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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第149回宮城県株式会社布施商店

震災を機に、地元への愛着が芽生えた

海沿いにあった布施商店の工場は震災で全壊。従業員も一時は全員解雇せざるを得ない状況となりました。当時、東京にいた太一さんがご両親の安否を確認できたのは震災から1週間が過ぎた頃。石巻に戻れたのは、ようやく長距離バスが開通した1か月後だったそうです。

「仙台を過ぎ、トンネルを抜けた途端、悪臭にびっくりしました。そのあたりから漁業が盛んな地域に入るのですが、冷蔵庫や冷凍庫が止まって腐った魚の臭いが充満していたんです。石巻についたら、家も会社も流されて街がめちゃくちゃになっていて。“あ、ふるさとがなくなっちゃったんだなぁ”って・・・。街の惨状を目の当たりにした時、それまで自分では何の思い入れもないと思っていた地域への意識が初めて芽生えました。当たり前だと思っていたものが、当たり前じゃなくなったんだと知って、何というか・・・。純粋に、悲しい気持ちになりました」

その時から太一さんの中に、地域のために何かをしたいという気持ちが生まれました。しかし当初は家業を継ぐことまでは考えていなかったのだそう。家業を継ぐことを意識し始めたのは、父である三郎さんが会社を再建すると決めた時でした。再雇用する社員のことも考えた時、「きっと自分は戻ると決めるんだと本能的に感じた」のだそうです。

「工場も家も何もなくなっちゃったので、父は会社をたたむと思っていたんです。そうしたら、補助金の目途が着いたからもう1回やるわ、と言われて。そこまでして立て直すほど深く思い入れがあるものなのだと初めて感じました。最初は東京にいながらでも、地元のためにできることがあるかもしれないと思っていたのですが、やはり直接地域に関わらないと本当の貢献はできないと意識が変わっていきました」

先代の三郎さんが石巻魚市場買受人共同組合の理事長をしていたこともあり、布施商店の復興は早かったのだそう。最初は街にあふれていた腐った魚を海洋に投棄する仕事を請け負い、震災後半年が経過した頃には復旧の早かった塩釜で魚を買い付け、事業を再開しました。しかし再開した頃にはそれまでの取引先は、すでに別の仕入先を確保していました。布施商店の品質の良さを実感していたいくつかの販路は回復したものの、太一さんが戻った3年前でも、売上は震災前の4分の1以下にとどまっていたそうです。

「商社時代も営業だったので、布施商店に戻ってからも営業をしていました。何とか新しい販路を開拓しようと東京の飲食店にマダラのフィレなど自社製品を売り込みに行ったのですが、産地から鮮魚を買うメリットが分からないと言われることが多くて。中央卸売市場に行けば全国の魚が購入できるけれど、僕たちは産地の魚しか扱えない。そのまま売るだけでは豊洲の仲買には勝てないんです。今までは鮮魚中心だったけれど、スーパーでも鮮魚の売上はどんどん落ちているし、飲食店にも広がらない。何か新しいことを始める必要があることは実感していました」

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