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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第156回宮城県株式会社丸荒

8年間の空白期間は、地元のために尽力して過ごした

3月11日、及川さんが工場で数日前に来た津波の被害状況を確認していた時、突如大きな揺れが襲いました。もともと宮城沖に地震があるというのは想定しており、津波が来た場合、工場周辺のものが流されないようにするための段取りはつけていました。しかし予想をはるかに超える規模。「これはただ事じゃない」と感じ、流出対策などは行わず、従業員全員をすぐに山側へと避難させました。

海から50mほどの距離に建っていた丸荒では、5つあった工場のうち4つが津波で流され、残った1つも床上浸水しました。それだけでも甚大な被害ですが、さらに復旧を難しくすることが起きました。流された工場の跡地が街の防潮堤工事の計画地となってしまったのです。そのため、工場復旧の目途が立たなくなってしまいました。

「とりあえず1つ残った工場があったので、そこの掃除から始めました。電気も水も来ていなかったので、がれきを手作業で引っぱり出して、川で水を汲んで洗い流して。5月がわかめの収穫時期なので、それを買い集めて5月の連休明けから商売は再開しました。震災直後は、知り合いの全国の水産会社から下請けの仕事などをもらったけれど、もともとの仕事が全く出来ないので売上は半分以下になりました」

その後、他社はどんどん復旧が進んでいきました。しかし、丸荒は工場を再建する土地がない状態。やっと街全体での盛り土が終わり、工場が復旧するまでに、実に8年もの年月がかかりました。どんどん平常に戻っていく他社を見て、どれほどの焦り、悲しみがあったのか・・・・察するに余りあるものがあります。しかし、意外にも及川社長は「使える工場が1つ残っていたから、そんなに落ち込まなかったんですよ」と穏やかに語ります。

そして工場が完全復活するまでの間、及川社長が取り組んだのが、街や地域、同業者の応援でした。もともと全国を飛び回り、豊富なネットワークとバイタリティを持っていた及川さんのもとに、震災後は色々な依頼が舞い込むようになったのだそう。それに応え、漁師さんと漁場の整備をしたり、南三陸の仲間と仙台・上野などJRの駅構内で街の産物を販売したり、気仙沼~牡鹿半島のホタテ事業者を集め、ホタテの組合を作りグループ補助金をとれるように尽力したり、と様々な活動を行っていったのです。

▲震災後の取組。左は「春つげわかめまつり」の様子で、「生わかめ・生めかぶの詰め放題」のコーナーは人気で、
毎回長蛇の列ができる。(2021年は新型コロナウィルスの感染拡大防止のため中止)。
右はJR仙台駅で行われた「南三陸町福興市」。南三陸町の名産を販売するこの「福興市」は
県内各地で開催され、通算100回を超える。

「工場も完全復旧していなくて手があいているからでしょうかね(笑)。震災後は街で色々な役をやりました。ホタテを養殖するための稚貝が流されたから周辺の漁協の人達と北海道に稚貝をもらいに行ったり、ワカメを初めて水揚げした時に“わかめ祭り”を企画したり。工場が復旧するまでの8年間は、ずっとそんなことをしていました」

その結果、今では南三陸町の観光協会の会長、南三陸産業団体連絡協議会の会長、南三陸まちづくりの副会長など多数の顔を持ち、街を牽引する立場になりました。

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