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企業紹介第151回宮城県株式会社丸荒

8年のブランクの間、精力的に取り組んだ
「町おこし」そこで得た仲間とともに、
町ぐるみで「ブランド化」を目指す

株式会社丸荒がある宮城県本吉郡南三陸町。町の東側に広がる志津川湾は複雑に入り組んだリアス式海岸で、湾内にはカキ、ホヤ、ワカメなどの養殖設備を多く備えます。この志津川湾は、国の天然記念物である水鳥コクガンの越冬地であり、「水鳥の生息地として国際的に重要な湿地」を守ることを目的とするラムサール条約の登録地でもあります。海以外の三方も標高300~500mの山々に囲まれ、海だけでなく山の自然もとても豊かな土地柄です。

株式会社丸荒 代表取締役 及川吉則さん
株式会社丸荒 代表取締役 及川吉則さん

そんな南三陸町で、丸荒は昭和49年に創業されました。最初は漁業からスタート。地元の豊かな水産商品を販売し始め、二代目にして現社長である及川吉則さんが会社を継いでからは、生鮮だけでなく加工品にも力を入れ、全国各地に販売網を広げていきました。

「自分は営業の仕事が好きだったんです。全国の市場や展示会を巡ると自分と同年代の20~30代が多くて楽しかったんですよ。その方たちと友達感覚で付き合いながら販売先の皆様の様々なニーズに応えているうちに鮮魚以外にも加工品のアイテムが増えていって。売上も右肩上がりに伸びていくので、どんどん営業の仕事がおもしろくなっていきました」(株式会社 丸荒 代表取締役 及川吉則さん、以下「」内同)

丸荒の加工技術は非常に高く、PBやOEMの依頼も非常に多いのだそう。最近では、新商品の「骨までおいしいお魚シリーズ」が、地域産業支援活用事業で表彰されました。魚の骨を柔らかくする技術は缶詰などでもよく用いられる圧力をかける方法が一般的ですが、この方法だと皮のはがれや、身の崩れが生じてしまうことも。しかし丸荒の「骨までおいしい」シリーズは、“高温/高圧スチーム技術”により皮や身は崩さず、骨だけをやわらかくすることに成功したのです。

「最近の魚離れの理由を調べたら、一番は骨が邪魔ということなんですよね。でも完璧に抜くのは難しい。だったら骨まで食べられるようにしたらどうかと思ったんです。そうすれば子どもでも、高齢者でも食べられる。実際に高齢者の施設では、食べることが入所者さんの楽しみだから魚を出したいのに、咀嚼力や嚥下機能が弱っている方もいるので怖くて出せなかったらしいんです。ウチの商品は添加物も一切入っておらず、熱とスチームだけで加工しているので安全面でも喜ばれています」

「骨までおいしい」シリーズ。サバ、サンマ、イワシ、カレイなどの魚種を使って、みりん煮、醤油煮、味噌煮などの味付けでバリエーション豊かに展開されている
「骨までおいしい」シリーズ。サバ、サンマ、イワシ、カレイなどの魚種を使って、
みりん煮、醤油煮、味噌煮などの味付けでバリエーション豊かに展開されている

加工技術だけでなく、原料も地元の一番良い時期のものだけを使い、無添加にこだわるなど徹底的に高品質な商品を突き詰めるのが丸荒の特徴。プロトン凍結という食品細胞の破壊を防ぐ冷凍機で素材の鮮度を落とさずに原料を保管・加工できる点も強みです。

そのため、取引先も高品質を求める百貨店やセレクトショップが多いのだそう。自社製品だけでなく、コロナで通常営業が難しくなった飲食店と一緒にテイクアウト商品を開発したり、宮城県の調理師専門学校や東京の有名和食店とのコラボ商品を作ったり、その高い技術を求めて多くの人が丸荒を頼りにしています。しかし現在の復旧までには、実に長い時間がかかったのです。

震災の前の年から加工品製造を始め、最初のヒットとなったのが「たこわさび」これに使用されるタコの原料にもプロトン凍結の技術が使われている
震災の前の年から加工品製造を始め、最初のヒットとなったのが「たこわさび」
これに使用されるタコの原料にもプロトン凍結の技術が使われている

