北茨城市、大津漁港に隣接した「ようそろー物産館」に小売店舗を構え、前浜に水揚げされた魚介類を使った干物やしらす干しのほか、真いか一夜干しなどを自社で製造、販売しているまるむら商店。週末には首都圏はじめ多くの観光客が訪れる人気店です。
まるむら商店は、村山さんの父、功(いさお)さんが昭和40年代に開業、丸干しイワシ、シラス干し、煮干しイワシを主力として製造、築地市場ほか名古屋、横浜、仙台などの市場に卸していました。
村山さんは、専門学校で情報処理を学び、IT関連企業に就職。神奈川県で、企業のオペレーションシステム構築に携わるプログラマーとして勤めていました。まるむら商店に入ったのは、今から36年前の25歳の時。
「当時は原料も潤沢で事業も忙しくなっていたので、5年間働いた会社を辞め、家業に入りました。親父が足を悪くしていたので、買い付けもはじめから『行ってこい』と自分が任されることになって。でも親父とつながりのある同業の先輩たちに親切な方々がたくさんいて、魚の良し悪しや相場感など親身になって教えてくれました」
家業に入ってから5年ほどたち、村山さんは、規格外で市場には卸せない商品の販売先として、ネット販売を他社に先駆けて開始します。
「今では簡単に画像もネット上に上げられますが、当時は、デジタルカメラで撮った画像をパソコンに取り込むだけでも手間がかかりましたから、同業者内では、ネット販売はまだハードルが高かったんですよね。自分のスキルを生かして、売上を少しでも上げたいという思いでした。売上の割合的にはわずかですが、こちらが想像もしていなかった顧客ができるなど、市場に卸しているだけでは、分からなかったことに気づけたことも大きかったです」
ある時には、よく端材を注文してくれるお客さんが、実はランの栽培業者で、「煮干しイワシは肥料としてランなどの生育にとてもいいから定期的に注文したい」と直接連絡をもらったこともあったそう。「こんな業界にも販路があったのか」と驚いたのだとか。
2007年(平成19年)には大津漁業協同組合が「ようそろー物産館」を作り、そのテナントとしてまるむら商店も店舗を構えることになりました。これまで市場への卸売販売が主体だったため、開店当初は、お客さんへの対応や商品の陳列販売のノウハウなど分からないことが多く苦戦したと、村山さんは言います。
試行錯誤しながら販売を続けていくうちに、「味がおいしかったから」とまた買いに来てくれるリピーターが増えていきました。さらに翌年2008年(平成20年)は、北関東自動車道の宇都宮―水戸間が全線開通し、近県からの観光客の増加というプラス要素も加わって、売上は数年で開業当初の3倍になりました。
卸売に加え、店舗での販売も順調に推移していたその矢先に起きたのが、東日本大震災でした。
2011年(平成23年)3月11日、大きな揺れが襲った当日、村山さんは量販店での出張販売のため茨城県水戸市にいました。急いで地元へ戻ろうとしましたが、停電により信号機が機能しておらず渋滞。通常1時間程度で着く距離ですが、この時は12時間かけてやっと帰宅できました。
店舗の入った建物は津波で全壊、従業員は避難して全員無事でしたが、什器などはすべて流されてしまいます。自宅と工場も地震で大規模半壊、津波も浸水もあって操業不能に。さらには、原発事故が追い打ちをかけます。同年4月、北茨城市沿岸で獲れたコウナゴから基準値をこえる放射性セシウムが検出され、出荷が停止。大津港の操業もストップとなり、仕入も生産もできない状況が続きました。
店舗の入った建物再建までの約1年、休業せざるを得ず、売上はゼロという状況。その間、村山さんは、大津漁業協同組合の臨時職員として勤め、茨城県産の魚食普及のための活動に従事します。
「この時に仕事でご一緒したのが、以前役所に勤めていた方だったのですが、すばらしく仕事のできる方で、課題解決にむけての行動力や人材のマネージメントなど、学ぶことがたくさんありました。なかでも、行政はじめ、関係機関とやりとりする上でのノウハウは勉強になることばかり。相手が何を求めているのかを客観的に考えたうえで仕事を進めるというのかな。そうした視点は、その後の小売店業や商品開発にも生きていると思います。本業をなかなか再開できない焦りやもどかしさはありましたが、休業していた1年で得たものは大きかったです」
