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企業紹介第157回宮城県株式会社センシン食品

原釜から閖上へ。
「地元が増えた」ことで、仲間もできることも増えてきた

北から流れる寒流の親潮と、南からやってくる暖流の黒潮。これらがちょうど交わる東北地方の太平洋側は漁獲量が多く、豊かな漁場として知られています。特に福島県沖を中心に、茨城県沖までを含む「常磐沖」で獲れる海産物とその加工品は“常磐もの”と呼ばれ、栄養分が多い潮目の海で獲れるため、質がよく美味しいと言われています。その“常磐もの”を扱う福島県相馬市の原釜港が、センシン食品の原点です。

「原釜港は沖合底引き網漁(長い袋状の網を海底にひき、魚介類を獲る漁法)が非常に盛んで、ヒラメ、カレイを筆頭に150種類以上の魚が水揚げされています。原釜は鮮魚を扱う仲卸の会社が多いのですが、その中で弊社は、前浜でとれる魚をワンフローズンで加工し販売する希少な会社として評価をいただいていました」(株式会社センシン食品 専務取締役 高橋大善さん、以下「」内同)

株式会社センシン食品 専務取締役 高橋大善さん
株式会社センシン食品 専務取締役 高橋大善さん

センシン食品の創業は、平成19年。大善さんのお父様であり現社長の高橋永真さんが、それまで勤務していた別の水産加工会社から独立してセンシン食品を立ち上げました。前浜である原釜港で獲れた原料を加工し、量販店の総菜部門や飲食チェーンに向けて加工品を製造販売し、急速に成長を遂げたのです。

「魚種が豊富なので、魚に合わせて様々な加工をしていました。パン粉をつけて揚げ物用の商品を開発したり、生食で寿司ネタを提案したり、創業当初から小回りが利くというのは社風だと思います。前浜で仕入れた原料を、鮮度を保ったまま凍結できるプロトン凍結機を使って1回だけの冷凍、ワンフローズンで仕上げる製品が多いので品質にも自信があります」


前浜で揚がった魚は手際よく捌かれ、プロトン凍結機へ。
産地でしか味わえないような旨味、風味をそのままに遠隔地の消費者へ届けることができる。

しかし現在、センシン食品の工場は相馬市ではなく、宮城県の名取市にあります。震災後、センシン食品はそれまでの販路をすべて失いました。しばらくは相馬市内で立て直しを図ってきたものの、原発事故の影響で原釜港での漁は開始すら難しい時期が長く続き、県外や海外の原料を用いて製品を作っても、所在地が福島県であることで風評被害に見舞われました。その中で、全くの新業態、新しい販路の開拓は困難と判断し、名取市閖上への移転を決めたのです。

「今は震災以前とは全く違うビジネスモデルになっていて、委託加工とEC事業が会社の柱です。ECサイトでは、今の前浜である三陸沖の閖上港で獲れた魚を扱っています。もともと定評のあったワンフローズン技術を使ったものが多いので、1回買った方がリピーターになってくれることが多いです」

ECサイトで人気の「海鮮 漬け丼セット」。朝獲れた旬の地魚を使った5種のアソート。
流水解凍のみで“地元漁師の味”を手軽に楽しめる。

震災でビジネスモデルを大転換。EC事業が柱の1つに

2011年3月の東日本大震災。沿岸部にある相馬市の被害は甚大で、センシン食品も工場は全壊し、自宅も津波に襲われました。当時、東京で専門学校に通っていた大善さんが数か月後にやっと相馬を訪れられた時も、「異常事態が続いている」ような状況でした。

その後、奇跡的に残っていた知人の工場を間借りし、1年後に商売を再開しましたが、前浜はまだ漁が始まっておらず、もともとの顧客との取引も全て無くなった状態。従業員も1度は全員解雇し、何とかして仕事を作ろうと製品を作り続けたものの、復興特需に頼るしかない状態が続きました。