8年間の空白期間は、地元のために尽力して過ごした

3月11日、及川さんが工場で数日前に来た津波の被害状況を確認していた時、突如大きな揺れが襲いました。もともと宮城沖に地震があるというのは想定しており、津波が来た場合、工場周辺のものが流されないようにするための段取りはつけていました。しかし予想をはるかに超える規模。「これはただ事じゃない」と感じ、流出対策などは行わず、従業員全員をすぐに山側へと避難させました。

海から50mほどの距離に建っていた丸荒では、5つあった工場のうち4つが津波で流され、残った1つも床上浸水しました。それだけでも甚大な被害ですが、さらに復旧を難しくすることが起きました。流された工場の跡地が街の防潮堤工事の計画地となってしまったのです。そのため、工場復旧の目途が立たなくなってしまいました。

「とりあえず1つ残った工場があったので、そこの掃除から始めました。電気も水も来ていなかったので、がれきを手作業で引っぱり出して、川で水を汲んで洗い流して。5月がわかめの収穫時期なので、それを買い集めて5月の連休明けから商売は再開しました。震災直後は、知り合いの全国の水産会社から下請けの仕事などをもらったけれど、もともとの仕事が全く出来ないので売上は半分以下になりました」

その後、他社はどんどん復旧が進んでいきました。しかし、丸荒は工場を再建する土地がない状態。やっと街全体での盛り土が終わり、工場が復旧するまでに、実に8年もの年月がかかりました。どんどん平常に戻っていく他社を見て、どれほどの焦り、悲しみがあったのか・・・・察するに余りあるものがあります。しかし、意外にも及川社長は「使える工場が1つ残っていたから、そんなに落ち込まなかったんですよ」と穏やかに語ります。

そして工場が完全復活するまでの間、及川社長が取り組んだのが、街や地域、同業者の応援でした。もともと全国を飛び回り、豊富なネットワークとバイタリティを持っていた及川さんのもとに、震災後は色々な依頼が舞い込むようになったのだそう。それに応え、漁師さんと漁場の整備をしたり、南三陸の仲間と仙台・上野などJRの駅構内で街の産物を販売したり、気仙沼~牡鹿半島のホタテ事業者を集め、ホタテの組合を作りグループ補助金をとれるように尽力したり、と様々な活動を行っていったのです。

▲震災後の取組。左は「春つげわかめまつり」の様子で、「生わかめ・生めかぶの詰め放題」のコーナーは人気で、毎回長蛇の列ができる。(2021年は新型コロナウィルスの感染拡大防止のため中止)。
右はJR仙台駅で行われた「南三陸町福興市」。南三陸町の名産を販売するこの「福興市」は県内各地で開催され、通算100回を超える。

「工場も完全復旧していなくて手があいているからでしょうかね(笑)。震災後は街で色々な役をやりました。ホタテを養殖するための稚貝が流されたから周辺の漁協の人達と北海道に稚貝をもらいに行ったり、ワカメを初めて水揚げした時に“わかめ祭り”を企画したり。工場が復旧するまでの8年間は、ずっとそんなことをしていました」

その結果、今では南三陸町の観光協会の会長、南三陸産業団体連絡協議会の会長、南三陸まちづくりの副会長など多数の顔を持ち、街を牽引する立場になりました。

高い技術力と相性の良い「高級路線」に舵を切る

2018年度に南三陸町で浸水地域の盛り土が終わり、ようやく工場の再建がかなった丸荒。新たな出発のために、令和2年度の販路回復支援事業を活用することとなりました。まず行ったのが、パッケージやHPなど営業ツールの拡充です。

「8年間ブランクがあるので、震災前と同じような仕事は出来なくなりました。マーケットの状況も変わっていますし、海の資源も以前ほど豊富ではなくなってしまいました。一からのスタートなので、まずは商品開発から始めるしかなかった。工場や製品を知ってもらわないと始まらないので、HPも作りました」

新しくなったWEBサイト。ロゴも新しく製作
新しくなったWEBサイト。ロゴも新しく製作

もともと高い加工技術は持っていたものの、震災以前は生鮮食品が主力でした。しかし、今後は加工品、それも高い付加価値を持った加工品に軸足を移す予定です。まず1年目の商品開発を終え、徐々にこの方向性への手応えも感じています。2年目は販路の拡大に注力し、3年計画でスタートダッシュをかけるつもりです。

