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企業紹介第205回宮城県株式会社ヤマホンベイフーズ

サンマの町・女川の百年企業がつかむ「浜のチャンス」

全国有数のサンマの水揚げ基地として知られる宮城県・女川町。この町に工場を構えるヤマホンベイフーズは、創業100年を誇る女川の老舗企業・ヤマホンからの分社化により誕生した水産加工会社です。両社の社長を務める山本丈晴さんは、創業からの経緯についてこう語ります。

「1925年(大正14年)に、私の祖父が山本商店という屋号で水産加工業を始めたのが当社の始まりです。当初はおそらく、かつおぶし、ワカメ、干物などを作っていたのでしょう。その後、昭和の高度成長期に流通が発達したことで鮮魚出荷も手掛けるようになりました」(株式会社ヤマホンベイフーズ 代表取締役社長 山本 丈晴さん、以下「」内同)

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創業者の孫にあたる山本さん

鮮魚部門がメインになったヤマホンでは冷凍工場の建設が進み、1985年(昭和60年)には時代に先駆けてサンマの自動選別機も導入されました。さらに1999年(平成11年)からは、海外から機械を取り寄せてディープチルアイス(海水シャーベット氷)を導入し、魚をより新鮮な状態で流通させることが可能になりました。その頃になると、市場ではより高付加価値の製品が求められるようになり、ヤマホンでも再び加工が本格化していきます。

「家庭の味にこだわった当社のロングセラー商品『さんま黒酢煮』は、その時には味のベースができあがっていました。加工製品のお客さんが増えるにつれ、製品ラインナップも増えていきましたが、そこからさらに加工を拡大していくには鮮魚部門と分ける必要があり、2007年(平成19年)に加工部門を分社化してヤマホンベイフーズを設立しました」

「さんま黒酢煮」のほかに、「さんま天日寒風干し」「さんま味付けすり身」「戻り金華さば一夜干し」なども人気商品の仲間入りを果たし、直売所を構えるほどになりました。

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直売所では女川の魚を使った自社製品を中心に販売している

「自社で加工する製品は、すべて国内の原料を使っています。震災前は釜石、宮古、銚子などからもいろいろな魚を取り寄せていましたが、今はほとんどが女川に揚がる魚です」

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水揚げ日本一を誇る女川産養殖ギンザケの加工風景

USBメモリー捜索から始まった震災復興

2011年(平成23年)の東日本大震災では、津波によってヤマホングループの加工場や冷凍庫など8つの施設すべてが壊滅的な被害を受けました。当時はグループ全体で200人近い従業員がいましたが、ほとんどの従業員を解雇せざるを得ませんでした。

「自宅も工場も流されて、最初の数日間は食べる物もありませんでした。避難所の体育館で、復興のことを考えながら過ごしていました」

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津波の激しさを物語る被災当時の写真

この時、山本さんは津波被害で鉄骨がむき出しになった事務所で探すものがあったといいます。

「USBメモリーです。その中に会社の重要データや製品のレシピが入っていたので、元いた従業員たちと一緒に全壊した社屋を捜索しました。津波の後でこんな小さなものが見つかるのかという気持ちもありましたが、パソコンに刺さったままの状態であったんです。カバーが壊れて基盤がむき出しの状態でしたが、奇跡的にデータは無事でした」

山本さんはUSBメモリーに残っていたレシピを頼りに、看板商品「さんま黒酢煮」から製造を再開しました。

「当社施設の中でも被害が少なかった石巻市内の直売所のバックヤードを加工場にして、比較的被害が少なかった岩手の知り合いの工場から送って貰った冷凍サンマを使って生産をはじめ、その年の7月からは販売を再開しました。当時、石巻や女川には全国から被災地支援としていろいろな物資が送られてきていましたが、皆さんそのお返しをしようにも開いているお店が少ない。そのような事情もあって、うちの販売所に毎日行列ができるほどでした」

直売所での盛況ぶりを聞きつけた各地の取引先からも注文の連絡が入ってくるようになりましたが、並行して工場の再建も進めなければなりませんでした。震災後は土地の利用制限などがあり、新工場の建設地探しは難航しましたが、そんな中で見つけたのが女川港から4キロほど離れた現在の場所でした。

「当時は休耕田になっていて、地主の方も20人くらいいました。『土地を売ってください』と一軒ずつ回って許可をもらい、役場では農地転用などの手続きもしました」

工場建設にあわせて上下水道やインターネット回線などの地域のインフラ整備も進み、震災翌年の2012年(平成24年)4月にヤマホンベイフーズ針浜工場が完成。翌2013年(平成25年)9月にはサンマ専用工場のヤマホン石浜工場が完成しました。