それまで、東京で音楽という夢を追っていた大善さん。しかし震災があってからは、“東京で自分がやりたいことを追求したい”、“大好きだった地元に関わりたい”というふたつの気持ちの間で揺れていました。そして悩み抜いた末、大善さんは地元に戻り、センシン食品に携わることを決心します。覚悟が決まればそこからの行動は早く、2014年に帰ってくるとすぐにEC事業を立ち上げたのだそうです。

「震災直後から2~3年、父が“相馬はらがま朝市クラブ”というNPOの理事長をしていました。震災直後は相馬では魚が食べられない状態だったので、朝市を開催して仙台から仕入れた魚を販売したり、支援物資を配ったり、ボランティアさんの受け入れなどに携わっていたのです。自分が戻った時も、その時の縁で仲良くなったボランティアさんとFacebookのメッセンジャーを通じて魚の販売をしていたので、ECサイトがあったら便利なんじゃないかと思って。父に許可もとらず、勝手に名刺にEC事業と書いて始めました(笑)」

立ち上げたECサイトの名前は、「相馬のおんちゃま」。おんちゃまとは相馬弁で「おじさん」という意味だそうです。何でも、みんなに「理事長」と呼ばれるのを嫌った社長の永真さんが、「おんちゃまと呼んでくれ」と言ってボランティアさんに広がった名称なのだとか。名取市に移った今は、「魚のおんちゃま」と名を変えて継続しています。

現在のECサイト「魚のおんちゃま」。前浜の新鮮な魚を使った焼き魚やフライ製品、
漬け丼の素や北限の生しらす、珍味等各種惣菜を取り扱っている
販売だけでなくYouTubeなどでの情報発信も充実

そして2016年、名取市の助成金を受けられる機会があり、閖上の水産加工団地に工場を移転することになったのです。とはいえ、最初の1~2年は非常に苦労をしたのだそう。その中で、光明となったのが量販店向けの委託加工事業でした。仙台市場から近い閖上に移ったことで、仙台の水産商社から魚の鱗取り、ブリのえら腹抜きなどの加工を請け負うことが可能になり、これが会社の売上の50%を占めるビジネスに成長したのです。

またEC事業もコロナの影響で販売が飛躍的に増加し、その品質の良さに惹かれリピーターが多数付いたのだそう。また閖上に移ったことで、同じ水産加工団地内の他社の商品を一緒に扱うことができるようになり、ラインナップが拡充されたことも売上拡大に役立ったのだそうです。

「東京にいた時は人と距離が近いのに遠くて、みんな考えていることもバラバラといった感じでした。地元はふとした出会いが多く自然に人とつながれる。それに相馬も閖上も、本気でやっている人、同じ方向を向いている人がより多い気がします。なので、新しく一緒に何かを緒に始めようという話が自然にでてくるんです」

委託加工の効率化に成功し、
新たな事業に取り組む余裕が出来た

名取市に移住してから徐々に売上が増加してきたセンシン食品では、さらに業績を安定させるため、令和3年度の販路回復取組支援事業を利用し、電動鱗取り機と、フィレマシンを導入しました。中でも鱗取り機は、委託事業の1つ、ブリのえら腹抜き加工でとても役立っているそう。

「以前は30名ほど従業員がいましたが、今は震災前から働いてくれている1名と、名取に来てから入ってもらった1名だけです。苦しい時期は少人数でやっていたのですが、コロナでEC事業が伸びたこともあって人手が足りなくなり、今はパートさんに来てもらっています。鱗取りは重労働ですが、鱗取り機があれば女性でも、経験のない人でも対応が簡単なので非常に助かっています。どの魚種でも使用できるので、フル稼働しています」

腱鞘炎になることもあったという鱗取りの作業。
電動鱗取り機の導入により作業負担もかなり軽減された。

フィレマシンは三枚おろしなど、今より加工度を上げることで委託加工事業の可能性をより広げるために導入を決めました。現在は、製品の品質の安定に向け試行錯誤中ですが、こちらも商談自体はすでに進んでいます。