震災を機に、父の功さんは仕事から完全に引退。生産効率を高めるため、従来の商品ラインナップを見直し、村山さんが一人でも製造可能なアイテムに絞ることにしました。地元に揚がった鮮度の良いアンコウや真いかを原料とした付加価値の高い商品を主力商品として据え、直売方式へ事業転換を図りました。
そこで直接消費者に届けることを意識した商品を作るため、店舗やイベント、ネット販売で寄せられる一般消費者の反応、意見を反映させることに取り組んだという村山さん。新製品開発や既存商品のブラッシュアップを図ったことが功を奏し、売上は徐々に増加していきます。
「出張販売などでお客さんと直接お話しする中で、市場と消費者のニーズにはギャップがあるということが分かりました。例えばしらす干しだと、市場では乾燥させ水分量を少なく、と言われる。日持ちさせるためにです。でもお客さんは、乾燥をあまりさせないふっくらとした触感をおいしいと言う。そこに気付いてからは、消費者のニーズを一番に考えた商品開発をするようになりました」
ショーケースにはしらす干し、めひかり丸干などさまざまな商品が並ぶ。これらのほとんどを一人で製造しているというから驚きだ。味付けは同業の先輩たちの意見も参考にされたとのこと
2018年(平成30年)には、あんこう鍋セットがふるさと納税の返礼品として採用され、有望なマーケットととして、売上回復のカギとなる商品となりました。このほか、ギフトとしての需要に加え、コロナ禍にはおうち時間が増えたため、「巣ごもり需要」により通販での注文が急増。
しかし、同商品生産のために必要な真空包装機が小型のため、生産できる量も限定的であることから、注文数に応えられるだけの製造が難しく、泣く泣く受注をストップしたこともあったのだそう。
「あんこう鍋セットは価格の安い時期に原料を確保することで、製品の販売価格を抑えながら利益を保てるようにしています。受注も増えて好調だったのですが、なにせ一人で作っているので1日に50セットが限界なんです。何とかしなければと思いました」
そこで販路回復取組支援事業の補助金を活用し導入したのが、新たな真空包装機です。
ふるさと納税返礼品のあんこう鍋セットの真空包装は、1回の真空包装作業で4パックだったものが、8パックできるようになり、生産能力が2倍に。また、真いか一夜干しは、従来2パックだったものが、6パック。いか塩辛は4パックだったものが12パック製造できるようになりました(すべて1回の作業でのパック数)。
これによって生産量も増加したほか、生まれた余剰時間を加工や販売、新規取引先の開拓に注力できるようになったのです。その結果、新たにふるさと納税の契約自治体が増え、取手市、水戸市、茨城県庁はじめ、全7件※となりました。※2025年(令和7年)8月現在
ふるさと納税返礼品として人気のあんこう鍋セット
2025年(令和7年)3月には、北茨城市で開催された「全国あんこうサミット」に出店。受注に応えられる生産体制が整ったことで、積極的なPR発信も行うことができました。
「地元の特産品としてあんこうをもっと食べてもらいたいですね。業界の発展の一助にもなれたらと思っています」
この業界に入る前に携わっていたIT関連のスキルを活かして、30年前にネット販売を始めた村山さん。
「ネットでの販売はまだまだのびしろがあると思っています。SNSを使って動画で商品のリアルな魅力を発信していきたいと思っていて、最近動画編集ソフトを入れて勉強を始めました」
仕入、味付けから製造、伝票を書いて宅配業者に手渡すまで。一人で行う村山さんが手がけたしらす干しは、ふっくらしていて本当においしく、子どもにも安心して食べさせることのできるやさしい塩加減。孤軍奮闘で消費者の声と自身の商品と向き合った日々が、繊細な味に表れ、リピーター獲得につながっているのだと感じました。
店舗での活気、イカを焼く網から立ちのぼる煙、実際に味わった消費者の声などを動画で発信したら、北茨城の味を広い世代に伝えるきっかけとなるでしょう。
「あの味をまた食べたい」という顧客を全国に増やすことを目指して奮闘を続けるまるむら商店。今後の同店の発信にも注目です。
まるむら商店
〒319-1713茨城県北茨城市関南町仁井田765自社製品:干物、しらす干し、あんこう鍋セット ほか
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。