こうして鮮魚部門、加工部門の施設が整備され、生産能力も震災前に近い状態まで回復しましたが、すべての販路が戻ったわけではありませんでした。その後も原発事故による風評被害、原料高、電気価格の高騰、コロナ禍、慢性的な人手不足などにより、回復は思うように進まなかったのです。

缶詰製造ラインの新設でサンマの小型化にも対応

そこで山本さんは販路回復取組支援事業の補助金を活用して、新たに缶詰の製造ラインを立ち上げることにしました。

「昔は小型サイズのサンマは国内ではあまり売れず、ロシアなど海外によく売れていきました。ところが震災後は海外では売れなくなったうえ、水揚げされるサンマ自体も全体的に小型化して加工も難しくなっています。また、原料事情が限られる中、製造の際に出る端材なども有効利用していく必要がありました。これらの課題を解決するため様々な加工を検討した結果、缶詰であれば、これまで扱いにくかった素材も製品化できると考えました」

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調味液充填キャリーラインとバキュームシーマー
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円筒貼り機

そして先行して完成したのは、「スーパーサーモン中落中骨水煮缶」。養殖銀鮭を加工する際に出る、中落ちの付いた骨の部分を活用した製品です。

「肉と同じように、魚も骨に近い部分がおいしいんです」

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「スーパーサーモン中落中骨水煮缶」
ギンザケの中落ちとともに骨まで柔らかく食べられる

今後はサンマを使った水煮缶、本みりん漬缶、黒酢煮缶などの製品化が予定されています。試行錯誤しながらの商品開発となりますが、時間をかけても新しいことに挑戦するのには理由があります。

「これまで直売所では、冷凍製品を中心に扱ってきました。ただ昨今の電気代の高騰もあり、今後はレトルトパウチや缶詰など常温で日持ちのする製品のラインナップを増やしていきたいと考えています」

最近は水揚げが戻ってきて、市場では規格外のために値段がつかない魚、普段よりも安い魚を見かけることも増えているのだそうです。「浜にはチャンスがある」という山本さんは、缶詰での製品化も新しい選択肢の一つになると期待しています。

カフェ、保育園、直売所の複合施設でも新しい展開

ヤマホンベイフーズの工場から車を走らせること30分。石巻市内に、ヤマホンベイフーズの直売所(さんまのヤマホンあゆみ野店)があります。直売所と同じ建物内には、直営のカフェレストラン、保育園も併設されています。

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1階に直売所とカフェレストラン、2階には保育園が併設

「震災後、主婦の方から『職場に戻りたくても子供を預ける場所がないと働けない』という声がありました。開園が2019年となったので、声を寄せてくれた方のお子さんは預かることができませんでしたが、現在は従業員のお子さんだけでなく地域のお子さんも入園しています」

カフェレストランを併設したのは、地元の魚を食べてもらう場所を作りたかったためです。女川・石巻方面に訪れたバイヤーとの商談場所としても活用しています。

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魚料理だけでなく、肉料理やスイーツなども充実したカフェレストラン

「当初は私が保育園の園長もしていたので、早朝は市場に顔を出して、日中は保育園とカフェレストランの仕事をしながら工場の仕事もしていました。当社には業種の異なるいろいろな仕事があるので、新しく入ってくる方には、工場と直売所、保育園、カフェレストランの掛け持ちで働くこともできますよと案内しています。実際、曜日ごとに仕事を変えて、リフレッシュしながら働いている方もいます」

水産加工を取り巻く環境が大きく変わる中で、会社の形態も常に変わり続けるヤマホンベイフーズですが、先代から守り続けていることもあります。

「小さい頃から、父(先代社長・山本晴雄さん)のサンマにかける情熱を、間近で見ていました。父は鮮度にとてもこだわっていて、『鮮度が命』、『鮮度を食う』とも言っていました。いくら加工ができても、魚は鮮度がよくなければダメだということです。営業面では、『牛のよだれのように』と言われましたね。お客さんとは、切っても切れない、細くても長い関係を構築しなさいという意味です」

創業から100年続く精神を大切にしながら、浜のチャンスをつかみ、新しい商品を作り続けます。

株式会社ヤマホンベイフーズ

〒986-2232 宮城県牡鹿郡女川町針浜字針浜369
自社製品:さんま黒酢煮、さんま天日寒風干し、戻り金華さば一夜干し、スーパーサーモン ハーブ育ち ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。