「今までは機械も新製品もなかったけれど、やっと新しい商品を携えてバイヤーさんたちに会えるようになりました。会って話を聞く中で、今は生鮮ではなく加工品、それもすぐ食べられる惣菜に近いものが望まれていると感じ、そちらにシフトしました。もともと原料や無添加にこだわっているので価格競争にはついていけないし、ウチの品質からしても高級路線に販路があると思っています」

そのため高級感を感じさせる新しいパッケージデザインも開発。ラインナップも顧客の要望にこたえる形で、「炊き込み御飯の素」「銀鮭のコンフィ」「カキのパテ」「魚のリエット」「カキのアヒージョ」「カキグラタン」など、より惣菜に近い商品の開発・製造を開始し、「高くても良いもの」を好むお客様との商談も増加しているそうです。

パッケージも高級感を意識してリニューアル
パッケージも高級感を意識してリニューアル

また、もう1つ導入したのが調味液充填機器です。震災後1つ残った工場では、「生鮮わかめ」や「たこわさび」、「塩辛」など珍味の製造を主にしていました。そのため、新しい工場での新しい製品作りは従業員にとっても初めての作業。多数の新製品を安定して供給するためにも欠かせない機器です。この機器の導入により、3人で100個だった製造ペースが、2人で120個と大きく増加。作業効率も大幅に上がりました。

調味料充填機
調味料充填機

8年間の「人助け」が、新たな仕事の基盤となっている

震災後8年の時を経て、ようやく再始動した丸荒。「高付加価値のある加工品」を軸に、今後も様々な商品を展開していく予定です。そのために本当に売れる商品は何かを日々研究していく“ラボ”も発足しました。何と水産以外の商品開発も始め、バウムクーヘンまで作ってしまったのだとか。しかも、そのバウムクーヘン、4か月待ちになるほどの人気を博しました。もともと好奇心旺盛で、アイデアマンの及川さんらしい取り組みです。でもなぜ水産加工業者がバウムクーヘンの製造を開始したのでしょうか、及川さんはこう語ります。

「地域の子供達や若い世代が水産以外の仕事を求めて町を出る者が多かったんです。それならば新たな産業をと思い、都会でしか食べられないバウムクーヘンをこの町でも食べられるようにと生産を始めました。水産加工品と洋菓子って全然違うものですけど、どちらを作るのにも心がけているのは“話題性”と“品質”の両立。地域の刺激になればという意識と、良い製品作りのための原料や製法へのこだわりは、常にものづくりの根底にあります」

そして自社だけでなく、町をさらに発展させることを目的に、生産者とともに新たな製品開発も進めているのだそう。そこには震災以降ずっと、町のために尽力してきた及川さんだからこその思いがあります。

「町を復興させ、活性化させるには産業を創っていくことが何より大事です。南三陸町は、小さな町だけれど、ASC認証(環境にも地域社会にも負荷をかけない養殖業に与えられる)や、FSC認証(持続可能で適切な森林管理を認証する)を取得するなど、豊かな自然とそれを守っていこうとする人々がいます。その良さを生かしながら、生産者にはできるだけ良い原料を作ってもらい、自分達はそれを活かして南三陸をブランド化できる製品を創る。それらを、町全体で販売していくことで発展が望めると思っています」

震災後、町の結束は強くなり、通常は県単位で出店するスーパーのトレードショーに「南三陸町」として参加したりもするのだそう。また、及川さんに刺激を受けた仲間が、負けずに新しい商品を開発するなどお互いにいい影響を与え続け、南三陸町で作られる製品は震災前と比べて格段に進歩しているのだとか。

再始動にあたっては、地元のために行った活動が“縁”で新たな依頼が生まれ、ずっと町のために働いていた及川さんの人となりを見込んで持ちかけられる話が増えるなど、今までと違う形で始まった仕事も多かったのだそう。持ち前のアイデア、バイタリティに加え、8年間の「人助け」で培われた深い絆や縁が、今後の丸荒を支えていくに違いありません。

株式会社 丸荒

株式会社 丸荒

〒986-0732 宮城県南三陸町志津川字大森町201-2
自社製品:わかめ、めかぶ、カキ、ホタテ、ホヤ、サバ、銀鮭、タコ等の生鮮、冷凍、惣菜、レトルト製品 など

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。