針も髙橋さんが作っていますが、それでも昔から変わらないことがあるそうです。
「モノづくりに誠実であるというところは、昔も今もずっと変わっていません。うちの従業員は、『この程度でいいや』と思って作っていないんです。タコの焼き加減一つとっても、しっかりと目と手触りで確かめて、最高のものを作っています。」
タコの炙り焼きも、製品自体は味付けも含めて髙橋さんの両親が完成させていたものでした。新しい技術の導入で、流通後の味や衛生面を向上させたものが今の製品となっています。
「私はもともとあった製品に販路を与えただけで、まだ新しいものを生み出したわけではありません。そういう意味では、これから新しい製品を作っていくことが自分の仕事でもあります。自分たちの作った製品が、お客様から『これ本当においしいよね』と言われるのが一番うれしいことですから、そこを常に目指していきたいですね」
今後は海外への輸出をスピーディーに展開したいという髙橋さん。活タコ製品のおいしさを国内外に広め、ブランド価値をさらに高めていきます。
株式会社マルカ高橋水産
〒986-1333 宮城県石巻市雄勝町雄勝字上雄勝150自社製品:活タコ炙り焼き、活タコ旨味蒸し ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。