またフィレマシンは、EC事業の方ではアジフライなどの製造などで、すでに活用が始まっています。手作業では100kgの製品を作るのに5人で5.5時間かかっていたものが、4人で2時間で済むなど大幅に効率が上昇。フィレ加工の作業時間が短くなった分、他の作業も行えるようになり、工場全体の生産性も上がりました。

「頭と内臓だけ落とせば鮮度劣化は緩やかになるので、以前は原料を買ってきてから、1日置いてフィレにすることもありました。今はフィレマシンがあるので、内臓をとってマシンに入れればすぐに三枚おろしになります。もともとワンフローズンで鮮度を売りにしているので、より鮮度感を保って出荷できるのはありがたいです」

フィレマシンの導入により作業時間が短縮されたことで、より高鮮度な商品を製造できるようになった

フィレマシンやプロトン凍結機を使って作られたアジフライ。
お刺身品質のアジや朝挽きの生パン粉を使うなど食材から工程に至るまで鮮度感こだわっている。

消費者に直接、「前浜の魅力」を伝えたい

今後は、より多角化を進めたいと語る大善さん。その一環として、新たに始めたのが飲食店です。メインのメニューは海鮮丼。日本の一番北でとれる名取市の新名物「北限のしらす」を中心に、マグロやつぶ貝など他の魚介を加え、ボリュームたっぷりの一品に仕上げています。

「海鮮丼の売れ筋をリサーチした時に、ボリュームと産地感が重要だと知りました。工場のリソースを活用すると原価率は上がるけれど、他の店よりたくさんネタを載せられるんです。初業態なので勝手がわからず、メニューの見直しをすでに数回やっていますが、新しいことにチャレンジできるのは楽しいです」

2022年6月にオープンした飲食店「閖上海鮮丼せんしん」。
新鮮な魚介と閖上産の北限の釜揚げしらすがたっぷりのった贅沢な海鮮丼が食べられる。

水産メーカーは営業を納品先の卸売業者等へ任せているというところも多く、その営業担当次第では、売上も大きく変動してしまうのです。震災の時、この「たった1人の担当者に会社の運命を握られている」ことのリスクを肌で感じ、“お客様に直接販売すること”を重視した飲食店やEC事業など水産加工業以外の事業も展開しています。

それにもともとバンドマンだった大善さんは、やればやっただけ返ってくる“プレイヤー”でいたいそうで、EC事業の中でも、自分が狙った施策がはまり、思惑通りにヒットした時のお祭りのような忙しさが楽しいと言います。

そして今後は、魚種に依存しない製品をEC事業の柱として開発し、育てたいのだそう。

「前浜の魚が買えるのは最強だと思っているんです。魚種に依存すると海の変化についていけなくなり苦しいけれど、我々は漁師さんがとってくれた、まっさらな、まだ価値のついていない魚に価値をつけられるポジションにいるんです。世の中の流れに敏感であれば、磨かれていない原石を市場が求める形に加工してお届けできる。それに、やっぱり前浜の魚はいいんです」

地元に戻った直後から「そうま食べる通信」(現在は休刊中)という相馬市を中心とした生産者の取組や魅力を記事にして伝える事業に携わっていたこともあり、漁業者への想いも人一倍。

また、原釜時代の仲間とのつながりも深く、閖上の地でも若手同士の交流や、観光物産協会の理事などを積極的に行っています。

「閖上に来て、地元がもうひとつ増えた感覚」と語る大善さん。今後も地元で「同じ方向を向いて歩ける仲間」とともに、前浜の魅力を発信し続けていくのでしょう。

株式会社センシン食品

〒981-1213 宮城県名取市閖上東2丁目8-3
〈 自社製品 〉
前浜鮮魚を原料とした加工品(タラ・アジのフライ、生食用スライス、漬魚など)

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。