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企業紹介第146回千葉県有限会社カネヨン水産

直観と行動力。
創業時からの「特製タレ」を武器に次世代へ道筋をつける

九十九里浜のほど近くに工場を構える有限会社カネヨン水産。この地で大正11年に現在の代表取締役古川克俊さんの祖父・四郎さんが「古川四郎商店」として創業し、イワシの煮干し、干物、みりん干しの製造販売を行ってきました。

有限会社カネヨン水産 代表取締役の古川克俊さん

古川さんが家業に入ったのは、高校卒業後。祖父、父の姿を見て育ち、子どもの頃から自分はこの仕事を継ぐのだと思っていたそうです。

「祖父は体で仕事をするタイプ、親父は頭でするタイプ。自分はというと、直感を大切にしていて、その時々にこれが行ける!これをやりたい!と思ったことをすぐに行動に移すタイプで、ずいぶん親父とはぶつかりましたね」(有限会社カネヨン水産 代表取締役の古川克俊さん、以下「」内同)

先代の尅二さんが同社を引き継いでからも順調に事業を拡大。1991(平成3)年には、宅配部門を立ち上げ翌1992(平成4)年には日本郵便のゆうパックのふるさと小包での取り扱いも開始しました。これが大変好評で、特に1990年代後半から2000年代初頭、工場はフル稼働。多忙を極めたそうです。

創業当時からこだわり続けている主力商品はイワシのみりん干し。カタクチイワシなら10月~2月、マイワシなら5月~10月、一番おいしい時期の素材を厳選しています。創業当時から継ぎ足して使っている特製タレが味の決め手で、「うちでしかできない商品だという自負がある」と古川さんは言います。

しかし古川さんは、その伝統は守りつつも、新たな商品の可能性を見出していきます。百貨店の物産展に出店した際、親類が出品した九十九里の郷土料理「いわしのごま漬」の売れ行きが好調だったことを見た古川さんは、すぐさま作り方を伝授してもらい、昔ながらの良さも残した味にするため試行錯誤を繰り返しながら商品化。その後、2000年頃にサンプルを取引先の量販店に送った結果、翌年には全国店舗での販売が決定しました。良いと思ったことをすぐに取り入れる古川さんの「直感力」と「行動力」で新しく販路を切り開いていきます。

「親父に二兎を追うな、ってよく言われましたね。だけど自分はカネヨン水産全体で一兎だと思っているので、二兎を追っているつもりはなかったです。だからその時々で、いいと思ったらすぐに試していました」

手がけた「いわしのごま漬」は、2006(平成18)年、千葉県優良県産品に推奨、千葉ブランド水産物認定品第一号にも認定され、みりん干しと並ぶ看板商品となりました。

全国にファンも多い看板商品「いわしのみりん干し」。
創業当時から継ぎ足して使っている特製タレが味の決め手。
今もすべて手作業で作り続けている
「いわしのごま漬」。
九十九里で古くから郷土料理として親しまれてきた味を商品化。
独自の合わせ酢に漬け込み黒煎りゴマをまぶし
香ばしく仕上げている
敷地内にある直営店舗。遠方からの観光客や地元のお客様も訪れる

風評被害に苦しんだ大震災後...。
10年をひとつの軸に「もう一度踏ん張ろう」

順風満帆だったようにも見える古川さんですが、実は2000年、40代半ばに難病を発症。4カ月もの間入院し、病院での療養生活が続きました。

「当時、もう仕事をやめようと思ったこともあったのですが、4カ月の闘病を経て退院したとき、一度失った人生をまたもらえたようなもの。これをひとつのきっかけだと思って、もうひと踏ん張り頑張ろうと思ったんですよね」

退院した年には、ごま漬の全国展開が決まり、ゆうパックでも大ヒット、2002(平成14)年には工場を新設、直営店舗も構えました。

これまで売上は右肩上がりだったという同社でしたが、2011年の東日本大震災で大きな打撃を受けます。

「この地域も揺れがひどくて、電気をはじめライフラインも止まったので、その日は従業員全員を車に乗せて、避難所へ誘導、一夜を明かしました」

電気が復旧したのは、3日後。工場を再開して最初にやったことは、製造途中や出荷前の商品をすべて廃棄することでした。

「廃棄した商品の損害も大きかったのですが、それよりもその後の原発事故の風評被害の影響のほうが深刻でした」

販売先が離れ、一時売上は震災前の3割減となりました。さらに原料のイワシ漁の操業日数も減り、イワシ漁船の廃業などもあって、原料不足からの原料高に見舞われます。

「今振り返れば、何かの予感が働いたのかなとも思うのですが、震災が起こる前年に、2002(平成14年)の新工場建設に続く、新たな工場建設計画が進んでいて、もう着工するだけという状態だったんです。でも直前になって、なんとなく...、やめておこうという気持ちが働き、その年は見送ったという経緯がありました」

