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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第161回宮城県太協物産株式会社

社務所で避難生活をしながら安否確認と復旧作業

東日本大震災当日、宇壽山さんは石巻魚市場買受人協同組合の役員会に出席していましたが、地震があったため、すぐに工場に戻りました。

「ラジオからは6メートルの津波が来ると聞こえてきましたが、それが10メートルに訂正されました。『全員、今すぐ退避しろ』と指示を出し、私も徒歩で山に向かいました。途中にある自宅で娘と合流し、娘婿の専務(久保田昌史さん)が赤ん坊の孫を抱いて4人で避難しました」

1時間後に押し寄せた大津波で、宇壽山さんは工場と自宅を全壊で失いました。

▲ 津波で全壊した太協物産の工場。実際には8メートルの津波が押し寄せた

街が津波にのまれる様子を高台から見ていた一行は、その後、4キロの山道を2時間ほど歩き、神社の社務所に到着。そこには、150人ほどの人たちが避難していました。

「運動不足だったので、足がつってひっくり返りましたが、専務に助けられながら何とか到着しました。その日は雪も降ってとても寒かったのですが、ストーブが2台あったので暖を取れました。米が60キロ分ありましたが、公的避難所ではないので、いつ救援物資が届くかもわからない。最初は1家族につき、せんべいとおにぎりを1個ずつ分けて、自衛隊が到着するまでの1週間を何とかしのぎました。結局そこで一月半、寝泊まりしました」

社務所では避難所運営の幹事を買って出た宇壽山さんですが、それと並行して従業員や取引先の安否確認も急がなければなりませんでした。

「社務所には、たまたま山形から薬の営業で訪れていた男性がいました。彼は、『車のキーを預けますので使ってください』と言い残し、山形に帰っていきました。その言葉に甘えて車を使わせてもらい、従業員の安否確認や、復旧作業を進めました」
迅速に避難を指示したこともあって、従業員は全員無事でした。一方、当時水産加工業者らの間で懸念となっていたのが、石巻市内にある推定5万トンの冷凍魚です。放置していれば、いずれ腐ってしまう。そこで関係者らとともに県と話し合い、海洋投棄をすることに。3月は例年ならサケの売上がピークとなる月ですが、宇壽山さんは、その作業を取りまとめる仕事にも追われました。

「毎日200人から300人を募集して、うちの従業員にも手伝ってもらいました。魚を投棄する前に、梱包しているダンボールやビニールを分別しなければならないので、膨大な作業量でした」

復旧作業がひと段落した後、宇壽山さんは事業を再開します。しかし工場は全壊していたため、同業者から原料を仕入れ、それを販売するだけの仕事にとどまりました。それでもグループ補助金を活用したことで、1年7カ月後の2012年10月に新しい工場が完成。翌年2月には事務所の建物も完成し、この周辺では比較的早期に震災前と同じ生産能力を取り戻しました。

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