その年、工場を新設していたら、震災後の売上が低迷した状況はもっと深刻だったかもしれません。ここでも古川さんの直感が功を奏したというべきでしょうか。

その後、徐々に風評被害を払拭、昔からの同社の品質を知る取引先からの注文も回復しつつありました。一方で、原料不足と原料高が続き、今後を見据え古川さんは新たな手立てを探ったのです。

イワシからの転換でカネヨン水産としての一兎を追う

まず、古川さんは2019(令和元)年に震災の前の年、2010年に一度中止した新工場の新設に着手しました。

「この会社を自分の代で終わらせるつもりなら、そのままやめてもよかったんですが、次の世代への土台を固めよう、道筋をつけようと思ったので、一度はあきらめた新工場新設に踏み切りました。もう構想も設計もすべて済んでいた状態だったので、あとは自分が決断するだけでした」

その翌年、コロナ禍の影響で内食の需要が増え注文が増加。10年越しの新工場建設も機運が合ったと言えるでしょう。

イワシの原料高の影響を大きく受けていた同社は、魚種をサバ、ホッケ、シシャモなどにも広げ、新商品の開発を進めるために新規製造ラインの構築に着手。販路回復取組支援事業の助成金を活用し、2021年1月に導入したのが、「ヘッドカッター」「腹骨取三枚卸機」「作業台付二段コンベア」です。

「当初は内臓を取る機械の導入も考えていたのですが、まずは量産させて軌道に乗ったらまた導入を考えようと、導入機械は絞り込み、自社の資金でホッケ用のセンターカット機も入れました」

機器導入と同時期に、以前から取引があった業者から「うちの商品をつくってくれないか」という引き合いがあり、2021年4月以降、「さばみりん干し」「しまほっけ一夜干し」などの新製品の製造、販売を開始。売上ベースで月に約200万の増加となっているそうです。

新たに導入した作業台付二段コンベア。
既存の商品にも流用でき作業効率が上がった
工場内ではイワシのみりん干しが、
丁寧な手作業でつくられていた

「どこかに抜け穴がきっとある」
余力を残し研究を重ね機運をつかむ

「まだまだこれから。慌てずじっくりと」と古川さんは話します。サバのみりん干しは、市場に既存製品が多数ある品。「でも、そこに抜け穴がきっとあるはず」と商機を伺っています。

現在、新製造ラインでつくっている商品のサバのみりん干しには、製造依頼を受けている業者から指定された使い捨てのタレを使用しています。

「サバのみりん干しは、うちのタレでまだ作っていないんです。今後はうちが創業時から継ぎ足して使っている特製のタレを使った商品の売り込みを目指しています。そうすれば差別化も図られて既存の市場にもきっとチャンスがあるはずです」

来年、同社は創業100周年を迎えます。創業時からのみりん干しのタレは、その都度煮直し、丁寧に不純物を取り除いて作ってきたもので、魚のアミノ酸が蓄積されてうまみたっぷりです。

創業時代からの特製タレが保管された樽。
魚のアミノ酸が凝縮され、旨味のかたまりとなった100年モノ

「よそにないものを。他社でつくっているものがよいものなら、その上を行く製品作りをしなければ。でも、いきなりは無理。これだけのいい機械を導入したので、じっくりと時間をかけて、商品開発と研究のための余力を残しながら運転をして、機運が来た時にそのタイミングをつかもうと思っています」

今後さらに生産量や売上を増やしていくため、利益率が低い商品を削っていくなど、戦略を図っているところだそうです。

また、現在大手オンラインショップに出店している通販部門ですが、2021年秋リリースをめざして、自社での通販サイト構築に注力しています。現在同社の売上の数%である通販部門を30%まで伸ばしたいと考えているそうです。

地元で消防団長も務めている古川さん。その業種を超えたネットワークとリーダーとしての決断力、行動力は、地域でも頼られる存在であることが想像できます。

闘病、震災と原発事故による風評被害。そのたびに波を乗り越え転機としてきた古川さんは、こう振り返ります。

「がくんと落ち込んだときに、何かがひらめくのかもしれないですね」

九十九里の味、カネヨン水産の100年越しのタレでつくられた新商品が、全国の食卓に届けられる日も近いでしょう。

有限会社カネヨン水産

〒283-0104 千葉県山武郡九十九里町片貝3772番地
自社製品:いわしのみりん干し、ごま漬、さばのみりん干しなど

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。